民族ボルシェヴィズム
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第三の位置 |
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民族ボルシェヴィズム(ドイツ語: Nationalbolschewismus、ロシア語: национал-большевизм) あるいはナショナル・ボルシェヴィズム、国家ボルシェヴィズム、国民ボルシェヴィズムとは、ナショナリズムとボルシェヴィズムとを融合させた政治思想。保守革命の一種とされる。エスノセントリズムと反資本主義との習合思想として見なされるも、今日の「第三の位置」的潮流の淵源と見る向きもある。
概要
民族ボルシェヴィズムはヴァイマル共和政時代のドイツで始まった。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約に反発したドイツの民族主義者、例えば作家エルンスト・ユンガーは『労働者。支配と形態』を発表し、ドイツ社会民主党から転向したエルンスト・ニキシュはドイツ共産党との共闘の上での直接行動によって資本主義の打倒を主張した。ナチスでもバンベルク会議でアドルフ・ヒトラーはグレゴール・シュトラッサー、オットー・シュトラッサー兄弟らナチス左派を「民族ボルシェヴィスト」と断じ、指導者原理を訴えた。このことをゲッベルスは日記で「我々の課題はボルシェヴィズムの粉砕であるだって?ボルシェヴィズムはユダヤ人のこしらえ物であるだって?」と批判している。ロシアでは1992年にアレクサンドル・ドゥーギンとエドワルド・リモノフがこの運動を始め、国家ボリシェヴィキ党を立ち上げた。プーチン政権打倒を主張している。反米、ホモフォビアの傾向を持ち、ロシア国外ではウクライナやベラルーシの他に、移民の多いイスラエルにも信奉者が居るとされている。
ワイマール期におけるナショナル・ボルシェヴィズム

ワイマール期においてナショナル・ボルシェヴィズムという概念は、ボルシェヴィズムの祖国ロシアへの依存、提携を重視する多種多様の民族主義運動の上位概念だった。この運動の巾は、ロシアとの外交政策上の了解というそれほどボルシェヴィズム的とは言えない理念から、ドイツにおける国家共産主義の変種にいたるまで大きく広がっている。
ドイツ共産党では党の路線を民族的方向に転換させようとする試みがあった。ハンブルク支部の二人の共産党員ラウフェンベルク(de)とフリッツ・ヴォルフハイムによって初めて正式に表明されたドイツ共産党内の国家共産主義の動きは、当初激しく批判されたが、1922年には「虚無へのさすらい人シュラゲター」と題するラデックのセンセーショナルな演説によって間接的に党から承認された。
関連項目
民族ボルシェヴィズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 16:05 UTC 版)
「フリッツ・ヴォルフハイム」の記事における「民族ボルシェヴィズム」の解説
ハインリヒ・ラウフェンベルクら党幹部が、KPDハンブルク支部内で強力な支持基盤を築くと、ヴォルフハイムもラウフェンベルクに共鳴、長らく協力者となった。両者はKPDハンブルク支部の領袖として帝国主義を攻撃。第一次世界大戦最中の1915年、共同でパンフレットを発行するが、パンフレットではSPDが支持していた主戦論を真向から批判している。 ヴォルフハイムとラウフェンベルクの考えは「民族ボルシェヴィズム」として既に知られていたが、第一次世界大戦終結後の1919年10月、カール・ラデックをして「ソビエト連邦と連携して連合国との戦争を継続するべく、ナショナリズムを動員してプロレタリアート独裁を固めるべき」と言わしめている。 民族ボルシェヴィズムは、階級闘争を犠牲にしてまで民族解放への共闘を強調したため、正統派マルクス主義からは疎んじられる存在であった。ヴォルフハイムは革命を成就するため、極左武装組織は極右のフライコールとも合流しうるさえ主張しており、レーニンにより荒唐無稽として退けられている。一方でラデックもこうしたヴォルフハイムの計画を厳しく批判。 なお、これよりはるか以前にヴォルフハイムは、ラウフェンベルクと共謀してヴィルヘルム・ピークからの権力奪取を目論んだため、KPDから除名処分を受けている。 その後、ラウフェンベルクやヤン・アペルと共にハイデルベルクでの会議に出席、ドイツ共産主義労働者党(KAPD)を立ち上げ、同党の創設メンバーとなった。しかし1920年までには、民族ボルシェヴィズムを理由に同党からも除名。 カップ一揆直前にエルンスト・グラフ・ツー・レーヴェントローと遭っていた他、右派のパウル・フォン・レットウ=フォルベックとも個人的に親しかったという。
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