要塞
「要塞」とは、軍事的防衛拠点・軍事的防衛施設のことを意味する表現である。
「要塞」の基本的な意味
「要塞」とは、軍事的防衛拠点や、その拠点で防衛に使用された施設を指す言葉である。敵からの攻撃に対抗するために、砲台などの設備、兵が暮らす環境などが設置された。また、軍事的な司令部が置かれた要塞も少なくない。要塞にはいくつもの形があるが、防衛のための拠点であり、ある程度の規模があれば、ひと通り要塞と呼べる。野戦では、臨時的な陣地が作られることが多い。その陣地を発展させ、防衛環境を充実させたものは、要塞の一種である。要塞は、壁で囲まれ、堅固な建物があるというイメージを持たれやすい。そのような要塞は、永久要塞と呼ばれる。野戦における陣地が発展した要塞とは異なり、永続的に使用することを想定して作られた要塞である。軍事拠点として、永久要塞の機能を維持するには、物資の補給や人員の確保が重要だ。そのため、平常時は人が暮らす都市を、要塞として使用した例が多い。そういった都市は、要塞都市と呼ばれ、有事になると軍事的拠点となった。そして、既存の都市を、有事の際に要塞にできるよう、作り変えられた例もある。そういった、都市に要塞の機能を持たせることは、要塞化と呼ばれる
要塞は原則として、移動することができない。そのため、防衛に使用されるものがほとんどだ。そして、攻撃に使用する場合は、新しい拠点として要塞を作る必要がある。ただ、一から要塞を作ることはもちろん、既存の都市を要塞化するのでさえ、膨大な費用を必要とする。また、近代の戦争においては、飛行機や自動車など、機動力の高い兵器が大量に使用される。その兵器を使用すると、要塞から離れた場所で戦端を開いたり、要塞の攻撃を受けないように迂回したりすることが可能だ。したがって、近代の軍事的戦略では、要塞の重要度はそれほど高くはなく、過去の遺物として扱われる要塞が多い。
日本にも数多くの要塞があり、代表的なものとしては北海道函館にある五稜郭が挙げられる。戊辰戦争の際に、旧幕府軍に占領され、実際に要塞として使用された。また、大阪城も有名な要塞である。堅牢な城に複数の堀があり、攻め込むのが難しい要塞とされた。しかし、豊臣と徳川が戦った大阪の陣では、和平会議により堀が埋められ、要塞としての機能が弱まった。その結果、徳川方に攻め込まれた豊臣方は敗北することとなった。
要塞という言葉は、比喩としても使用される。拠点になり得る軍事力を持った兵器に対する比喩である。かつて戦車が登場した際には、移動する要塞と呼ばれた。また、第二次世界大戦で使用された、アメリカ軍のB-17には、空を飛ぶ要塞という別名がある。しかし、要塞は、移動しない拠点を指す場合がほとんどであるため、移動するものを要塞と呼ぶことはまずない。ただ、創作においては、巨大な生物の背中に作り上げた城郭やキャタピラによって移動できるようにした要塞都市などを、移動要塞と呼ぶ場合がある。
「要塞」の発音・読み方
「要塞」の読みは、「ようさい」である。「要塞」を含む様々な用語の解説
「ネクロスの要塞」とは
「ネクロスの要塞」は、昭和の時代に、菓子メーカーであるロッテが展開していた食玩シリーズである。大魔神ネクラーガの復活を企てる魔術師ネクロスに、ナイトやエルフなどの主人公が立ち向かうというストーリーが軸となっている。食玩の中身は、暗闇で光る蓄光フィギュアと、カードである。その2つを集めると、テーブルトークRPGとして遊べるようになっている。また、食玩のストーリーを元にして、PCエンジンに向けたRPGゲームも作られた。
「要塞」の英訳
「要塞」を英訳すると、「fort」や「fortress」となる。「fortress」の略称として、「fort」が使用されることが多い。いずれも、要塞の中でも、堅固な構造物や充実した設備がある、永久要塞という意味合いが強い。戦場における、構造物や設備が充実していない要塞は、「stronghold」と訳すのが望ましい。【要塞】(ようさい)
Fortress.
攻撃を受ける事、そして長期にわたって撤退不可能になる事を想定して建造された軍事施設。
類義語に「砦」「城砦」「城塞」「城」「堡塁」など。
関連:橋頭堡 軍事革命 松代大本営
要塞の設計・建造意図
戦略的に考えた場合、要塞は以下の三つの意図をもって設計・建造される。
そのどちらの意図を重視するかは場合によるが、ほぼ全ての要塞はそれら三つの機能を兼ね備える。
兼ね備えていなければ、敵側の決断次第で容易に無力化されてしまう。
守勢防御
要塞の第一の意図は、敵が仕掛ける攻撃に耐え、反撃を行い、増援が到着するまでの時間を稼ぐ事である。
通常、固定された要塞に立て籠もるよりも野外で機動力を活かしてヒットアンドアウェイに徹した方が最終的な損耗は少ない。
よって、あえて要塞に立て籠もるのは機敏に撤退する事が許されない場合のみに限られる。
すなわち、撤退する事で甚大な戦略的不利を被る場所を死守する事が守勢防御の目的である。
守勢防御を重視して建造された要塞の最たるものは、国境線である。
当然の事だが、領土の奪い合いはまず最初に国境で始まる。そして何事も最初が重要である。
侵攻側・防御側のいずれにせよ、撤退すれば追撃を受けて蹂躙され、勝てば要塞の中で悠々と増援を待つ事ができる。
ひとたび国境を突破された軍隊は、相手が攻勢限界点に達するまで耐え凌ぐ事を余儀なくされ、その間、領内は甚大な戦災に見舞われる羽目となる。
翻って、攻撃側から見た場合、最初の要塞を突破できなければ開戦直後に攻勢限界点へ達し、敵の逆侵攻を受ける事となる。
また、戦争が想定されない場合でも、密輸業者・スパイ・亡命者の眼前に壁となって立ち塞がる事には大きな意味がある。
攻勢防御
要塞の第二の意図は、敵が要塞を回避し、無視し、奥に浸透しようとする時にこれを阻止する事である。
とはいえ、国境線の全域を分厚い壁や頑丈な柵で覆うのは非現実的であるし、国境線上の全域にわたって兵力を分散させるのはさらに非現実的である。
よって、要塞を回避し、または無視して先に進むのはそれほど難しい事ではない。
そのような場合、要塞に駐留している部隊が出撃し、通り過ぎようとする敵に背後からの奇襲を仕掛けるのが常道である。
また実際、ほとんどの指揮官は要塞からの奇襲を予期してその前で踏みとどまる。
しかしその場合でも、防御側の増援が到着する前に急いで要塞を陥落させなければならない。
戦っている最中に新たな敵が出現すれば挟み撃ちを受ける事になるからだ。
兵站拠点
要塞の第三の意図は、上記二つの意図による作戦が終了するまで兵站を維持する事である。
守勢防御にせよ攻勢防御にせよ、それを実施するためには一定数の兵員が必要不可欠である。
よって必然的に、要塞は部隊を滞在させ、生活させ、平時には訓練させなければならない。
また、攻勢防御に際しては指揮統制や火砲による火力支援、前線で消耗して後送されてきた部隊の休養・再編成の拠点ともなる。
いざ戦闘となれば周辺道路を敵軍に封鎖される事態が予想されるため、要塞には大量の物資を蓄える必要がある。
武器類はもちろん照明や衣服などの生活必需品、食糧、そして何より水を確保しなければならない。
防御戦闘中にそれらの備蓄が尽きれば、残された決断はただ降伏のみである。
よって一般に、増援の見込みがない籠城は、ただ降伏を先延ばしにするだけの時間稼ぎに過ぎないとされる。
中世以前の要塞
中世以前の土木技術と経済規模では、要塞を建造してこれを維持管理するのは甚大な負担であった。
このため、中世以前の為政者は、たいてい自ら治める都市の近隣にひとつの要塞(城)を建設した。
当初の城は、敵側傭兵・民兵の略奪に際して領民と共に立て籠もるための避難所であった。
しかし、時代が下るにつれて裁判所などの平時の行政拠点とも一体化され、為政者自身の邸宅を兼ねるようになった。
そして最終的には、都市全体を要塞とする「城塞都市」へと発展していった。
古代、中世、あるいは近代にあっても兵站が十分でない時、要塞は丸太を組み上げて作るものだった。
しかしそのような木製の柵でも、人が狙撃を掻い潜りながら突き崩すのは容易な事ではない。
また、比較的に裕福な王侯貴族は石材を積み上げて堅固な城塞を構築した。
そうした本格的な城塞は、野戦砲が登場するまで事実上破壊できない無敵の要塞であった。
そうした時代の要塞を攻略するにあたっては、弱点に対する集中攻撃が行われた。
人が出入りする門扉は必ず存在するもので、城の陥落とは即ち門を破って雪崩込んだ敵兵との白兵戦であった。
また「内通者が勝手に門を開ける」「増援部隊や避難民を装って堂々と入城」などの策略に陥れられて占領された例もある。
しかし、そうした城壁に頼る戦術は、野戦砲が実用レベルで投入されると共に廃れていった。
近代要塞
近代以降の要塞は、中世までの要塞とは微妙に異なる思想で構築されている。
まず第一に、近代要塞は野戦砲による集中砲火をなんとしても回避しなければならない。
現代に至るまで、これに対する手段はアウトレンジから敵の野戦砲とそれを操る砲兵を始末する以外にない。
近代の要塞は、巨大で有効射程の長い要塞砲を筆頭とする各種の火砲を備え、それによって敵を迎撃していた。
また同時に、古来より用いられてきた歩兵の浸透戦術を防ぐ策も必須であった。
これに対する近代の解答も、古来の城壁を効率的に進歩させた障害システムであった。
塹壕などの新発想で作られた障害物が敵の歩兵を足止めし、混乱したところに要塞砲が砲弾の雨を降らせ、逃げ惑う敗残兵を守備隊や増援部隊の歩兵・騎兵、あるいは狙撃手が仕留めるのが常套戦術であった。
一方、要塞の設計思想が進化するのと同様、攻撃側の攻略法も徐々に進化していった。
地下トンネル工事や爆薬・化学兵器・生物兵器・火炎放射器など、中世までには存在しなかった新たな戦術も編み出されている。
要塞に浸透して道を切り拓く戦闘工兵も高度に専門化され、洗練されていった。
とはいえ、これらも航空機が発達した第二次世界大戦を境に急激に衰微していく。
艦船への対応
近代になって艦船の技術が進化し、外洋航行が可能になってくると、敵国艦隊による海上侵攻への対処も要塞に求められるようになった。
そのため、軍事・交易上重要な港を擁する湾や入り江の近辺、あるいは内海の小島に要塞が築かれることも多かった。
この目的のために作られた要塞は、魚雷堡や機雷堰・防潜網などの障害システムで艦船の通航を阻み、要塞砲の砲撃で艦隊が被害を受けたところを海防艦や駆逐艦・フリゲート、その他の小型艦艇で掃討するのが普通であった。
一方、艦船から要塞への砲撃は危険が大きく、大損害を覚悟する必要があった。
現代の要塞
このように発達を遂げた要塞であるが、第二次世界大戦を契機とした第六・第七の軍事革命により、急激に衰退する。
航空機の急速な発達により「いかにして航空優勢を相手より先に奪取するか」が戦争の勝敗を左右する要素となった。
ひとたび攻撃側が航空優勢を掌握すれば、動けない要塞はマルチロールファイターによる空爆の的でしかなくなるし、空挺降下で交通路を速やかに封鎖されればたちまち備蓄物資の欠乏に悩まされる。
そしてその間に、機械化された部隊は障害システムを排除しつつ要塞を素通りし、電撃戦により戦果を拡大するであろう。
また、NBC兵器はひとたび使用されれば数万~数十万人の人間を短時間のうちに殺傷し、周辺にも甚大な環境汚染をもたらすことから、皮肉にも国家総力戦を未然に防ぐ抑止力として機能することになった。
こうしたことから、現代の国家・軍隊は要塞を必要としなくなり、構築された要塞の大部分は破壊・放棄されて遊休国有財産となるか、部外者に譲渡されて史跡公園などに変わっていった。
要塞の施設として構築された建物や掩蔽壕が軍事施設(指揮統制や兵站の拠点など)として活用されている事例も多々あるが、これは、不要となった施設(要塞砲の砲台や弾薬庫、守備隊兵員の居住区など)が撤去された跡の空きスペースを利用しているだけのことであり、べつだん要塞でなくても構わない。
一方で、独裁国家では権力を握った為政者が「暗殺の恐怖からの逃避」と「領民への権勢の誇示」を兼ねて、自らの居宅(兼執務場)に、かつての王宮のような偏執的な外観と物理的な障害システムを備えて要塞のようにしてしまうこともままあるし、非対称戦争などの小規模な紛争では、政治的都合によってかなり話が違ってくる。
要塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 15:05 UTC 版)
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要塞(ようさい、英: fortress)とは、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。とりで、砦、堡、塞、城砦、城堡(じょうほう)ともいう。
概要
軍事的な攻撃に対処するためには防御が必要である。したがって戦略的な緊要地形を保守するための防御の準備として、恒久的な築城が平時から行われることがある。このような築城によって建設された軍事的な施設はその構造、軍事的機能、耐久性などによって、通常の陣地と区別して要塞と呼ばれる。
要塞の形態は時代と共に変化してきたが、基本的な機能として、周辺住民を保護するための避難所、ある程度の戦術的な攻撃を排除する砦、そして複数の砦が機能的に体系化された戦略的防衛線がある。避難所は古代から中世までのいくつかの都市にも見られる機能であるが、要塞の原初的な形態でもある。砦はさらに施設の軍事化を進めたものであり、防御戦闘に必要な防壁や兵器を備え付け、指揮や
古代では都市の防備として城郭や砦の類が建築された。
近代以降では火砲が整備されてからの築城を指す。近世以前においては[要検証 ]城壁で市街が囲まれ、城塞を持つ城壁都市が大陸で多く見られた。日本ではむしろ、市街を囲い込まない要塞的な城が基本となっており、市街を取り込む総構えをもつ城は多くない。
ルネサンス期を迎えてヨーロッパでは大々的に大砲が攻城兵器として使用されるようになり、城壁での防衛は次第に困難になっていった。イタリア戦争でこの大砲に対抗するための要塞建築法が一応の完成をみた。半月堡や稜堡を持つ星形要塞 (初期の稜堡式要塞) である。これは攻撃正面を幅広くとり、また側面をできるだけ小さくすることで死角のない濃密な火網を形成できた。
永久要塞
永久要塞(Permanent fortification)は文字通り、軍事・交通・産業の要衝及びその周辺に恒久的に構築される。
用途と分類
永久要塞の施設は時代・用途・地域によって様々だが、基本的には砲台、堡塁、トーチカ(特火点とも言う)、高射砲陣地、指揮所、観測所、弾薬庫、油脂庫、貯水・給水施設、通信施設、待機所、交通施設(地下トロッコなど)、医療施設等である。これらが全て構築されるとは限らず、任務と地域環境に拠る所が大きい。
近代以前の築城と近代の永久要塞が異なる点は、それぞれの砲台・観測所・貯蔵庫等が比較的広範な地域に分散し、かつ有機的につながっている事である。故にこれらの分散した設備が陥落もしくは包囲され孤立すればその力を失う事になる。有事においては要塞には多数の兵員が存在する事になるが、平時は観測所などを除いて警備要員が詰めているのみという場合がほとんどだった。
陸上要塞
内陸部における要衝や国境線地帯に築かれる永久要塞。堡塁・トーチカといった接近戦用の施設に重きを置き、これらは塹壕、地雷原、迫撃砲陣地といった野戦築城(Field fortification)で補強される事が多い。一般的な永久要塞はこの陸戦要塞を主に指す。
平野や丘陵地帯では戦車等による機甲戦に対する堡塁や地雷原、戦車進行妨害物の設置を行ったり、山岳地帯においては比較的軽装備の山岳部隊に対する登頂の阻止を狙ったトーチカや堡塁を構築したりと様々なバリエーションがある。
沿岸要塞


領海内に侵入した敵の艦艇に対して砲撃・雷撃を加える沿岸地域や港湾、島嶼に構築される要塞。人工島を構築して砲台とするものは海堡と呼ばれた。長距離砲を備えた砲台が主体となり、旧式戦艦・巡洋艦の大口径砲が使用される砲塔砲台もあった。また、沿岸要塞の大きな特徴としては、ソナーや対艦レーダーを備えており、機雷敷設設備や魚雷発射施設も構築される場合が多い。戦前の日本本土に構築された全ての要塞はこうした沿岸要塞であった。
対艦ミサイルが無い時代に敵艦隊の攻撃から重要都市や湾口を防衛したり海峡を封鎖するには大口径砲を備えた沿岸要塞が必要だった。
防空要塞(都市要塞)
一般的に航空機の発達は前出の陸戦・沿岸両要塞においても高射砲陣地の構築をもたらしたが、防空要塞は防空任務を純粋に要塞化したものであった。
高射砲陣地、対空レーダー・聴音施設、指揮所、弾薬庫、シェルターなどを一体化させたもので、第二次世界大戦中のドイツ(ベルリン、ウィーン)にその為の「高射砲塔」が出現した。堅牢なコンクリートによって構築された一種のビルディングで、施設のほぼ全てが地上にあるのが大きな特徴である。
敵地上軍にたいする抵抗拠点としても使用された。
建材・カムフラージュ
第一次世界大戦以前の多くの永久要塞は石・煉瓦が用いられており、近代以前の築城同様に多くの施設が地上もしくは半地下式であった。しかし、第一次世界大戦以降、航空機や長距離・大口径砲の発達は要塞を次第に地下化させ、第二次世界大戦当時の要塞の多くは地下式でコンクリートと鉄骨鉄筋を用いた砲爆撃に耐えられるものとまであった。
地下化は爆弾・ミサイルの発達によって加速化され、山岳地帯の岩盤をくり貫いたトンネル内に施設を構築するケースも現れてきた。
永久要塞は襲来してきた敵に対して防衛戦を展開するため、敵側に正確な存在を確認される事は致命的である。このため、平時においては設備の隠蔽が必要であった(ドイツのジークフリート線・大西洋要塞線の様に政治的なデモンストレーションとして存在を誇示する場合もあった)。永久要塞は要衝の周辺に築かれる事が多いため、永久要塞のカムフラージュは厳重を極めた。砲台・観測所等は植物(ギンネムなど)・網・擬装民家などで隠蔽する事が多い。
また、一般に日本を含め各国は法律で永久要塞周辺を一般人・外国人の立ち入り禁止地帯とし、写真撮影やスケッチ等も不可能とした。こうした禁止に対する違反者は厳重に処罰するケースが多い。また、地図では要塞地帯は空白になっていたり、擬装された地形が描かれている場合もあった。
永久要塞の欠点
永久要塞の欠点は整備や補修に多額の費用がかかる事と動けないことである。例えば、日本の沿岸要塞は幾度となく廃止・新設が行われたがこれらは根本的な改築を要した。
また、第二次世界大戦中においては、航空機や戦車を中心とする機甲戦が広まるとこれらに対して永久要塞は防戦一方の姿勢を取らざるをえなかった。それどころか迂回されて戦局に寄与できないという最悪の事態が発生するようになる(例:マジノ線)。このため、第二次世界大戦後においては多額の費用を投じて永久要塞が構築されることは殆どなくなった。
要塞の根本的な欠点として要塞の裏側は入口であり、武器弾薬や兵員の搬入を容易にしている場合が多く、迂回を受けるとほとんど防御機能を発揮しない。一定の方向からの防御に特化しているため違う方向から攻められると著しく弱体化する。著名な要塞を喪失した場合、軍隊は士気を失う可能性が高く、戦略的な退却が困難になる。武器や兵員の配置が固定化することは相手方の作戦立案を容易にする。常に同じ場所に攻撃目標があるなら綿密に計画した軍事演習を繰り返せば容易く攻略できてしまう。要塞の前方に味方を配置した場合、その味方の退却を妨げてしまう。従って要塞前方から攻められるリスクが下がり、要塞前方は却って敵にとって安全になる。
現代の軍において築城は野戦築城をさす場合がほとんどである。
海岸要塞
一方で海岸に築かれた要塞については、水上艦艇に対する有効な防御施設として機能した。海峡など狭い水域では敵艦の通る経路が限定されるし、沈むことのない陸上砲台は軍艦に比べて圧倒的に有利だからである。 ただし航空機と潜水艦の発達が、水上艦艇の価値を相対的に低下させてしまったため、第二次世界大戦以降は海岸要塞の利用価値も無くなった。
第二次世界大戦後の永久要塞
第二次世界大戦後も第一次インドシナ戦争(ディエンビエンフーの戦い)、ベトナム戦争、中東戦争(第四次中東戦争におけるバーレブ・ライン)、湾岸戦争において要塞といえるものが双方で築かれるが、これらは永久要塞というよりは野戦築城の延長線上にあるもので、ベトナム戦争を除き、砂漠地帯の機甲・機動戦においては大きな価値を見出す事ができなかった。とくにディエンビエンフーの戦いやバーレブ・ラインは、現代の戦争において要塞が非力である事を証明する戦いとなった。
また、ユーゴスラビア、アルバニア、北朝鮮などは第二次世界大戦後、全国土の要塞化を目指し、トーチカや軍事用途に転換可能な公共施設を建築したりしたが、これらはユーゴスラビアを除き実戦経験は無いと見られる。これら以外ではスイスが国境線となる山岳地帯に第二次世界大戦以前から要塞線を築き、スウェーデンなどの北欧諸国では同地域の沿岸の特性を利用した沿岸要塞が各々構築されている。
また、現代においては航空機技術・ミサイル技術など兵器の進歩が著しく要塞に対する遠隔地からの直接攻撃が可能なこと、また要塞により敵軍の攻撃を防ぐことが事実上不可能となったことから、戦略上の必要性は薄れている。
しかし、完全に喪失された訳ではなく、2006年のレバノン侵攻においては、イスラエルと対峙する民兵組織ヒズボラが南レバノンの国境地帯にシェルターを兼ねた地下陣地を多数構築していた(戦後、この地下陣地の一部がヒズボラによって博物館となっている)。これは司令部・通信施設・兵舎・倉庫を兼ねたものであった。これらが民兵の出撃や補給の拠点となり、ゲリラ戦を展開する際に大きな足がかりになった。このように、直接戦闘に巻き込まれる可能性は低いものの、支援や防護という面においては必ずしも存在価値が無くなったとは言い難い。
主な要塞
戦時において、焦点 (戦地) となった要塞を『戦争名:要塞名または戦闘名(要塞保有国名)』で紹介する。
- 20世紀以前
- 八十年戦争:ブレダ、洪水線(オランダ)
- 第二次ウィーン包囲:ウィーン(オーストリア)
- 大北方戦争:ナルヴァの戦い(スウェーデン)
- スペイン継承戦争:リール(フランス)
- アメリカ独立戦争:
- 南北戦争:サムター要塞(アメリカ合衆国)
- ナポレオン戦争:マントヴァ(オーストリア)
- クリミア戦争:セヴァストポリ(ロシア)
- 戊辰戦争:五稜郭(旧幕府軍、函館)
- 20世紀以降
- 日露戦争:旅順要塞(ロシア)
- 第一次世界大戦:
- 第二次世界大戦:
- 第一次インドシナ戦争:ディエンビエンフーの戦い(フランス)
- ミャンマー内戦
戦前、戦中の日本の要塞
- 北千島臨時要塞
- 宗谷臨時要塞
- 厚岸臨時要塞(釧路)- 未動員。「昭和11年度要塞所要(増加配属)兵器整備計画二関スル報告」
- 根室臨時要塞- 未動員。「昭和十四年度 帝国陸軍 国土防衛計画」
- 室蘭臨時要塞 - 工事中、要塞司令部未動員。室蘭防衛隊司令部が高射砲隊、独立警備隊、要塞砲兵隊等を指揮。
- 津軽要塞 - 1927年(昭和2年)4月1日まで函館要塞と称し、日露戦争でのロシア帝国の通商破壊作戦を阻止出来なかったことをきっかけに任務を函館湾と函館港の防御から津軽海峡の封鎖にへ発展させた。しかし太平洋戦争では航空機による攻撃手法が加わり、それに対する高射砲は能力の低い12門しか配置されず、結果として国として重要な青函航路を守ることは出来なかった[1]。戦後2001年(平成13年)に函館側施設跡が北海道遺産に選定される。
- 東京湾要塞
- 父島要塞
- 舞鶴要塞
- 由良要塞
- 鳴門要塞 - 1903年(明治36年)5月、由良要塞に合併。
- 呉要塞 - 1903年(明治36年)5月、広島湾要塞に名称変更。1926年(大正15年)8月廃止。
- 芸予要塞 - 1924年(大正13年)12月廃止
- 豊予要塞
- 下関要塞
- 佐世保要塞 - 1936年(昭和11年)8月、長崎要塞に合併。
- 長崎要塞
- 壱岐要塞
- 対馬要塞
- 内之浦臨時要塞-鹿児島県志布志湾-連合軍本土上陸作戦の備えて。
- 奄美大島要塞
- 沖縄
- 台湾
- 朝鮮
- 鎮海湾要塞(南部) - 1942年(昭和17年)6月、釜山要塞に名称変更。
- 永興湾要塞(北部)
- 羅津要塞(北部)
- 雄基臨時要塞(北部) - 1943年(昭和18年)着工一部完成、備砲配備あり、司令部未動員。羅津要塞北方。
- 麗水臨時要塞(南部)
- 木浦臨時要塞(南部)-計画上、未着工。
- 安眠島臨時要塞(西部)-計画上、未着工。
- 仁川臨時要塞(京城外港部)-計画上、未着工。
- 白島臨時要塞(平壌外港部)-計画上、未着工。
- 関東州
- 満州
- 東寧要塞 - 第1国境守備隊
- 綏芬河要塞 - 第2国境守備隊
- 半截河要塞 - 第3国境守備隊
- 虎頭要塞 - 第4国境守備隊 → 第15国境守備隊
- 霍爾莫津要塞 - 第5国境守備隊
- 璦琿要塞 - 第6国境守備隊
- 黒河要塞 - 第7国境守備隊
- 海拉爾要塞 - 第8国境守備隊
- 五家子要塞(琿春) - 第9国境守備隊
- 鹿鳴台要塞 - 第10国境守備隊
- 観月台要塞 - 第11国境守備隊
- 廟嶺要塞 -第12国境守備隊
- 法別拉要塞 - 第13国境守備隊
- 鳳翔要塞 - 第14国境守備隊
- 演習用
要塞関連の法律
著名な設計者
- セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(略:ヴォーバン) - フランスの要塞建築家。世界遺産ヴォーバンの防衛施設群が有名
- メンノ・フォン・クーホルン - オランダの要塞建築家。ホラントのヴォーバンと呼ばれる。
脚注
- ^ 日本の要塞-忘れ去られた帝国の城塞 p82-89
- ^ 日本の要塞-忘れ去られた帝国の城塞 p141
- ^ 「要塞地帯法(明治32年7月15日法律第105号)」『法令全書』内閣官報局、1899年、342–348頁。doi:10.11501/788011 。
参考文献
- 日本の要塞-忘れ去られた帝国の城塞 長谷川晋·編 学習研究社 2003年
関連項目
要塞(ようさい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 00:20 UTC 版)
「螺旋のプリンセス」の記事における「要塞(ようさい)」の解説
派遣騎士の詰め所兼、取り調べ室兼、仮住まいといった感じの場所。正式名称ではないようだが、派遣騎士の多くが天箱園にいた頃の習慣で「要塞」と呼んでいるらしい。次元の道が通る場所にはよく建てられている。風戸里「要塞」は駅近くの3階建て雑居ビルの2階にあり、見た目は小さな会社か事務所のような雰囲気。
※この「要塞(ようさい)」の解説は、「螺旋のプリンセス」の解説の一部です。
「要塞(ようさい)」を含む「螺旋のプリンセス」の記事については、「螺旋のプリンセス」の概要を参照ください。
要塞
「要塞」の例文・使い方・用例・文例
- 要塞を強襲して占領する
- 徴募兵たちが要塞に到着した。
- 要塞をざんごうで囲む
- 要塞は敵の手にあった。
- 彼らはセメントを全然使わないで要塞の壁を築いた。
- そこでまだ要塞都市の遺跡をみることができる。
- 彼らはその要塞(ようさい)を激しく攻めたてた.
- わが軍は敵の要塞を攻略することができなかった.
- 何度攻撃してもその要塞は落ちなかった.
- 要塞(ようさい)を敵に明け渡す.
- 要塞(ようさい)を守る.
- 軍隊はその要塞を占領し(てい)た.
- 野戦砲兵隊は要塞(ようさい)に向けて続けざまに猛撃を浴びせた.
- 将軍はその要塞(ようさい)が不落であると断言した.
- 援軍が来て要塞(ようさい)の包囲を打ち破った.
- 要塞(ようさい)に降服を勧告する.
- 彼らは要塞(ようさい)を敵に明け渡した.
- 要塞を攻撃するぞという脅し.
- その要塞は空からの攻撃に対してすきだらけだった.
- 要塞(ようさい)を攻略する.
要塞と同じ種類の言葉
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