説話の大意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 15:31 UTC 版)
以下は『三国遺事』紀異・武王条の要約。 武王の母は都の南の池のほとりで寡婦暮らしをしていたが、その池にすむ龍と情を通じ、武王が生まれた。武王はその名を璋といい、子供の頃は薯童(ソドン、芋を売る子供という意味)と呼ばれていた。彼は新羅の真平王の3番目の娘の善花(ソンファ、善化ともいい、同音)姫が比類のない美人である事を知り、出家して上京し、子供達に芋を与え、自作の歌である薯童謡を歌わせた。この薯童謡がたちまち都で流行し、新羅の宮中にまで知られるほどになってしまい、怒った真平王は善花姫を遠方へ追放した。薯童は善花姫を連れて百済に住み、そこで黄金を沢山掘り出した。それを法師が神通力で新羅の都の宮中に運び込み、真平王は感心した。こうして人心を掴んだ薯童は王になり、善花姫は王妃となった。王となってある日、師子寺に行こうとして龍華山のふもとの大池まで来たところ、弥勒三尊が池の中から現れた。王妃がここに大きな伽藍を建てたいと願い出て、王はこれを許した。池を埋め立てるために再び法師に頼ったところ、法師の神通力で山を削って池を埋め立てて、一晩のうちに平らにしてしまった。そして弥勒三尊の像を会殿・仏塔・回廊の三箇所に安置し、扁額には弥勒寺と記した。新羅の真平王も工人を送って寺の建立を援助し、今なおその寺は存在している。
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