真平王とは? わかりやすく解説

真平王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 23:15 UTC 版)

真平王(しんぺいおう、生年不詳 - 632年)は、新羅の第26代の王(在位:579年 - 632年)であり、姓は金、は伯浄。第24代真興王の太子金銅輪の子であり、母は立宗葛文王金仇珍の娘で真興王の妹の万呼夫人(万内夫人とも記される)。王妃は葛文王金福勝(炤知麻立干の子の金山宗の子)の娘の摩耶夫人。先代の真智王が579年7月死去したことを受けて即位した[1]


  1. ^ 真智王の退位や死の様子について、『三国史記』は詳しくは伝えていないが、『三国遺事』には国人に廃されたことが記されている。
  2. ^
    金庾信,王京人也。十二世祖首露,不知何許人也。以後漢建武十八年壬寅,登龜峯,望駕洛九村,遂至其地開國,號曰加耶,後改為金官國。其子孫相承,至九世孫仇充,或云仇次休,於庾信為曾祖。羅人自謂少昊金天氏之後,故姓金。庾信碑亦云:「軒轅之裔,少昊之胤。」則南加耶始祖首露與新羅,同姓也。 — 三国史記、巻四十一
  3. ^ ただし、『新唐書』や『資治通鑑』には631年(貞観5年)の死去と伝わる。『三国史記』には、古記により632年の死去とする、との分注が添えられている。


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