けんせつ‐しょう〔‐シヤウ〕【建設省】
建設省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 18:42 UTC 版)
建設省 Ministry of Construction | |
---|---|
![]() | |
![]() 建設省がかつて入居していた中央合同庁舎第3号館 | |
役職 | |
大臣 |
一松定吉(初代) 扇千景(最後) |
政務次官 | 建設政務次官 |
建設事務次官 | 建設事務次官 |
組織 | |
上部組織 | 内閣 |
内部部局 |
大臣官房 建設経済局 都市局 河川局 道路局 住宅局 |
特別の機関 | 国土地理院 |
施設等機関 |
土木研究所 建築研究所 建設大学校 |
地方支分部局 | 地方建設局 |
概要 | |
設置 | 1948年 1月1日 |
廃止 | 2001年1月5日 |
前身 | 建設院 |
後身 | 国土交通省 |
建設省(けんせつしょう、Ministry of Construction)は、1948年(昭和23年)1月1日から2001年(平成13年)1月5日まで存在していた日本の行政機関である。国土・都市計画、市街地整備(下水道ほか)、河川(水防砂防)、道路、建築物(一般基準・市街地建築ほか)、住宅政策、官庁営繕などに関する行政を取扱っていた。 建設省設置法(昭和23年法律第113号)に基づき設置され、長は建設大臣。 現在は国土交通省に再編されている。
沿革
- 1948年1月1日 - 内務省国土局と、内務省調査局総務課及び第一課を移管して、建設院が設置された[1][2]。
- 1948年7月10日 - 運輸省建設本部を吸収し、建設省に昇格した[3][4]。他省庁に比して技官の力が強く、事務次官には事務官と技官(道路もしくは河川)が交互に就任する慣行があった。
- 2001年1月6日 - 中央省庁再編の実施に伴い、運輸省、国土庁、北海道開発庁と統合して、国土交通省を設置した。
組織
幹部
内部部局
特別の機関
施設等機関
地方支分部局
- 各地方建設局(東北・関東・北陸・中部・近畿・中国・四国・九州)
中央省庁再編後
内部部局
- 建設経済局→省庁再編における旧運輸省運輸政策局との統合により、国土交通省総合政策局と改組。
- 都市局→省庁再編における旧国土庁地方振興局等との統合により、国土交通省都市・地域整備局と改組。
施設等機関
- 土木研究所→2001年4月に国土交通省国土技術政策総合研究所(国総研)発足後、国総研と独立行政法人(2006年4月現在の本部・つくば中央研究所)に再編。名称は変わらず。
- 建築研究所→2001年4月に国総研(立原庁舎)と独立行政法人に再編。名称は変わらず。
- 建設大学校→旧運輸省運輸研修所と統合し、国土交通大学校として再編。本部は旧建設大学校を本部に置く。
地方支分部局
- 地方建設局→旧運輸省の第一から第五港湾建設局との統合・管轄区域再編により、地方整備局に改組。管轄区域は旧地方建設局が中心となっている。
脚注
関連項目
外部リンク
- 建設省(Archived 2000年12月6日, at the Wayback Machine.)
建設省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 23:48 UTC 版)
まず最大の被災地となった荒川水系については、当初二級河川であった河川等級を翌1968年(昭和43年)に一級河川に昇格させた。そして荒川水系工事実施基本計画を策定して国直轄の治水対策を盛り込んだが、この際荒川水系に二箇所の多目的ダムを建設する計画を立てた。荒川本流は戦後の1952年(昭和27年)に荒川第一ダムと荒川第二ダムを建設して洪水調節を行う計画があったが、赤芝発電所の水利権獲得が先に行われており仮に計画を進めると赤芝ダムを水没させることから、結局計画を断念した経緯があった。その後も岩船ダムが完成したこともあり、荒川本流にはダム建設の有力地点が存在しなかった。このため支流の大石川と横川にダムを建設する計画をまとめ、1979年(昭和54年)に大石ダム(大石川)を、2008年(平成20年)には横川ダム(横川)を完成させた。大石ダム完成以降荒川においては死者を伴う水害は発生していない。 最上川水系については既に1965年(昭和40年)に一級河川の指定を受けており、治水事業の基本計画である最上川水系工事実施基本計画も同年策定されていた。だが羽越豪雨の被害を受け1974年(昭和49年)に計画の改訂が行われ、荒川と同様に多目的ダムによる治水対策を行う方針とした。既に最上川水系は1950年(昭和25年)の国土総合開発法制定により最上特定地域総合開発計画の指定を受け、県北部での河川改修とダム建設が行われていたが今回は最上川上流域である県南部の河川改修が主体となった。最上川本流もダム建設の適地がないことから本流には大久保遊水地を、支流で被害の大きかった置賜白川、置賜野川、寒河江川の三河川には多目的ダムを建設する方針とした。これにより1981年(昭和56年)に白川ダム(置賜白川)、1990年(平成2年)に寒河江ダム(寒河江川)、1997年(平成9年)には大久保遊水地が完成。最後に残った長井ダム(置賜野川)は2011年(平成23年)に完成した。 この河川整備により、1997年に最上川流域を襲った集中豪雨では羽越豪雨と同程度の豪雨が降り注いだにもかかわらず、家屋の浸水67戸と被害を最小限に抑制することができ、治水対策が有効に機能している。なお白川ダムでは当時反対運動が強かったが、羽越豪雨を機に水没予定地の住民との補償が急転直下でまとまっている。それだけ豪雨災害の影響が強かったことを物語っている。
※この「建設省」の解説は、「羽越豪雨」の解説の一部です。
「建設省」を含む「羽越豪雨」の記事については、「羽越豪雨」の概要を参照ください。
「建設省」の例文・使い方・用例・文例
- 建設省のページへのリンク