大ルーマニアにおけるベッサラビアとは? わかりやすく解説

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大ルーマニアにおけるベッサラビア(1918年 - 1940年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 04:02 UTC 版)

モルドバの言語・民族性問題」の記事における「大ルーマニアにおけるベッサラビア(1918年 - 1940年)」の解説

1918年、スファントゥル・ツァリイ(Sfatul Ţării、ベッサラビア議会)はルーマニアとの統合 (Union of Bessarabia with Romania)を決議した当時ベッサラビアルーマニア軍占領下にあった。スファントゥル・ツァリイはルーマニア軍協力求めたとも言われているが、アメリカ合衆国の歴史学者チャールズ・アプソン・クラーク (Charles Upson Clark)は、スファントゥルの議長ルーマニア軍地域招き入れたベッサラビア暫定政府への抗議、そしてルーマニア軍迅速な撤退求める強い抗議があったことを記している。こうした情勢考慮して決議は、ルーマニア学者クリスティナ・ペトレスク (Cristina Petrescu)やアメリカ合衆国の歴史学者チャールズ・キング (Charles King)らによって論点となってきた。対して歴史学者のソリン・アレクサンドレスク (Sorin Alexandrescu)は、ルーマニア軍ベッサラビア進駐は、「統合原因ではなく統合固定化したのみであった」としている。同様に自転車大ルーマニア各地くまなく旅したバーナード・ニューマン (Bernard Newman)は、議決ベッサラビア趨勢占め統合へ願い反映したものでない可能性低くルーマニアへ統合へと至る一連の出来事からみても、併合に関して疑問点はなく、ベッサラビア人々自身による自発的な行動であったとしている。 エマニュエル・ド・マルトンヌ (Emmanuel de Martonne)を引用し歴史学者のイリーナ・リヴェゼアヌ (Irina Livezeanu)は、統合当時ベッサラビア農民は「依然として自身モルダヴィア人呼んでいた」としている。更に、ブコヴィナにおける同様の事項に関するイオン・ニストル (Ion Nistor)による1915年説明から、当地農民自身モルダヴィア人呼んでいたが、「(ルーマニア語標準語普及に伴い、『モルダヴィア人』の語が『ルーマニア人』へと置き換わった」なかで、「ベッサラビアにはその影響及んでいなかった」としている。 統一後ルーマニア国家は全てのルーマニア語話者に共通の民族意識植えつけることに邁進した。この時期フランスルーマニアの軍事報告には、新しルーマニア統治機構対する、モルダヴィアを含む地域住民閉口反発への言及みられるルーマニア政府関係者の間でも、都市部に住む一部ロシア化された知識層の間で、モルダヴィア語あるいはルーマニア語への拒否反応があったと報告している。リヴェゼアヌはまた、教育受けたモルダヴィア人の間で、ルーマニア国家を未開の国とみなし、軽視する風潮があることを指摘している。ベッサラビアでは、大ルーマニア他の地域比べて開発遅れていたことや、新しルーマニア統治機構への不適合汚職などにより、「ベッサラビア農民ルーマニア人にする」プロセスは他のルーマニア地域よりも遅れており、後のソヴィエト占領下時代打ち崩された。クリスティナ・ペトレスクは、ロシア・ツァーリズムの統治から、中央集権化されたルーマニア国家の統治への移行の中でモルダヴィア人疎外され、「同胞との統一」よりも占領されたとの思いを抱かせたと指摘している。ベッサラビアバルツィ郡の々に住む住民語ったに基づき、ペトレスクは、ベッサラビアルーマニア中央政府が「共通の民族意識導入する」ことに成功しなかった唯一の地域であるとし、住民多くは「自身ルーマニア一部とすら思わず、政府主張反し地域的なアイデンティティをもつのみであった」と述べている。

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