建立とは? わかりやすく解説

けん‐りつ【建立】

読み方:けんりつ

[名](スル)築き上げること。打ち立てること。こんりゅう。「国家を—する」


こん‐りゅう〔‐リフ〕【建立】

読み方:こんりゅう

[名](スル)

寺院堂・塔などを建てること。「寺を—する」

心の中である物事つくり上げること。

兄さんは神でも仏でも…権威のあるものを—するのが嫌いなのです」〈漱石行人


建立

読み方:ケンリツ(kenritsu)

寺院堂塔などを建てること


建立

読み方:コンリュウ(konryuu)

作者 幸田文

初出 昭和40年

ジャンル 随筆


建設

(建立 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 23:06 UTC 版)

建設(けんせつ、construction コンストラクション)は、建築(architecture)と土木(civil engineering)その他農分野の林業造園の工事などや、海洋分野やプラント、「電設」という言葉(社団法人日本電設工業協会や住友電設株式会社などでいう電気設備の建設という意味での「電設」)や通信分野のインフラストラクチャーなどの基盤構築の分野の総称。ほか、言葉的には「建設的な意見」などのように積極、能動的なニュアンスが含まれながら使用される。


  1. ^ 木工寮とは コトバンク
  2. ^ ]土工司とは コトバンク
  3. ^ 普請とは コトバンク
  4. ^ 作事とは コトバンク
  5. ^ 古木守靖 (2014年9月10日). “「土木」の由来”. 土木学会. 2021年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
  6. ^ 建設とは - コトバンク
  7. ^ 理念と沿革”. 大成建設株式会社. 2016年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
  8. ^ 歴史”. 一般財団法人 建設物価調査会. 2020年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。


「建設」の続きの解説一覧

建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 21:00 UTC 版)

大泉寺 (沼津市)」の記事における「建立」の解説

源義朝平治の乱敗北後、醍醐寺預けられとなった阿野全成今若)は、源頼朝挙兵時に参加加わり功績をあげ、阿野荘(現在の井出から原にかけて地域)を賜まり館を建てた阿野全成は、この地で、先祖の霊弔うために大泉寺建立した阿野全成の弟の源義経が、兄の源頼朝追われ奥州逃れた際に大泉寺立ち寄り阿野全成涙ながらに語り合ったといわれるその後1203年建仁3年阿野全成2代将軍源頼家に叛いた疑いで、常陸国流され首を切られた。大泉寺阿野全成の墓には首のみ埋葬されており、首掛口伝残っている3代将軍源実朝暗殺された後、1219年承久元年阿野全成息子の、阿野時元将軍になるべく深山に城を築き準備進めたが、討ち滅ぼされ父子の墓が並ぶように埋葬されている寺院はいくつかの古文書残されており、その内容が『沼津市資料編 古代中世』に載っている。そのうち資料番号263340それぞれ1536年天文5年)と1558年永禄元年)に今川義元寺領安堵諸役免除保証した判物で、その中法華院殿祭礼分参石とある。この法華院殿阿野法橋全成のことである。少なくともこの時代彼の供養が行われていることがわかる。 大泉寺前の石碑義経之兄開基記載あり。(2017年12月撮影大泉寺のまつる位牌。左は公暁、中は阿野全成右は阿野時元許可を得て撮影静岡県沼津市大泉寺敷地内にある一花無残居士の墓。小野寺左京のものと言い伝えがある。

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建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 07:47 UTC 版)

サムイェー寺」の記事における「建立」の解説

伝承によればインドの僧シャーンタラクシタ彼の経典中心仏教布教た際に寺院建立を最初に計画したこの場所縁起がよいとして建設開始するも、必ず途中で寺院崩れてしまっていた。恐れた建築労働者たちは近くの川の魔物か悪い気がこれを引き起こしていると信じた。 しかしパドマサンバヴァ北インドからここに着くと、寺院建設妨げている問題エネルギーマモ魔物)を調伏した。ダライラマ5世によればPearlman, 2002: p.18)、パドマサンバヴァタントラ的なヴァジュラキラヤ(英語版)(プルパ、プルパ金剛と訳す。漢名:普巴金剛、金剛儒童)の修法踊りをしてティソン・デツェン王の擁護資金援助を受け、シャーンタラクシタ実務的問題解決してサムイェー寺建立したという。 この伝承は、なぜタントラ密教中心パドマサンバヴァ教えが、経典顕教中心シャーンタラクシタ教えよりも優勢得たということ説明になる。また、サムイェー寺の建立がチベット仏教独自の派、ニンマ派始まりとなる。

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建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:26 UTC 版)

セウ寺院」の記事における「建立」の解説

セウ寺院の南約500メートル (450m) に位置するルンブン寺院(チャンディ・ルンブン、尼: Candi Lumbung)の近郊より、西暦782年のケルラク碑文発見され碑文にはマンジュシュリー文殊師利)像の奉献について記されていた。建立され寺院ルンブン寺院ないしセウ寺院を指すものと考えられるが、1960年セウ寺院南西側プルワラ祠堂 (number 202) の階段の傍より発見された西暦792年のマンジュスリグラ碑文(「文殊師利祠堂刻文)に、マンジュスリグラ(文殊師利祠堂)の増拡(マウルディ〈梵: mawṛddhi〉)について記されていたことから782年文殊師利奉献されたのはセウ寺院であり、そのセウ寺院主祠堂が、792年に増拡されたものとする説が有力である。 碑文記述セウ寺院であるとすると、セウ寺院は、古マタラム王国サンジャヤ王統英語版))第2代王ラカイ・パナンカラン(英語版)(760-780年頃)の治世終わ8世紀末に、Śailendravaṃṣatilaka(英: the ornament of the Shailendra dynasty、「シャイレーンドラ王家装飾」の意)であるシャイレーンドラ朝の王インドラ(ダラニンドラ(英語版))即位名サングラーマダナンジャヤ(梵: Sagrāmadhanaṁjaya、782-812年頃)の命を受けた王師クマーラゴーシャ(梵: Kumāraghoṣa)がマンジュシュリー文殊師利)像を奉献したことにより建立された。 これによりセウ寺院は、プランバナン近隣ヒンドゥー教シヴァ派寺院であるプランバナン寺院より50-70年余り前、仏教寺院であるボロブドゥール寺院当初着工とほぼ同時代創建され。マンジュスリグラ碑文により、その後792年に増拡によって改変されたものとされるセウ寺院ケウ平原プランバナン平野)の地域において最大の仏教寺院であり、マンジュスリグラ碑文完成した寺院複合体尖塔美しさ讃えている。 セウ寺院の南300メートル位置するブブラ寺院(チャンディ・ブブラ、尼: Candi Bubrah)と東300メートル位置するガナ寺院(チャンディ・ガナ、尼: Candi Gana〈チャンディ・アスゥ、尼: Candi Asu〉)は、おそらくマンジュスリグラ複合体前衛寺院としての役割果たしセウ寺院を囲む東西南北守護していた。セウ寺院の北250メートルロル寺院(チャンディ・ロル、尼: Candi Lor西方にクロン寺院(チャンディ・クロン、尼: Candi Kulon)の遺構認められるが、それらの所にわずかな石材が残るのみであり、ともにほぼ消失した状態にある。

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建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 06:08 UTC 版)

救世主ハリストス大聖堂」の記事における「建立」の解説

1812年12月25日ロシア皇帝アレクサンドル1世によって、ナポレオン戦争1812年ロシア戦役祖国戦争)後、戦勝記念戦没者慰霊目的大聖堂の建立が勅裁された。実際に建設開始されるまでは時間がかかり、1817年着工された。アレクサンドル・ヴィトベルク(英語版設計による当初案では、新古典主義基調とし、建築フォルムに意味を持たせた意欲的なものであった大聖堂は、モスクワ雀が丘起工されたが、ヴィトベルクが経理上の誤り責任問われヴャトカ流刑とされた上、敷地予定地地質軟弱であったため、工事は一旦中止に追い込まれた。 その後アレクサンドル1世の後を継いだニコライ1世依頼を受けたコンスタンチン・トーン再設計により、1839年現在のモスクワ河畔クレムリン向かい側敷地移して建設工事再開された。建設に先立ち予定地にあった教会修道院移転した上で1839年9月10日礎石置かれたデザインについて概して言えば中世ロシア建てられていたビザンティン建築教会に範をとっているものの、通例みられるビザンティン建築形状とはかなり異なっている。実際のモデルとしては、モスクワクレムリンにある生神女就寝大聖堂聖天使首大聖堂モスクワドンスコイ大聖堂コローメンスコエ主の昇天聖堂などが挙げられる外観についてはサンクト・ペテルブルクにある聖イサアク大聖堂へのオマージュみられる内装ワシーリー・スリコフイワン・クラムスコイヴァシーリー・ヴェレシチャーギンロシア国内芸術家総動員し19世紀における技術革新によって可能となった巨大な内部空間壁画彫刻配置した。特にフレスコ画完成12年閲し、この荘厳な大聖堂完成44年もの歳月要した大聖堂1883年6月7日ユリウス暦5月26日主の昇天祭)、アレクサンドル3世戴冠式同日成聖された。 なお、成聖前年1882年8月20日)には、チャイコフスキーの「序曲1812年」が大聖堂演奏されている。

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建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 10:24 UTC 版)

血の上の救世主教会」の記事における「建立」の解説

ロシア皇帝アレクサンドル2世は、「解放皇帝」と呼ばれ農奴解放を初めとする「大改革」を行ったが、次第反動化ていった同時にナロードニキ運動急進化に伴いナロードニキ一部ニヒリズムテロリズム走り1881年3月1日ついに皇帝テロ標的となって斃れた。行幸先から帰る皇帝乗った御料車運河に沿って通る中、女性革命家ソフィア・ペロフスカヤによって指揮された「人民の意志」のテロリスト皇帝狙って手榴弾投げた手榴弾2人コサック衛兵負傷させたが、皇帝無事であった。しかし現場を見るために御料車降りた皇帝足下別のテロリスト爆弾転がして爆発させ、瀕死の重傷負った皇帝担ぎ込まれ冬宮一時間後崩御した。 教会の建立は、アレクサンドル2世の跡を継いだアレクサンドル3世によって先帝弔うために行われた教会グリボエードフ運河河畔で、アレクサンドル2世終焉の地建設された。この地グリボエードフ運河モイカ川(Moika)から分流する地点にあり、またさらにモイカ川フォンタンカ川Fontanka)から分流する地点にも比較的近い。 建設資金は、帝室であるロマノフ家のほか、広く一般献金によってまかなわれた。工事1883年着工されたがアレクサンドル3世在位中には完成せず、教会完成見たのは次のニコライ2世治世入って13年目の1907年である。

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建立

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 01:49 UTC 版)

名詞

 こんりゅう / けんりつ

  1. こんりゅう寺院などを建築すること。
  2. こんりゅう / けんりつ打ち立てること。築き上げること。

発音(?)

こ↗んりゅーけ↗んりつ

動詞

活用

サ行変格活用
建立-する

「建立」の例文・使い方・用例・文例

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