けん‐りつ【建立】
こん‐りゅう〔‐リフ〕【建立】
建設
(建立 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 14:52 UTC 版)
建設(けんせつ、construction コンストラクション)は、建築(architecture)と土木(civil engineering)その他農分野の林業や造園の工事などや、海洋分野やプラント、「電設」という言葉(社団法人日本電設工業協会や住友電設株式会社などでいう電気設備の建設という意味での「電設」)や通信分野のインフラストラクチャーなどの基盤構築の分野の総称。ほか、言葉的には「建設的な意見」などのように積極、能動的なニュアンスが含まれながら使用される。
建立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 21:00 UTC 版)
源義朝が平治の乱で敗北後、醍醐寺に預けられ僧となった阿野全成(今若)は、源頼朝挙兵時に参加に加わり功績をあげ、阿野荘(現在の井出から原にかけての地域)を賜まり館を建てた。阿野全成は、この地で、先祖の霊を弔うために大泉寺を建立した。阿野全成の弟の源義経が、兄の源頼朝に追われ奥州に逃れた際に、大泉寺に立ち寄り、阿野全成と涙ながらに語り合ったといわれる。その後、1203年(建仁3年)阿野全成も2代将軍・源頼家に叛いた疑いで、常陸国に流され首を切られた。大泉寺の阿野全成の墓には首のみ埋葬されており、首掛松の口伝も残っている。3代将軍・源実朝が暗殺された後、1219年(承久元年)阿野全成の息子の、阿野時元が将軍になるべく深山に城を築き準備を進めたが、討ち滅ぼされ、父子の墓が並ぶように埋葬されている。 寺院にはいくつかの古文書が残されており、その内容が『沼津市史資料編 古代・中世』に載っている。そのうち資料番号263、340はそれぞれ1536年(天文5年)と1558年(永禄元年)に今川義元が寺領安堵・諸役免除を保証した判物で、その中に法華院殿祭礼分参石とある。この法華院殿は阿野法橋全成のことである。少なくともこの時代に彼の供養が行われていることがわかる。 大泉寺前の石碑、義経之兄開基の記載あり。(2017年12月撮影) 大泉寺のまつる位牌。左は公暁、中は阿野全成、右は阿野時元。許可を得て撮影。 静岡県沼津市大泉寺敷地内にある一花無残居士の墓。小野寺左京のものと言い伝えがある。
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建立
「建立」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は妻をしのんで寺を建立した
- 彼らは記念碑の建立を計画している
- 政府は内戦の退役軍人に対して碑を建立した
- システィナ礼拝堂は、1473年にバティカン宮殿内に建立された壮大な礼拝堂です。
- 私の知る限り、この大聖堂の建立は中世にまでさかのぼる。
- その大聖堂の建立は中世にもさかのぼる。
- その大聖堂の建立は中世にまでさかのぼる。
- この壮大な大聖堂の建立は中世にまでさかのぼる。
- 記念碑建立の議
- 記念碑建立の議あり
- 故人のために墓碑を建立する
- 勇士の霊を祭って記念碑を建立する
- 記念碑を建立して偉人の霊を祀る
- その宮を建立するのに四十年の年月を費やした
- 寺院を建立した貴人
- 氏族が冥福と現世の利益を祈るため建立した寺
- 幕府の建立した寺
- 社寺建立などの勧進のために催す興行
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