ベッサラビア【Bessarabia】
ベッサラビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 02:22 UTC 版)
ベッサラビア(英語: Bessarabia, トルコ語: Besarabya)、またはバサラビア(ルーマニア語: Basarabia, モルダヴィア語: Басарабиа, ウクライナ語: Бессарабія)[1]は、1806年の露土戦争の結果、ルーマニア人のモルダヴィア公国領を、当時宗主権を持っていたオスマン帝国がロシアに一部割譲した際に、割譲した公国東部地方をロシア側が指した名称である。モルダヴィア公国の残余部分は1859年、ワラキア公国と同君連合を形成し、1881年にルーマニア王国となった。1918年、ベッサラビアは革命後のロシアから独立を宣言。第一次世界大戦終結時にはルーマニアと合併した。第二次世界大戦初期の1940年、ソビエト連邦によって併合。1941年から44年までのルーマニア占領期を経て、大戦末期の1944年、ソビエト連邦が再占領し、モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国に再編した。北部と南部の一部地域はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に組み入れられた。1991年、モルダヴィアはソビエト連邦から独立を宣言し、モルドバ共和国となった。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『ベッサラビア』 - コトバンク
- ^ ポロンスキ 1993, p. 109
- ^ ポロンスキ 1993, p. 128
- ^ ポロンスキ 1993, p. 123
- ^ 独ソ不可侵条約秘密議定書 - ウィキソース英訳版
- ^ ポロンスキ 1993, p. 124
- ^ ルーマニア、ソ連にベッサラビアを割譲『東京朝日新聞』(昭和15年6月28日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p384 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ a b ポロンスキ 1993, p. 126
- ^ ポロンスキ 1993, p. 184
- 1 ベッサラビアとは
- 2 ベッサラビアの概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
ベッサラビアと同じ種類の言葉
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