本堂
本堂
本堂
〒643-0126 和歌山県有田郡有田川町本堂
〒786-0043 高知県高岡郡四万十町本堂
本堂
姓 | 読み方 |
---|---|
本堂 | ほんどう |
本堂
本堂(ウボーソット、ubosot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/21 06:33 UTC 版)
「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の記事における「本堂(ウボーソット、ubosot)」の解説
層塔化した屋根をもつ方形の本堂が境内の南東側にある。その装飾された入口は煉瓦とセメントで造られている。
※この「本堂(ウボーソット、ubosot)」の解説は、「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の解説の一部です。
「本堂(ウボーソット、ubosot)」を含む「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の記事については、「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の概要を参照ください。
本堂(大方丈)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 01:45 UTC 版)
「臨済寺 (静岡市)」の記事における「本堂(大方丈)」の解説
国の重要文化財。江戸時代前期の建立。入母屋造、こけら葺で、方丈形式の平面をもつ本堂である。駿河の勅願寺であったことを示す「勅東海最初禅林」の額が掲げられている。
※この「本堂(大方丈)」の解説は、「臨済寺 (静岡市)」の解説の一部です。
「本堂(大方丈)」を含む「臨済寺 (静岡市)」の記事については、「臨済寺 (静岡市)」の概要を参照ください。
本堂(昭堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 06:07 UTC 版)
「龍光院 (京都市北区)」の記事における「本堂(昭堂)」の解説
重要文化財。書院の西に建つ。慶安2年(1649年)の建立。寄棟造檜皮葺き。
※この「本堂(昭堂)」の解説は、「龍光院 (京都市北区)」の解説の一部です。
「本堂(昭堂)」を含む「龍光院 (京都市北区)」の記事については、「龍光院 (京都市北区)」の概要を参照ください。
本堂(不動堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:40 UTC 版)
「金蔵寺 (船橋市)」の記事における「本堂(不動堂)」の解説
2000年(平成12年)建立。円仁作といわれる木造不動明王立像が安置されている。
※この「本堂(不動堂)」の解説は、「金蔵寺 (船橋市)」の解説の一部です。
「本堂(不動堂)」を含む「金蔵寺 (船橋市)」の記事については、「金蔵寺 (船橋市)」の概要を参照ください。
本堂(立木観音堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:23 UTC 版)
「中禅寺 (日光市)」の記事における「本堂(立木観音堂)」の解説
※この「本堂(立木観音堂)」の解説は、「中禅寺 (日光市)」の解説の一部です。
「本堂(立木観音堂)」を含む「中禅寺 (日光市)」の記事については、「中禅寺 (日光市)」の概要を参照ください。
本堂(重要文化財)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/21 21:03 UTC 版)
県内に類例がない八角堂で台輪や柱の粽などに禅宗様がみられるほか、貫や間斗束の彫刻などに室町時代後期のこの地方の特色がみられる。堂内墨書から天正13年(1585年)に建立され、寛永8年(1631年)、寛文3年(1663年)、文化13年(1816年)、明治9年(1876年)、大正6年(1917年)に修復されたことがわかる。平成23年から平成26年にかけて行われた保存修理の際では元禄時代の修理で正面を東向きに改変したことが判明し創建時の南向きへ復元された。
※この「本堂(重要文化財)」の解説は、「仏性寺」の解説の一部です。
「本堂(重要文化財)」を含む「仏性寺」の記事については、「仏性寺」の概要を参照ください。
本堂(重要文化財)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/18 09:12 UTC 版)
「仏性寺 (水戸市)」の記事における「本堂(重要文化財)」の解説
県内に類例がない八角堂で台輪や柱の粽などに禅宗様がみられるほか、貫や間斗束の彫刻などに室町時代後期のこの地方の特色がみられる。堂内墨書から天正13年(1585年)の建立とみられ、寛永8年(1631年)、寛文3年(1663年)、文化13年(1816年)、明治9年(1876年)、大正6年(1917年)に修復されたことがわかる。1988年(昭和63年)1月13日付けで、「佛性寺本堂(附 旧露盤1個)」の名称で国の重要文化財に指定された。 2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災で被災したが、同年から2014年(平成26年)にかけて保存修理が行われ、銅板葺きだった屋根が創建当時の萱葺屋根に復元された。この保存修理の際、元禄時代の修理で扉の位置を南面から東面に変更していたことが判明し、修理後は創建時のとおり、扉を南面へ復旧した。
※この「本堂(重要文化財)」の解説は、「仏性寺 (水戸市)」の解説の一部です。
「本堂(重要文化財)」を含む「仏性寺 (水戸市)」の記事については、「仏性寺 (水戸市)」の概要を参照ください。
本堂(重要文化財)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 04:03 UTC 版)
「黄梅院 (京都市)」の記事における「本堂(重要文化財)」の解説
天正16年(1588年)に小早川隆景の援助により建立された本瓦葺・入母屋造の建物で、禅宗特有の方丈建築である。内部の襖絵(重要文化財)は雪舟の画風を継承した毛利家御用絵師である雲谷等顔筆で、室中の「竹林七賢図」や檀那の間の「西湖図」など44面が残る。昭和52年(1977年)に約400年ぶりに解体修理が行われた。
※この「本堂(重要文化財)」の解説は、「黄梅院 (京都市)」の解説の一部です。
「本堂(重要文化財)」を含む「黄梅院 (京都市)」の記事については、「黄梅院 (京都市)」の概要を参照ください。
本堂(重要文化財)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 19:23 UTC 版)
※この「本堂(重要文化財)」の解説は、「圓證寺」の解説の一部です。
「本堂(重要文化財)」を含む「圓證寺」の記事については、「圓證寺」の概要を参照ください。
本堂(薬師堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:06 UTC 版)
「宝城坊本堂」の名称で国の重要文化財に指定されている。日向山霊山寺の本堂を、同寺の別当坊である宝城坊が引き継いだもの。数度にわたり改修されているが、万治 3年(1660年)に幕府から寄進された丹沢の立木百本および前本堂の古材を使って修造されたのが現存の本堂である。寄棟造、茅葺。桁行7間、梁間5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する)。梁間の手前2間分を土間の外陣、奥の3間分を内陣とする。柱、梁などには前身堂のものと思われる古材が再利用されている。 老朽化と虫害のため、2011年1月より5年以上を掛けて本堂の大修理が行われる。大修理が行われるのは、350年振りにして3回目。
※この「本堂(薬師堂)」の解説は、「日向薬師」の解説の一部です。
「本堂(薬師堂)」を含む「日向薬師」の記事については、「日向薬師」の概要を参照ください。
本堂(ウボーソット、ubosot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 09:50 UTC 版)
「ワット・チャーマテーウィー」の記事における「本堂(ウボーソット、ubosot)」の解説
本堂は境内の南西側にある。中部タイ様式で建てられるが、木造の妻側はラーンナー様式で装飾されている。
※この「本堂(ウボーソット、ubosot)」の解説は、「ワット・チャーマテーウィー」の解説の一部です。
「本堂(ウボーソット、ubosot)」を含む「ワット・チャーマテーウィー」の記事については、「ワット・チャーマテーウィー」の概要を参照ください。
本堂(Ubosot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 09:53 UTC 版)
「ワット・チェンマン」の記事における「本堂(Ubosot)」の解説
本堂(ウボーソット、ubosot)の正面には1581年の石碑が認められる。この碑にはチエンマイの創立日、西暦1296年4月12日午前4時という最も古い記述がある。それはまた、本堂が王マンラーイの命令によるものであり、1571年にプーヤ・セーン・ルアン (Phya Saen Luang) が修復されたことが記されている。現在の建物は19世紀に建てられた。
※この「本堂(Ubosot)」の解説は、「ワット・チェンマン」の解説の一部です。
「本堂(Ubosot)」を含む「ワット・チェンマン」の記事については、「ワット・チェンマン」の概要を参照ください。
本堂(Ubosot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 09:53 UTC 版)
「ワット・スワンドーク」の記事における「本堂(Ubosot)」の解説
修復された本堂(ウボーソット)には、王ケーオ(ムアンケーオ)の統治時代、西暦1504年に鋳造された高さ4.7メートルの青銅の仏像(触地印)がある。そのプラチャオ・カート (Phra Chao Kao Tue) という名をもつ像は、仏像の指がすべて同じ長さであり、スコータイからの影響を示しているが、アユタヤ王朝の様式で表現されたローブをまとっている点が特異的である。
※この「本堂(Ubosot)」の解説は、「ワット・スワンドーク」の解説の一部です。
「本堂(Ubosot)」を含む「ワット・スワンドーク」の記事については、「ワット・スワンドーク」の概要を参照ください。
本堂 (登録有形文化財)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 04:22 UTC 版)
現存するものは近世後期の文政6年(1823年)、棟梁岡田五左衛門による再建。木造平屋建、銅板葺。東海地方における近世密教系仏堂として有数の規模を持つ。内陣と外陣を格子によって隔て、内陣壇上の厨子(国の重要文化財)に本尊千手観音(秘仏)を納めるほか、眷属である二十八部衆像(豊川市指定文化財)、宝冠阿弥陀如来坐像(愛知県指定文化財)などを安置する。毎年正月3日にはお田植祭りが行われるほか、3月末の智恵文殊まつり、5月3日の大財栄講、8月13日の万灯会、11月3日の秋の大法要などの行事の際には参加者に内陣が開放される。
※この「本堂 (登録有形文化財)」の解説は、「財賀寺」の解説の一部です。
「本堂 (登録有形文化財)」を含む「財賀寺」の記事については、「財賀寺」の概要を参照ください。
本堂(ほんどう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:53 UTC 版)
「慈光寺 (知多市)」の記事における「本堂(ほんどう)」の解説
※この「本堂(ほんどう)」の解説は、「慈光寺 (知多市)」の解説の一部です。
「本堂(ほんどう)」を含む「慈光寺 (知多市)」の記事については、「慈光寺 (知多市)」の概要を参照ください。
「本堂」の例文・使い方・用例・文例
- 本堂は火災から10年後に再建された。
- そのお寺の本堂に小坊主が一人ちょこなんと座っていた.
- 本堂より奥にあり,霊像を安置してあるところ
- 社寺の本堂の外側にあって,人々が立ち入ることのできる所
- 寺の本堂
- 本堂には金色の仏像があります。
- その中心となる線は寺の本堂を通っている。
- 研究者たちは「対称線上の本堂に立ち,庭を見ると,一番落ち着きを感じる景色を見ることができる。枝を広げる木の姿を無意識に認識することが心の落ち着きの一因かもしれない。」と言っている。
- 奈良県の唐(とう)招(しょう)提(だい)寺(じ)で,本堂である金堂とそこに安置されている仏像2体が現在修復中である。
- 人気力士や俳優が豆をまくために本堂前の特設舞台に姿を現した。
- 多くの人々がそれらをつかみ取ろうと本堂の前に集まった。
- 儀式では,僧侶たちが朱色の傘を頭上にさしかけられて寺の本堂まで歩く。
- 本堂の前で,貫主と僧侶は読経する。
- ピンクや赤,緑の裃(かみしも)を身につけた参加者が本堂前に登場した。
- 彼らは本堂の建物の前に立ち,群衆に向かって大豆や落花生をまいた。
- >> 「本堂」を含む用語の索引
- 本堂のページへのリンク