ノボロシースク【Novorossiysk/Новороссийск】
ノヴォロシースク
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ノヴォロシースク
Новороссийск
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クラスノダール地方における位置
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クラスノダール地方のロシア連邦における位置
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北緯44度43分0秒 東経37度45分0秒 / 北緯44.71667度 東経37.75000度 | |||
国 | ![]() |
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地方 | ![]() |
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建設 | 1838年 | ||
市に昇格 | 1866年 | ||
面積 | |||
• 合計 | 81.1 km2 | ||
標高 | 10 m | ||
人口
(2021年)[1]
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• 合計 | 262,293人 | ||
• 密度 | 3,200人/km2 | ||
等時帯 | UTC+3 (モスクワ時間) | ||
• 夏時間 | なし | ||
郵便番号 |
353900 - 353925
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市外局番 | +7 8617 | ||
ナンバープレート | 23、93、123 | ||
ウェブサイト | http://admnvrsk.ru/ |
ノヴォロシースク(ロシア語: Новороссийск ナヴァラスィーイスク)は、ロシア連邦南部の都市で、クラスノダール地方にある黒海沿岸の主要港である。人口は約26万人(2021年)。ソビエト連邦の時代に英雄都市の称号を授けられた数少ない都市の一つである。名称は「新ロシアの町」という意味。
歴史

古くはギリシャ人の植民地があったことが確認されており、交易の拠点として農産物の積出し港が整備された。地中海・黒海交易路の最も東に位置するという地政学的重要性から、この都市の支配国は目まぐるしく変化した。ローマ帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が主な例である。
1838年に黒海艦隊の東部基地が建設され、1722年以来その地を支配してきたトルコの要塞Sujuk-QaleすなわちSoğucakに取って代わった。1918年8月26日からデニーキン将軍の白軍の重要拠点となったが、1920年3月27日にピョートル・ヴラーンゲリ将軍の指揮によって白軍はクリミアへ撤収した。1942年には、この町はドイツ軍によって占領されたが、1943年9月16日に赤軍によって解放されるまで、ソビエト水兵の小部隊が225日にわたって町の一部を死守した。のちに海軍総司令官となるセルゲイ・ゴルシコフの指揮の下、ソビエト水兵が英雄的な防衛を行い、市の湾入部を保持し続けた。そのためドイツ軍は、補給のために港を使用することができなかった。このことから、ノヴォロシースクは1973年に英雄都市の称号を授与された。
2007年以降、黒海艦隊の新しい母港の建設が進められている(従来の母港はクリミア半島先端のセヴァストポリにあるが、この地域はウクライナ領で、ロシアはウクライナに港の使用料を払っていた)。しかし、2014年のロシアによるクリミアの併合によりセヴァストポリが事実上のロシア領となったため、新母港の先行きは不透明となっている。
2022年ロシアのウクライナ侵攻の開始時点では、前線より離れた位置にあり特筆すべき事はなかったが、同年8月にセヴァストポリが攻撃を受けると一転、ノヴォロシースク基地に多数の潜水艦が移動するなど軍事行動を担う都市となった。同年11月22日、ウクライナのメディアはノヴォロシースク市内の石油ターミナルに攻撃が加えられたと報じた[2]。また、2023年8月には、港内で大型揚陸艦オレネゴールスキイ・ゴルニャークが無人機の攻撃を受ける映像がウクライナ側から公開された[3]。
経済
ノヴォロシースクは、ロシアの主要な農産物輸出港である。凍ることのないツェメス湾に位置する。ノヴォロシースク港は、アジア、中東、アフリカ、地中海、南アメリカといった地域と結ばれている。
産業都市でもあり、鋼鉄、食品そして金属製品その他の製造業が盛んである。この都市周辺には、多くの石灰岩の採石場があり、その結果、重要なセメント工場が立地している。このため「セメントバレー」と呼ばれることがある。また、バクー油田とバクー・ノヴォロシースクパイプラインで結ばれている。
ノヴォロシースク地方は、ロシアワインの産地の一つである。近辺のアブラウにあるワイン醸造所では、ロシア国内で有名な、高品質のテーブルワインやスパークリングワインが造られている。
教育
国立ノヴォロシースク海事大学とノヴォロシースク工科大学の所在地である。
交通
ノヴォロシースクは、クラスノダールやソチと鉄道や道路で連絡している。2019年に完成したクリミア大橋でクリミア半島への移動も容易になった。市内の公共交通は、バス、トロリーバス、マルシュルートカから構成されている。
姉妹都市
関連項目
- ノヴォロシースク市電(廃止)
脚注
- ^ “city population”. 30 Apr 2023閲覧。
- ^ “クリミア軍港にドローン攻撃 各地で激しい戦闘―ウクライナ”. 時事通信 (2022年11月23日). 2022年11月23日閲覧。
- ^ “ロシア軍艦船への攻撃は保安局、海軍の合同作戦”. CNN (2023年8月5日). 2023年8月5日閲覧。
外部リンク
ノヴォロシースク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 15:02 UTC 版)
「スヴォボードナヤ・ロシア (戦艦)」の記事における「ノヴォロシースク」の解説
5月1日、3隻はノヴォロシースクへ到着した。その後半月にわたり、艦の司令部と水兵らはボリシェヴィキの扇動と圧力を受けた。6月9日から6月13日にかけてサーブリンはレーニンから艦隊をセヴァストーポリへ帰さぬようにとの指令を受け取った。ブレスト=リトフスク条約の規約によりソヴィエト政府はセヴァストーポリの黒海艦隊をドイツ政府に引き渡さなければならなかったので、ノヴォロシースクへの残留はすなわち艦隊を沈めよとの指示にほかならなかった。サーブリンは異議申し立てのためモスクワへ出向したが、そこで逮捕監禁され、艦隊代表の任を解かれた。 ノヴォロシースク艦隊の司令官には、新たにヴォーリャの艦長であるアレクサンドル・チフメーネフ海軍大佐が選出された。6月15日、チフメーネフはレーニンとスヴェルドロフの署名入りの第49号電信を受け取った。そこには、艦隊をノヴォロシースクで沈めるよう書かれていた。しかしながら、チフメーネフはこの指令の遂行を拒絶した。 チフメーネフの支援のため、ノヴォロシースク艦隊各艦の代表委員からなる全体会議が開かれた。その結果、ボリシェヴィキの方針には全体の4分の1が賛成に過ぎなかった。しかし、チェキストがボリシェヴィキへ賛成するよう恐喝した結果、一部の艦はセヴァストーポリへの帰港を諦め、ノヴォロシースクに留まることとなった。 スヴォボードナヤ・ロシアの司令部もまた、多くの艦船におけるのと同様、艦を沈めずにセヴァストーポリへ帰港することを支持していた。6月17日、スヴォボードナヤ・ロシアはヴォーリャらほかの艦船とともにノヴォロシースクを出港する準備をしていた。しかし、前夜になって乗員の一部が勝手に艦をノヴォロシースクに留めることにしてしまった。その結果、艦にはボイラーを動かし大型艦を指揮するに十分な人員が揃わなくなり、スヴォボードナヤ・ロシアの司令部は艦を見捨てる決定を下さざるを得なくなった。彼らは艦を港に残し、自身らは僚艦ヴォーリャに移動した。艦長のヴァシーリイ・テレメーチエフ海軍中佐は、艦隊水雷艇ケルチの艦長ヴラジーミル・クーケリへ艦を引き渡した。 このようにして、6月17日には再びウクライナ国旗を掲揚した戦列艦ヴォーリャ、艦隊水雷艇デールスキイ、ポスペーシュヌイ、ベスポコーイヌイ、プィールキイ、グロームキイ、ジャールキイ、ジヴォーイがセヴァストーポリに向けて出港した。 一方、ノヴォロシースクには戦列艦スヴォボードナヤ・ロシア、艦隊水雷艇ガジベイ、ケルチ、カリアークリヤ、フィドニーシ、プロンジーテリヌイ、カピターン=レイテナーント・バラーノフ、レイテナーント・シェスタコーフ、スメトリーヴイ、ストレミーテリヌイが残留した。 1918年6月18日、ノヴォロシースクのツェメース湾にてソヴィエト政府の指令が実行された。艦隊水雷艇ケルチがスヴォボードナヤ・ロシアへ4 発の魚雷が発射し、スヴォボードナヤ・ロシアは撃沈された。 ソ連結成後の1930年、水中特別作業調査隊(EPRON)の水中作業員が調査していたところ沈没するスヴォボードナヤ・ロシアが発見された。スヴォボードナヤ・ロシアは弾薬室に誘爆していた。1930年代半ば、沈艦から装甲と無傷で残っていた構造および艦砲が引き上げられ、赤色海軍へ引き渡された。 亡命ロシア文学作家で詩人のイヴァン・ブーニンがロシア内戦後に国外へ持ち出すことのできた日記が『Окаянные дни』の題で公刊されているが、その中でスヴォボードナヤ・ロシアへの言及箇所がある。日本語訳は、佐藤祥子、尾家順子、利府佳名子訳『ブーニン作品集5 呪われた日々/チェーホフのこと』群像社、2003年に佐藤祥子訳「呪われた日々」が収められている。
※この「ノヴォロシースク」の解説は、「スヴォボードナヤ・ロシア (戦艦)」の解説の一部です。
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