サンクト‐ペテルブルグ【Sankt-Peterburg/Санкт-Петербург】
読み方:さんくとぺてるぶるぐ
ロシア連邦北西部、フィンランド湾に臨み、ネバ川の河口に位置する同国第2の都市。1703年、ピョートル大帝がロシア帝国の首都として建設。1914年ペトログラードと改称。ロシア革命の中心地で、1918年に首都がモスクワに移され、1924年レニングラードと改称。1991年現名称に復した。造船・機械工業が盛ん。冬宮、エルミタージュ美術館、イサク聖堂、カザン聖堂、ペトロパブロフスク要塞などがあり、1990年、「サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。人口、行政区457万(2008)。サンクトペテルブルク。
サンクトペテルブルク
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サンクトペテルブルク(露: Санкт-Петербург,サンクトピチルブールク, IPA:[sankt pʲɪtʲɪrˈburk] 発音 )は、ロシア西部のネヴァ川河口デルタに位置する都市で、レニングラード州の行政府がある(レニングラード州の州都は別の都市)。人口は約560万人で、首都モスクワに次ぎロシア第2の都市である。1711年から1917年まで、約206年にわたってロシア・ツァーリ国とロシア帝国の首都だった古都でもある。
- 1 サンクトペテルブルクとは
- 2 サンクトペテルブルクの概要
サンクトペテルブルク
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「ロシアのアルメニア人」の記事における「サンクトペテルブルク」の解説
1708人に初めてアルメニア人がサンクトペテルブルクを訪れ、1710年には既に「アルメニア大使館」があった。 1730年には、司祭のイヴァン・シェリスタノヴァの指導の下、初めてのアルメニア使徒教会の教区が設けられた。 20世紀を通してずっと、サンクトペテルブルクのアルメニア人人口は安定して増加している。1926年には1,759人だったが、2002年には19,164人になっている。 1989年のソ連の国勢調査によれば、47%のアルメニア人がアルメニア語を母語として話しており、52%はロシア語を母語としている。この時ほとんど多くの人がロシア語が流暢であった。約半分が高等教育を受け、その結果高い社会的地位にある。 サンクトペテルブルクのアルメニア人コミュニティの長のカレン・ムクルチャンによると、最近約10万人のアルメニア人がサンクトペテルブルク地域で暮らしているという。ここには二つのアルメニア教会、一つの日曜学校、「ハヴァタムク」というアルメニア語の月刊誌、そして印刷工場がある。
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サンクトペテルブルク
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「メテリツァ (路面電車車両)」の記事における「サンクトペテルブルク」の解説
ロシア連邦の大都市・サンクトペテルブルクでは、それまで公営企業によって運営されていた路面電車路線(サンクトペテルブルク市電)の一部を民間のコンソーシアムに委託する事で、近代化や利用の促進を図っている。その最初の事例として2018年から営業運転を開始したチジク(Чижик)では、開業に先立つ2016年4月に発注が行われ、2017年から3次に渡って製造が実施された"メテリツァ"が使用されている。B85600Mという形式名を持つこれらの車両は試作車(85300M)と同様に両運転台だが、中間車体の長さが延長され台車も全て動力台車となっている。 当初の発注両数は23両だが、今後も列車本数増加に応じて増備が行われる計画がある。また、シュタッドラーは開通後5年間の車両メンテナンスに関する契約も交わしている。 形式名製造年総数軌間架線電圧編成運転台軸配置備考・参考B85600M 2017-18 23両 1,524mm 直流400-720V 3車体連接車 両運転台 Bo'Bo'Bo'Bo' 全長全幅全高低床率車輪径固定軸距扉幅33,450mm 2,500mm 3,570mm(集電装置含) 100% 610mm 1,800mm 1,300mm 最高速度加速度着席定員定員主電動機出力出力乗客密度4人/m2時乗客密度8人/m2時75km/h 1.5m/s2 66人 256人 376人 70kw 560kw
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サンクトペテルブルク
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「ロシアの査証政策」の記事における「サンクトペテルブルク」の解説
2019年10月1日より、電子査証によるサンクトペテルブルクおよびレニングラード州への訪問が可能となった。 下記の53ヶ国の国民が対象である。 欧州連合 アンドラ バーレーン 中国 中華民国 アイスランド インド インドネシア イラン 日本 クウェート リヒテンシュタイン マレーシア メキシコ モナコ 朝鮮民主主義人民共和国 北マケドニア共和国 ノルウェー オマーン フィリピン カタール セルビア サンマリノ サウジアラビア シンガポール トルコ スイス バチカン市国 出入国地点滞在可能地域制度開始年月日空港サンクトペテルブルクレニングラード州 2019年10月1日 プルコヴォ空港 道路イヴァンゴロド ブルスニチノエ スヴェトゴルスク トルフャノフカ 港湾ヴィソツク サンクトペテルブルク旅客港 徒歩イヴァンゴロド
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サンクトペテルブルク
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「ヴィチャズ (路面電車車両)」の記事における「サンクトペテルブルク」の解説
2015年、PC輸送システムズはサンクトペテルブルク市電向けの車両として、ヴィチャズ(71-931)10両の製造に関する契約を獲得した。契約総額は約10億3,840万ルーブルで、同年から2017年までに全車両の製造が行われている。また、2019年以降は旧型車両置き換えによる近代化のため、改良型となるヴィチャズM(71-931M)21両の増備が実施されている。 更に2021年には2両が増備されているが、これらの車両については構体をそれまでの高炭素鋼からアルミニウム合金に変更する事で車両重量の軽減、メンテナンス費用の削減等が図られており、車体デザインや内装についても変化が生じている。「ヴィチャズ・レニングラード(Витязь-Ленинград)」と言う愛称を持つこれらの車両は2021年前半から営業運転に投入される予定となっている。
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サンクトペテルブルク
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「コードギアス 反逆のルルーシュ」の記事における「サンクトペテルブルク」の解説
E.U.のロシア州の都市。E.U.軍の拠点があったが、ブリタニア軍に制圧され、失陥。ロシア州はフィンランド州との国境沿いにある極一部を残して、ユーロ・ブリタニアの手に落ちてしまった。その後はユーロ・ブリタニアの重要拠点となり、エカテリーナ宮殿の更に奥に作戦司令所としてのカエサル大宮殿が建設された。
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サンクトペテルブルク
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サンクトペテルブルクの白夜祭(en:White Nights Festival)では、1993年からマリインスキー劇場でオペラ、バレエ、コンサートなどを含む「白夜の星音楽祭」(ロシア語: Музыкальный фестиваль «Звезды белых ночей»)が開かれている。そのほか、「アルイェ・パルサー」(ロシア語: Алые паруса)など、市内各地で様々な催しが行われている。
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サンクトペテルブルク
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「ゴスチーヌイ・ドヴォール」の記事における「サンクトペテルブルク」の解説
ボリショイ・ゴスチーヌイ・ドヴォール(Great Gostiny Dvor、大ゴスチーヌイ・ドヴォール)はネフスキー大通りとサドーヴァヤ通りの角にある。1757年に建設が始まり、52,000平米あり100軒の店が入った巨大な2階建ての建物で、25年かかって完成している。 この建物は続けて増築が行われて、20世紀には170軒の商店になったが、人々の好みは「パサーシュ」(Passage)と呼ばれる、ネフスキー大通り向かいにある垢ぬけた市場へ移っている。しかし21世紀になって、さらに修築が行われて、いまでもサンクトペテルブルクの主要市場の機能をはたしている。 ボリショイ・ゴスチーヌイ・ドヴォールはノヴゴロド行きなどの定期ツアーバスのチケット販売所・発着地にもなっており、また近くに同名の地下鉄駅もあり便利で、観光客にもおなじみの場所である。 なお、この建物の西隣りでサンクトペテルブルク経済大学とグリボエードフ運河にも囲まれた建物はマールイ・ゴスチーヌイ・ドヴォール(Малый Гостиный двор、小ゴスチーヌイ・ドヴォール)と呼ばれている。もともと1790年代に認可銀行として建てられてもので、その後商業施設になっている。
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「サンクトペテルブルク」の例文・使い方・用例・文例
サンクトペテルブルクと同じ種類の言葉
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