民族統一主義
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民族統一主義(みんぞくとういつしゅぎ、英語: irredentism)とは、同一民族の居住地域であるにもかかわらず、歴史的経緯から複数国家の領域となっている地域を自国に編入しようとする運動のことである。「同一民族統一(併合)主義」とも呼ぶ。
概要
本来、この用語は19世紀のイタリア統一後、イタリア人が住む土地でありながらオーストリア=ハンガリー帝国の領土となっている南チロルやトリエステ(未回収のイタリア)をイタリアへ編入しようとする思想や運動のことを指していた。それが転じて他の地域の同様な思想についても用いられるようになった。
従って原語の「イレデンティズム」(Irredentism) は、イタリア語の「未回収のイタリア」(Italia irredenta, イターリャ・イッレデンタ) に由来する。
この思想は当該地域の領有国家間において深刻な対立を招くことがあり、しばしば民族紛争に発展することがある。
憲法に定められた民族統一主義
- アルゼンチン:1994年改正のアルゼンチン国家憲法第1章で、マルビナス諸島(フォークランド諸島)、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島の領有を定めている。政府は、これらにアルゼンチン領南極とティエラ・デル・フエゴ東部を合わせてティエラ・デル・フエゴ州としている。
- 大韓民国:1948年制定の大韓民国憲法では、その領土を「韓半島とその付属島嶼」としている。
- コモロ:1999年制定のコモロ連合憲法第1条は、コモロがグランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島だけで無く、現フランス領のマヨット島も含めて構成されると定めている。
- 中華人民共和国:1982年制定の中華人民共和国憲法前文にて台湾の領有を定めており、祖国統一の責務を「台湾の同胞」にも課している。
- 中華民国:1946年制定の中華民国憲法第4条は、領土が「固有の領域」によって成立しており、その範囲の変更は国民大会でのみ可能としている。そのため、政府は行政資料上2006年まで大陸地区(蒙古地方も含めた中国大陸)の領有権を主張していたが、2007年以降は主張を表明していない。
- ボリビア:2009年制定のボリビア憲法第267条で「太平洋とその海洋空間へのアクセスを可能とする領土の権利は放棄出来ない」と定めている。これは1879年から1884年の太平洋戦争でチリに奪われたタラパカ州を指している。この敗戦によってボリビアは内陸国になった。
民族単位での統一主義
アジア
- アゼルバイジャン:全アゼルバイジャン
- アラブ首長国連邦:大小トンブ島
- アラブ民族:汎アラブ主義
- アルメニア:統一アルメニア・ミアツム
- イエメン:大イエメン
- イスラエル:大イスラエル、ネオ・シオニズム
- イラク:イラクのナショナリズム
- イラン:大イラン、汎イラン主義
- インドネシア:大インドネシア
- 韓国・北朝鮮:朝鮮統一問題
- クルディスタン:クルディスタン・ナショナリズム
- シリア:大シリア主義
- スリランカ:タミル人
- ティモール島:大ティモール
- テュルク系民族:汎テュルク主義 ・ミサク・ミリ・タクシム
- ネパール:大ネパール
- バングラデシュ:大バングラデシュ
- フィリピン:大フィリピン
- モンゴル国:汎モンゴル主義
- レバノン:レバノンのナショナリズム
アフリカ
ヨーロッパ
- アイルランド:統一アイルランド
- イギリス:ロッコール海盆紛争
- イタリア:未回収のイタリア (Italian irredentism)・イタリア帝国
- オランダ:大ネーデルラント
- ギリシャ/キプロス:エノシス - 東方正教系住民による旧英領キプロスのギリシャへの分離・合邦運動
- スカンジナビア半島:汎スカンディナヴィア主義
- スペイン・ポルトガル:イベリスモ
- スラブ人:汎スラヴ主義
- デンマーク:デンマークの領域
- ドイツ:汎ゲルマン主義、ドイツ問題
- バスク:バスク国 (歴史的な領域)
- ハンガリー:ハンガリー王国の歴史的地域、大ハンガリー主義(ハンガリーの民族統一主義)。
- フィンランド:大フィンランド
- フランス:フランスの自然国境・ラッタチズム
- ロシア:ユーラシア主義
- 南チロル分離運動
バルカン半島
多様な民族が混在し、歴史の中で国境が大きく変動し続けたバルカン半島においては、多くの民族で自民族による民族統一主義の主張が見られる。
- バルカン連邦構想
- かつての南スラヴ人 - 第一次世界大戦後、南スラブ系諸民族を統合するユーゴスラビアとして成立することになった。
- メガリ・イデア - かつてのギリシャは、これに基づいてコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)やアナトリア半島におけるギリシャ系住民の居住地をギリシャへ統合すべきとしていた。
- 統一マケドニア - ギリシャ、ブルガリア、マケドニア共和国、セルビア、コソボ、アルバニアにまたがるマケドニア地方全域をマケドニア人の土地とみなす。
- 大ブルガリア - マケドニア地方、トラキア、北ドブロジャを潜在的なブルガリア領とみなす。
- 大ルーマニア - 現在のルーマニア領に加え、南ドブロジャ、ベッサラビアを潜在的なルーマニア領とみなす。
- 大アルバニア - アルバニア人が居住するアルバニア、マケドニア共和国西部、モンテネグロ南部、コソボ、セルビア南部、ギリシャ北西部を潜在的なアルバニア領とみなす。アルバニアとコソボの統一。イリリダ共和国。
アメリカ
地域単位での統一主義
- アフガニスタン:1893年に定められたデュアランド線で、パシュトゥン人の居住地がアフガニスタンとイギリス領インド帝国に分割。1947年のパキスタン独立後、アフガニスタン政府はパシュトゥン人地域(パシュトゥーニスタン)を同国の下で統一する事を宣言し、1960年代までパキスタンと対立した。
- 統一インド:インドとパキスタン、バングラデシュを統合する概念。
大陸単位での統一主義
関連項目
民族統一主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/20 17:30 UTC 版)
「イラクのナショナリズム」の記事における「民族統一主義」の解説
1932年に独立した後すぐに、イラク政府は「クウェートは第一次世界大戦後イギリスがクウェートを建国するまでイラクの領土であって、イギリスの帝国主義による産物である」と述べ、クウェートはまさしくイラクの領土であると主張した。 カーシム政権はイランのフーゼスターン州に民族統一を行うよう勧告し、クウェートに対しても同様の勧告を行った。 サッダーム・フセインもまたこれらの領土を併合しようとした。イラン・イラク戦争では、イラクはフーゼスターンを併合しようとした。サッダームはイラクを中心に興ったアフヴァーズ解放運動を支援し、フーゼスターン州に住むアラブ人がイラクの行動を支持すると期待していた。また、湾岸戦争では、イラクは多国籍軍がクウェート支援を行うまでクウェートを占領、併合した。 クウェート併合後、イラク軍はサウジアラビア国境に駐留し、外国の情報機関は、サッダームが国境すぐ近くにある油田地域を攻撃するつもりではないかと疑った。サッダーム・フセインはサウジアラビアの東部州の一部であり、オスマン帝国時代はバスラ州としてイラクの一部であり、1913年にイギリスの援助によりサウジアラビアの支配下に入ったアル・ハサを併合するつもりではないかとも疑われていた。サッダームはクウェートとアル・ハサという産油地帯を併合し、イラクはペルシャ湾の広大な油田を支配下に収め、中東における一大支配勢力になるつもりだと信じられていた。サウジアラビア政府はイラクに併合されたクウェートとサウジアラビアの国境にイラクが大規模軍隊を駐留させていることについて警告を行い、アメリカ合衆国に対しても、イラクはサウジアラビアの東部州にすぐにでも侵攻しようとしていると警告した。サウジアラビア政府は外部からの援助がなかったならば、イラクは東部州を6時間で占領、支配下に収めたであろうと述べている。
※この「民族統一主義」の解説は、「イラクのナショナリズム」の解説の一部です。
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「民族統一主義」の例文・使い方・用例・文例
- 最初の民族統一主義の支持者のうちの1人はジュゼッペ・ガリバルディである。
- 民族統一主義の支持者
民族統一主義と同じ種類の言葉
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