きょうさん‐しゅぎ【共産主義】
共産主義
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共産主義(きょうさんしゅぎ、英: Communism、独: Kommunismus、露: Коммунизм、コミュニズム)とは、財産を私有ではなく共同体による所有(社会的所有)とすることで貧富の差をなくすことをめざす思想・運動・体制[1][2][3][4][5]。
- ^ 正式な表記「Советский Союз」は日本語では「ソビエト連邦」と訳されるが、「Сoюз」は「同盟」という意味を持つ。詳しくはソビエト連邦#名称を参照
- ^ 衛星国含む。
- ^ 日本では日本共産党(左派)や一部の日本の新左翼など。
- ^ ユーロコミュニズムと基本的には同様の傾向をもつが、非同盟と平和主義を正面に押し出した点が異なる。
- ^ ただ、1990年代後半以降、その急激な経済成長が祟って慢性的な電力不足に陥っている[要出典]。
- ^ 党の公式的な見解では「マルクス・レーニン主義の創造的適用」と説明される[47]。
- ^ スペイン共産党などユーロコミュニズムの流れをくむ諸政党、日本共産党など。
共産主義
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1930年代前半に数年間ヨーロッパを旅行した後に、ロブスンはソ連への訪問を打診されて、それを受け入れた。そこにいる間、ロブスンは丁重なもてなしをうけ、それには劇場、宴席、その他のアトラクションへの旅行も含まれた。ロブスンはこの新しい社会とそのリーダーシップに魅了されるようになり、「国には人種的偏見が完全になく、アフロアメリカンの霊歌は、ロシアの民衆の伝統に共鳴している。ここで、生まれて初めて、私は完全な人間の尊厳の中で歩く」と宣言した。 文章とスピーチを通じて、ロブスンはソ連とヨシフ・スターリンの外交・国内政策を擁護し続けた。大粛清の間、ロブスンはデイリー・ワーカー紙の記者に「ソビエト政府の働きを私が既に見てきたという点から、私が言えるのは、それに反対する挙手をした者は撃たれるべきであるということだけです!」と言ったとされている。NATOの結成後、ロブスンは1949年のパリ世界平和評議会でのスピーチで、「アメリカ黒人が数世代にわたって我々を圧迫し続けてきた国を代表して戦争に行くことは考えられない…ひとつの世代で私たちの同胞を完全な人類の尊厳に育て上げた国(ソ連)に対しては」と宣言した。シュガー・レイ・ロビンソンは、「ロブスンを知らないけれどももし会ったなら「口を殴ってやる」と言ってこれに返答した。多くのソ連を支持した元左翼が、そこで遂行される残虐行為を知って公的に彼らのかつての提携国を糾弾し始めていたにもかかわらず、ロブスンはソ連支持を固守した。 1950年3月、NBCは、元大統領夫人のエレノア・ルーズベルトのテレビ番組、「トゥデイ・ウィズ・ミセス・ルーズベルト」へのロブスンの出演予定をキャンセルした。NBCの広報は、今後ロブスンがNBCに出演することはないと宣言した。公民権議会のプレスリリースは、「ロブスン氏のテレビ出演への検閲は、市民権と人権のための黒人の戦いの傑出したスポークスマンを黙らせる粗雑な試みである」とし、「基本的な民主的権利は、反共産主義という煙幕の下で攻撃されている」と、これに反対を表明した。抗議団体はNBCのオフィスに抗議ピケを張り、抗議活動は多数の有名人、組織、その他から賛同を得た。 しかしながら、彼を取り巻く論争によって、ポール・ロブスンの録音物と映画のすべては流通から除外された。この時から1970年代末までのアメリカ合衆国では、ロブスンの歌をレコードやラジオで聞いたり、非常に高く評価されて成功した1936年の映画版『ショーボート』などの映画を見たりすることは、不可能ではないにせよ、ますます難しくなった。 1950年代後半(と1960年代のすべて)の聴衆が知る限りにおいては、唯一のショーボートの映画版は、1951年のMGMのテクニカラー版で、そこでは1936年の映画版でロブスンが演じた役を、バスバリトンのウィリアム・ワーフィールド(英語版)が演じた。 1952年、ロブスンはスターリン平和賞を受賞した。1953年4月、スターリンの死の直後、ロブスンは「最愛の同志のあなたへ」と題された追悼を書き、その中で彼はスターリンの「深い人間性」、「賢明な理解」、そして彼のことを「賢明で良い」と称え、世界の全人類との平和な共存への専念を称賛した。
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共産主義
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「W・E・B・デュボイス」の記事における「共産主義」の解説
デュボイスは1951年のPICの裁判において、多くの白人と黒人の労働者階級が熱心に彼を支援する一方で、彼の仲間たち、特にNAACPからの支援がなかったことに酷く失望した。この裁判の後、デュボイスはマンハッタンに住み、著作と講演、そして主に左派の知人たちとの交流を続けた。彼がまず懸念していたのは世界平和であり、朝鮮戦争のような軍事行動を激しく非難した。彼の考えでは、この戦争は帝国主義者の白人が有色人種を服従させ続けるために行った戦争遂行努力であった。 1950年、当時82歳のデュボイスはアメリカ労働党(英語版)からニューヨーク州の上院議員候補(英語版)として立候補し、州の総票数の4パーセント、200,000万票の得票を得た。デュボイスは全世界で有色人種が隷属を強いられているのは何よりも資本主義に原因があると考え続けており、そのため-ソヴィエト連邦の欠点を認めていたものの-、人種問題を解決し得るものとして共産主義を支持し続けた。伝記作家デーヴィッド・ルイスは、デュボイスは共産主義それ自体を支持してはおらず「敵の敵は味方(the enemies of his enemies were his friends)」であるが故に支持したのだ、としている。ヨシフ・スターリンに対するデュボイスの見解も、共産主義に対するデュボイスの見解と同種の曖昧さによって特徴づけられている。1940年に彼は「圧制者スターリン(Tyrant Stalin)」と侮蔑的に書いた。しかし1953年にスターリンが死亡した時、デュボイスはスターリンを「シンプルで落ち着き、勇敢である(simple, calm, and courageous)」とする賛辞を書き、「初めて人種的偏見を征服する道をロシアに敷き、140もの民族の個性を破壊することなく1つの国家を築き上げた」と称賛した。 合衆国政府は1955年にインドネシアのジャカルタでバンドン会議が開催されたとき、デュボイスの参加を阻止した。この会議は40年にわたるデュボイスの夢の到達点そのものであった。世界の有色人種の大多数を代表するアフリカとアジアの29ヶ国が参加し、その多くが独立したばかりの国であった。会議の参加国は彼らの独立を祝い、冷戦における非同盟諸国としての力を主張し始めた。1958年、デュボイスはパスポートを取り戻して、2人目の妻であるシャーリー・グラハム・デュボイス(英語版)と世界中を旅し、ソヴィエトと中国を訪れた。どちらの国でもデュボイスは歓迎され、後に両国の状況について満足げに書いている。 1961年にアメリカの連邦最高裁がマッカーシズムによる立法の中核要素である1950年のマッカラン国内保安法(英語版)(共産主義者をアメリカ政府に登録すること義務付ける法律)を支持する判断を下すと(英語版)、デュボイスはこれに激怒した。彼は怒りを表現するため、1961年10月に93歳で共産党に入党した。この頃、彼は「私は共産主義を信ずる。私が言う共産主義とは、富の生産における計画性のある生き方と国家建設を目的とした労働であり、その目的は単に一部の利益を図ることではなく人々の最高の福祉である」と書いている。彼は共産主義者・アフリカ系アメリカ人の歴史の歴史学者であったハーバート・アプテカー(英語版)に自身の遺作管理者(literary executor)になることを依頼した。
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共産主義
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ヨシフ・スターリンやポル・ポトのような共産主義指導者の賛美者であったユーロニモスは、ノルウェーの共産主義者青年団 Rød Ungdom のメンバーであった。サテリコンのメンバーで親交のあったフロストによれば、ユーロニモスはそこでリーダーシップのスキルを磨き、初期ノルウェーブラックメタルシーンにおいてこのスキルを活用して「ブラックメタル・インナーサークル」を主導したという。ユーロニモスはスターリンやポル・ポトが実行したような全体主義的な共産主義解釈を支持し、非抑圧的な共産主義解釈を自ら公然と拒絶した。
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共産主義
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「1844年の経済哲学手稿」の記事における「共産主義」の解説
マルクスは第3稿で共産主義の概念について論じている。マルクスにとって、共産主義とは「私有財産の廃止の積極的表現」である。マルクスはここで、それまでの社会主義作家は、疎外の克服について部分的で不満足な洞察しか提供してこなかったと主張する。彼は、資本の廃止を唱えたプルードン、農業労働への復帰を唱えたフーリエ、工業労働の正しい組織化を唱えたサン=シモンについて言及している。 マルクスは、不適切と考える2つの共産主義の形態を論じている。第一は、「粗野な共産主義」-私有財産の普遍化-である。この形態の共産主義は、労働者というカテゴリーを廃止するのではなく、すべての人間にそれを拡大するため、「あらゆる領域で人間の人格を否定する」ものである。それは、「文化と文明の世界全体を抽象的に否定するもの」である。ここでは、唯一の共同体は、(疎外された)労働者の共同体であり、唯一の平等は、普遍的資本家としての共同体によって支払われる賃金のものである。 マルクスが不完全と見なす共産主義の第二の形態は、次の二種類に分けられる。 依然として政治的性格をもち、民主的または専制的なもの。 国家を廃止したもの いずれも依然として本質的に不完全で、私有財産、すなわち人間の疎外に影響されたものである。デイヴィッド・マクレラン(英語版)はここでマルクスが、エティエンヌ・カベ(英語版)のユートピア的共産主義を民主主義、グラックス・バブーフの信奉者が唱えたプロレタリアートの独裁を専制的共産主義、そして国家の廃止をテオドール・デザミー(英語版)の共産主義としていることを指摘している。「粗雑な共産主義」の本質を論じた上で、マルクスは自らの共産主義の考えを次のように述べている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} 共産主義は、「人間の自己離反」としての「私有財産」、したがって、人間を通じて、人間のための「人間」の本質の真の「占有」に積極的に取って代わることである。それは、人間が「社会的」、すなわち人間として完全に自己回復すること、意識化した回復、以前の発展期の富全体の中で行われる回復なのである。この共産主義は、完全に発展した自然主義としてヒューマニズムに等しく、完全に発展したヒューマニズムとして自然主義に等しい。それは、人間と自然、人間と人間の間の対立の「真の」解決、存在と存在、対象化と自己肯定、自由と必要、個人と種の間の対立の真の解決なのである。それは歴史の謎の解決策であり、自分自身が解決策であることを知っている。 マルクスは、共産主義の概念について、その歴史的基盤、社会的性格、個人への配慮という三つの側面を深く論じている。 マルクスはまず、自分の共産主義と他の「未発達な」形態の共産主義を区別する。彼は、私有財産に反対した歴史的な共同体の形態に訴えて自らを正当化する共産主義の例として、カベやヴィレガルデルの共産主義を挙げる。この共産主義が過去の歴史の孤立した側面やエポックに訴えるのに対し、マルクスの共産主義は、「歴史の全運動」に基づいている。それは、「私有財産の運動、より正確に言えば、経済の運動にその経験的および理論的基礎を見出す」のである。人間生活の最も基本的な疎外は、私有財産の存在に表れており、この疎外は、人間の実生活-経済的領域-において生じるものである。宗教的な疎外は、人間の意識の中にのみ生じる。したがって、私有財産の克服は、宗教、家族、国家など、他のすべての疎外感の克服になるのである。 マルクスは、第二に、人間が自分自身に対して、他の人間に対して、また、非独占的な状況において生産するものに対しての関係は、労働の社会的性格こそが基本であることを示していると主張する。マルクスは、人間と社会との間には、社会が人間を生産し、人間によって生産されるという相互関係があると考える。人間と社会との間に相互関係があるように、人間と自然との間にも相互関係がある。 「したがって社会は、人間と自然との本質的な完全な統一であり、自然の真の復活であり、人間の実現した自然主義であり、自然の実現した人間主義である。」 人間の本質的な能力は、社会的な交わりにおいて生み出される。孤立して働くとき、彼は人間であることによって社会的な行為を行い、言葉を使う思考さえも社会的な活動である。 このように人間の存在の社会的側面を強調することは、人間の個性を破壊するものではない。 「人間は、どんなにそれゆえ特定の個人であろうとも-まさにこの特殊性こそが彼を個人とし、真の個々の共同体的存在とするのであるが-それと同じくらい全体性、理想的全体性、思考の主観的経験、それ自体のための社会を経験したものである。」 マルクスの第3稿の残りの部分は、全体的な、全面的な、無権利の人間についての彼の観念を説明している。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る、考える、観察する、感じる、欲望する、行動する、愛する、これらすべてが現実を充足する手段となるのである。私有財産が人間を条件づけ、実際に使用するときだけ自分のものであると想像できるようにしているので、疎外された人間にとってこれを想像することは困難である。その場合でも、その対象は、労働と資本の創造からなると理解される生活を維持するための手段としてのみ使用される。マルクスは「すべての身体的、知的な感覚が、一つの疎外-持つということ-に取って代わられたと考えている。私有財産に取って代わられることは、人間のすべての感覚と属性が完全に解放されることである。したがって必要性や満足はエゴイスティックな性質を失い、自然は「その利用が人間の利用になったという意味において」単なる有用性を失うだろう」と主張している。人間がある対象に没頭しなくなると、彼の能力がその対象に適合する方法が全く異なるものになる。無権利者が充当する対象は、彼の本性に対応するものである。飢えた人間は、純粋に動物的な方法でしか食べ物を評価できないし、鉱物の商人は、その品物に美ではなく価値しか見出せない。私有財産を超越することによって、人間の能力は解放され、人間的な能力となる。主観主義と客観主義、精神主義と物質主義、活動と受動性といった抽象的な知的対立が消滅し、人間の文化的潜在能力が完全かつ調和的に発展することになるのである。「人間の実践的なエネルギーが、人生の真の問題に取り組むことになる。 マルクスは次に、宗教、政治、芸術の歴史ではなく、産業の歴史こそが人間の本質的な能力を明らかにするものであると、後のマルクスによる史的唯物論の詳細な説明を先取りする一節を述べている。産業は人間の能力と心理を明らかにするものであり、したがって、人間に関するあらゆる科学の基礎となるものである。産業の巨大な成長は、自然科学が人間の生活を一変させることを可能にした。マルクスは、先に人間と自然との間に相互関係を確立したように、自然科学がいつの日か人間の科学を含み、人間の科学が自然科学を含むようになると考えているのである。マルクスは、フォイエルバッハが述べたような人間の感覚-経験が、一つの全面的な科学の基礎を形成しうると考えている。
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共産主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:22 UTC 版)
マルクスとエンゲルスは、1847年に設立された共産主義者同盟の綱領の起草を委託され、1848年に『共産党宣言』を書いた。そこでは、人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの、隠然または公然の階級闘争の歴史であるとされ、近代社会はブルジョワジーとプロレタリアートにますます分裂しつつあるとした。プロレタリアートは、自分の労働力を売って生活するしかない多くの人びとである。プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることによって、社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれるとした。 マルクスは1864年に設立された国際労働者協会の創立宣言を書いた。1871年にフランスでパリ・コミューンが成立すると、国際労働者協会総評議会の全協会員への呼びかけとして『フランスの内乱(英語版)』を書き、パリ・コミューンを「本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」と称賛した。エンゲルスは1891年に発行されたこの著作のドイツ語第三版の序文で、パリ・コミューンをプロレタリアート独裁の実例とした。 ドイツの労働者政党の綱領草案に対する批判として1875年に書かれた『ゴータ綱領批判』において、マルクスは共産主義社会を分配の原則から低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る(英語版)」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた。また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリアート独裁とした。
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共産主義
出典:『Wiktionary』 (2021/07/31 13:21 UTC 版)
名詞
- 財産を共有し、平等な社会をつくろうとする思想や運動。カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスによって体系づけられ、20世紀に入ってウラジーミル・レーニンらによって発展させられた。現在ではマルクス・レーニン主義をはじめ、ユーロコミュニズム、トロツキズム、毛沢東思想など、いろいろな種類がある。
対義語
関連語
翻訳
- アフリカーンス語: kommunisme (af)
- アラゴン語: comunismo 男性
- アラビア語: شيوعية (ar) (shuyu3íyya) 女性
- アストゥリアス語: comunismu 男性
- アゼルバイジャン語: kommunizm
- ベラルーシ語: камунізм (be) (kamunízm) 男性
- ブルガリア語: комунизъм (bg) (komunízăm) 男性
- カタルーニャ語: comunisme (ca) 男性
- チェコ語: komunismus (cs) 男性
- ウェールズ語: comiwnyddiaeth (cy)
- デンマーク語: kommunisme (da) 通性
- ドイツ語: Kommunismus (de) 男性
- ギリシア語: κομμουνισμός (el) (kommounismós) 男性
- 英語: communism
- エスペラント: komunismo (eo)
- スペイン語: comunismo (es) 男性
- エストニア語: kommunism (et)
- バスク語: komunismo (eu)
- ペルシア語: کمونیسم (fa) (komunism)
- フィンランド語: kommunismi (fi)
- フェロー語: kommunisma (fo)
- フランス語: communisme (fr) 男性
- 西フリジア語: kommunisme (fy) 中性
- アイルランド語: cumannachas (ga) 男性
- ガリシア語: comunismo (gl) 男性
- スコットランド・ゲール語: comannachd (gd) 女性, co-mhaoineas (gd) 男性
- マン島語: cummynys (gv)
- ヘブライ語: קומוניזם (he) (qomunízm) 男性
- ヒンディー語: साम्यवाद (hi) (sāmyavād) 男性
- ハンガリー語: kommunizmus (hu)
- アルメニア語: կոմունիզմ (hy) (komunizm)
- インドネシア語: komunisme (id)
- イド語: komunismo (io)
- アイスランド語: kommúnismi (is)
- イタリア語: comunismo (it) 男性
- グルジア語: კომუნიზმი (ka) (komunizmi)
- 朝鮮語: 공산주의 (ko) (gongsanjuui) (共產主義 (ko))
- ラテン語: communismus (la) 男性
- ルクセンブルク語: Kommunismus 男性
- ラーオ語: ລັດທິຄອມມູນິດ (lo) (latthi-khöömmuunit)
- リトアニア語: komunizmas (lt)
- ラトヴィア語: komunisms (lv) 男性
- マケドニア語: комунизам (mk) (komunízam) 男性
- マラヤーラム語: കമ്യൂണിസം
- マラーティー語: साम्यवाद
- マレー語: komunisme
- ビルマ語: ကွန်မြူနစ်စနစ် (my)
- 低地ドイツ語: Kommunismus 男性
- オランダ語: communisme (nl) 中性
- ノルウェー語: kommunisme (no) 男性
- オック語: comunisme (oc) 男性
- ポーランド語: komunizm (pl) 男性
- ポルトガル語: comunismo (pt) 男性
- ケチュア語: kumunismu
- ルーマニア語: comunism (ro) 中性
- ロシア語: коммунизм (ru) (kommunízm) 男性
- シチリア語: cumunismu (scn) 男性
- セルビア・クロアチア語: комунѝзам (sh) 男性
- スロヴァキア語: komunizmus (sk) 男性
- スロヴェニア語: komunizem (sl) 男性
- スウェーデン語: kommunism (sv) 通性
- タミル語: பொதுவுடமை (ta)
- タイ語: ลัทธิคอมมิวนิสต์ (th) (láttí kommiwnít)
- タガログ語: komunismo
- トルコ語: komünizm (tr), komünistlik (tr)
- ウクライナ語: комунізм (uk) (komunízm) 男性
- ウルドゥー語: سامیواد (ur) (sāmyavād) 男性
- ベトナム語: chủ nghĩa cộng sản (vi) (主義共產 (vi))
- ヴォラピュク: kobädim (vo)
- イディッシュ語: קאמוניזם (yi) (komunizm) 男性
- 中国語: 共產主義 (cmn), 共产主义 (cmn) (gòngchǎnzhǔyì)
「共産主義」の例文・使い方・用例・文例
- 共産主義諸国
- 共産主義
- 彼らは共産主義者としてブラックリストに載っていた。
- 彼は共産主義の征服者と呼ばれた。
- ついに、その共産主義者は手づよい味方を得た。
- 反体制指導者らは、共産主義者が少数野党に転落することもあり得るとしています。
- 信仰の問題を考えると、30年代、および西欧の共産主義との恋愛ということに向かわざるをえない。
- 若いとき彼はしばらくの間共産主義をもてあそんだ。
- 最近共産主義は拡大した。
- 君が共産主義者にならないように希望する。
- 共産主義はソビエト社会主義共和国の政治体制だったが、1993年に崩壊した。
- 共産主義はソ連で実践された体制である。
- 共産主義の下では、生産手段は国有化される。
- 共産主義が崩壊したことにより、今や資本主義が「世界を支配」しようとしているという非難を浴びている。
- ついに、その共産主義者は手強い相手に屈した。
- アメリカ人がファシズムを受け入れないのは、共産主義を受け入れないのと同じだ。
- 一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が。
- 共産主義は二つの世界大戦の間にアメリカ合衆国でかなり流行した.
- 共産主義化する[労働党側になる, 民主党につく].
- その組織には共産主義者が入り込んでいる.
共産主義と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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