大ロシア合奏団とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大ロシア合奏団の意味・解説 

大ロシア合奏団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 14:10 UTC 版)

ロシア民族楽器オーケストラ」の記事における「大ロシア合奏団」の解説

19世紀末ロシア首都サンクトペテルブルクにはイタリア・オペラをはじめとした西ヨーロッパ諸国音楽とともにさまざまな楽器入ってきていた。こうした音楽的風潮対し、「わがロシア楽器のみによるオリジナルオーケストラ」を思い立ったのがワシーリー・アンドレーエフである。アンドレーエフは、バラライカドムラ音楽的可能性引き上げるため、構造的な改良を施すとともに奏法工夫考案した。「大ロシア合奏団」設立当初バラライカ群とドムラ群を組み合わせ2種類グースリ取り入れた22編成であったが、その後音域合わせて開発した4種類グドーク加わった。 「大ロシア合奏団」を率いたアンドレーエフは、ツァーリ政府妨害を受けながらもロシア国内演奏旅行し、作家マクシム・ゴーリキー画家イリヤ・レーピン声楽家フョードル・シャリアピンらが彼のオーケストラ支持したシャリアピンは、アンドレーエフコンサート出演してロシア民謡歌った1908年から1911年にかけて、「大ロシア合奏団」はドイツイギリスフランスアメリカ演奏旅行し、成功収めた。この結果各地でロシア・バラライカ演奏家協会ロシア民族楽器オーケストラ生まれ音楽学校バラライカドムラ演奏カリキュラム導入された。 1917年ロシア革命が起こると、アンドレーエフと「大ロシア合奏団」はソビエト政府協力しロシア内戦時には前線コンサートをして回った1918年アンドレーエフ没すると、彼の構想レニングラード(現サンクトペテルブルク)とモスクワ二つのプロ・オーケストラに引き継がれた。

※この「大ロシア合奏団」の解説は、「ロシア民族楽器オーケストラ」の解説の一部です。
「大ロシア合奏団」を含む「ロシア民族楽器オーケストラ」の記事については、「ロシア民族楽器オーケストラ」の概要を参照ください。


大ロシア合奏団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 03:08 UTC 版)

ワシーリー・アンドレーエフ」の記事における「大ロシア合奏団」の解説

1897年アンドレーエフロシア民族楽器オーケストラ創立し、「大ロシア合奏団(ロシア語: Великорусский оркестр)」と名付けた合奏団は、バラライカ群とドムラ群を組み合わせ2種類グースリ取り入れた22編成であった。 なお、オーケストラ編成撥弦楽器のみであり、管楽器含めなかった。これについて、アンドレーエフは「ドムラバラライカグースリオーケストラは、ロシア民謡伝え上でより魅力的典型的なのである吹奏楽器は、その魅力出せない」と述べている。 大ロシア合奏団を率いたアンドレーエフは、ロシア国内演奏旅行に出る。ツァーリ政府はこれを「時期尚早」として妨害しウクライナでは町への入場禁じられ楽器つぶされるなどの迫害もあった。しかし、作家マクシム・ゴーリキー画家イリヤ・レーピン声楽家フョードル・シャリアピンらが彼のオーケストラ高く評価したレーピンは、アンドレーエフ手紙書きモデスト・ムソルグスキー作品目を向けるように助言している。シャリアピンは、1894年に彼がサンクトペテルブルクにやってきたとき、アンドレーエフシャリアピン世話しマリインスキー劇場指揮者エドゥアルド・ナープラヴニーク推薦していた関係もあり、しばしばアンドレーエフコンサート出演してオーケストラ伴奏ロシア民謡歌ったまた、グラズノフは「大ロシア合奏団」のために『ロシア幻想曲』(1906年初演)を作曲している。 アンドレーエフオーケストラ評判が高まると、やがて政府もこれを認めようになったモスクワでの演奏会では、トルストイ求めに応じてアンドレーエフ自作の『月は輝いている』を3度演奏した。 大ロシア合奏団のドムラ奏者として所属し、のちにバレエ・リュスダンサー振付師となったミハイル・フォーキン1880年-1942年)は、次のように回想している。 「アンドレーエフは非常に多才だった。バラライカ名演奏や、わがオーケストラ天才的指揮するだけでなく、語りもの見事にこなし、ロシア舞踊を踊ることができた。それは私が出会うことのできたロシア舞踊中でももっとも才能ある演技だった。彼は、踊るロシア男になりきっていた。ダンス名手であったわけでもないのに、バレエでも見たとがないような動作における性格描写踊りへの陶酔醸し出した。」 1908年から1911年にかけて、大ロシア合奏団はドイツイギリスフランスアメリカ合衆国演奏旅行し、成功収めた。 大ロシア合奏団の演奏聴いたドイツ指揮者カール・ムック次のように述べた。 「それにしてもロシア民族はなんと才能があるのだろう。スタニスラフスキー演劇を見、アンドレーエフ聴く前まで、私たちロシア民族に対して誤った理解をしていた。」 また、大ロシア合奏団がロベルト・シューマンピアノ曲「なぜに」(『幻想小曲集作品12より第3曲)の編曲演奏したとき、指揮者アルトゥール・ニキシュは「(この曲を)大ロシア合奏団が比べようもないくらい素晴らしく演奏した」と記している。 アメリカでは新聞次のような批評掲載した。 「アンドレーエフなしとげた音楽芸術分野数多い驚くべき発見を、同時代人たちはそのすべてを完全に評価できないだろう。彼の仕事おかげで音楽は非常に貧し人々の層をも除外することなく一般大衆の手に届くものとなった教育平易で、安価であること、レパートリー広範なこと、並でない美しさ多才な音色―これらはアンドレーエフつくりあげたロシア民族音楽が、外見は素ありながら絶大な一般支持得た成果よる。その特徴は、音楽的な価値の高さにあり、アメリカで流行しているマンドリンバンジョーギターのどんなオーケストラとも比べられないアンサンブルつくっている。(中略このような音楽アンサンブルをつくることができるのは、天才のみである。」 この結果アンドレーエフらが訪問した国々ではロシア・バラライカ演奏愛好協会や、大ロシア合奏団を手本とした民族楽器オーケストラ誕生し音楽学校ではドムラバラライカ演奏教育導入されるなどした。

※この「大ロシア合奏団」の解説は、「ワシーリー・アンドレーエフ」の解説の一部です。
「大ロシア合奏団」を含む「ワシーリー・アンドレーエフ」の記事については、「ワシーリー・アンドレーエフ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大ロシア合奏団」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大ロシア合奏団」の関連用語

大ロシア合奏団のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大ロシア合奏団のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのロシア民族楽器オーケストラ (改訂履歴)、ワシーリー・アンドレーエフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS