寺の建立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 09:08 UTC 版)
源宗寺の創建時期は17世紀半ばの正保年間と言われている。創建者は藤井家の祖、雅楽助であり、建立当時の寺は草庵のようなものであったとされている。草庵には初代住職として源宗大法師が常住したと伝えられている、1662年(寛文2年)、源宗大法師は鴻巣の勝願寺十四世の玄誉上人に対して、念仏一万日を唱えながら薬師、観音像を建立することを願い出て、許可されたと言われている。そして勝願寺第十五世の念誉上人から、開山の源宗大法師にちなみ源宗寺という寺号が授けられた。また山号は建立者、藤井家の祖、雅楽助にちなんで藤井山とされた。 なお、鴻巣の勝願寺は僧侶の教育養成機関である檀林が設立されていた。勝願寺での僧侶教育養成機能は、同寺が多くの末寺を擁した本寺としての機能を強化することに繋がった。1632年(寛永9年)には12か所に過ぎなかった末寺は、1695年(元禄8年)の記録では40か所に増加している。源宗寺も1695年には勝願寺の末寺となっていたことが確認できる。 源宗寺の本堂は後述の大仏と同時期に建立されたと考えられている。かつては千日堂とも呼ばれていて、建物の大きさは5間、4間で、1間の裳階を巡らせている。また建物の南面には2間、2間の向拝が設えられている。向拝の棟には龍の彫刻が飾られており、左右には阿吽の狛犬、そして向拝の柱にも木彫りの狛犬が取り付けられている。 屋根は重層寄棟造、瓦葺である。建物の規模には大きな違いはあるが、源宗寺本堂は東大寺大仏殿をモデルとして建造したと考えられている。なお後述のように建造後、源宗寺は洪水の被害を受けるなどしてしばしば修復工事が行われている。1952年(昭和27年)に行われた修復工事の際に、柱が切り詰められた痕跡が確認されており、かつての本堂は現状のものよりも規模が大きかったと推定されている。
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