土地政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
土地詐欺を防止するための啓導・啓蒙を繰り返し、農民たちは自分の土地が測量されて地籍に上がるのを見て、積極的に協調したとされる。一方で、朝鮮総督府の土地調査事業や産米増殖計画によって、土地を取得する日本人と土地を失う朝鮮人が増加して、間島や東辺道を中心として80万人ともいわれる朝鮮人が満洲へと流入した。火田民や土幕民となったり、日本へ渡って定住や出稼ぎをする者が急増した。土地を追われた者の中には抗日運動に参加する者も多かったが、朝鮮総督府は流入を放置して、抗日運動家の取り締まりという名目で警察権を租借地へ拡大する口実とした。朝鮮人への対応を朝鮮総督府が放置した結果、朝鮮人と中国人の対立が激化して、万宝山事件のような衝突が起きた。これらの事件は、強硬論を盛り上げて満洲事変を起こすきっかけの1つとしても利用された。朝鮮人にはソ連国内を拠点にして抗日活動を行う者もおり、日本の満蒙問題には、朝鮮統治の安定化と共産主義対策も含まれるようになった。
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