徳川方とは? わかりやすく解説

徳川方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 02:06 UTC 版)

魔界衆」の記事における「徳川方」の解説

天海僧正九郎幸村の命を執拗に狙う。魔界衆存在知っており、両者共闘阻もう行動する伊賀甲賀忍者指令を出す権限を持つ。 実は若い頃に里を抜けた魔界衆であり、本名九郎。そのためテレパシー魔界衆欺く手段使った徳川家康 幸村脅威忘れておらず、天海抹殺許可出した服部半蔵 伊賀忍者頭目天海指示により飛騨山脈向かい魔界衆戦の陣頭指揮をとる鬼一族 忍者集団読心術など特殊な能力持っている九鬼、一鬼、四鬼三鬼などが登場した

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徳川方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 01:10 UTC 版)

くノ一忍法帖」の記事における「徳川方」の解説

服部半蔵源佐衛門正就(まさなり) 配下反乱により伊賀同心頭領の任を解かれ逐電名誉挽回もくろみ大阪の役参加その際大阪城忍び込み真田幸村くノ一達の計略聞きつけ、弟の半蔵正広伝えた服部半蔵正広 長兄半蔵正就、次兄半蔵正重の後を継いで伊賀忍者統率する五代目瀕死の兄から聞いた驚愕事実とまどいつつも家康打ち明ける命令通り動かず勝手な行動をとる鍔隠れ谷五人衆に手を焼く。 坂崎出羽守さかざき・でわのかみ千姫炎上する大阪城から救い出した際に顔面大火傷負った救い出した者に千姫与えるという家康約束信じていたが醜い火傷の跡が原因家康疎んじられてしまう。そのため約束反故されるのではないか疑い配下千姫元に送り真意確かめようとする。 徳川家康 自分に逆らう千姫心を痛めており、真田くノ一抹殺する際に千姫には決し悟られぬようにしろと鍔隠れ五人衆厳命する阿福(おふく) 家康嫡孫竹千代乳母。後の春日局計略によってお眉江戸城おびき出し追い詰めるが、「忍法やどかり」によって逆に秀頼の胎児子宮植え付けられてしまう。 徳川頼宣(よりのぶ) 家康の十男。若年ながら覇気のある真っ直ぐな気性持ち主年上の姪である千姫淡い憧れ抱いており、家康立ち向かう千姫真田くノ一たちを見かねて陰か救いの手さしのべる落合閑心おちあい・かんしん) 坂崎出羽守仕え老臣主人を思うあまり出羽守無断千姫強奪のため家来引き連れ千姫屋敷に向かう。 成瀬十郎左衛門、戸田伴内、大友彦九郎 坂崎出羽守配下出羽守の命を受け千姫屋敷向かったが、行方不明となる。 莚田中兵衛むしろだちゅうべえ坂崎出羽守配下千姫屋敷向かったきり消息を絶った成瀬十郎左衛門らに続き二度目使者として千姫屋敷訪問する黒沢主膳、関主殿助(せき・とものすけ) 莚田中兵衛と共に千姫屋敷訪問する初音 成瀬十郎左衛門の妹であり、莚田中兵衛許婚武芸長じている。行方不明の兄の身を案じ男装して若衆姿で中兵衛一行に加わる。 胡蝶 家康侍女1人貞操堅固な処女薄墨友康の「忍法くノ一化粧」によって精気吸い取られ半病人となってしまう。 桔梗 阿福仕え御使番娘。処女思われていたが実は妊娠していることを般若寺風伯見破られ、「忍法日影月影」にかかって切腹する

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徳川方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:09 UTC 版)

城塞 (小説)」の記事における「徳川方」の解説

小幡勘兵衛 本作狂言回し家康武田氏滅亡後召し抱え遺臣団の出身で、少年期徳川秀忠児小姓として仕えていた。が、武芸軍略対す関心強く暇を乞う浪人し、日本中を流浪して修練研鑽重ねた。その能力買われ大坂城攻略間者として抜擢される。 間者として冷徹徹するべきでありながら情が強く斜陽豊臣家憐憫感じた義侠心駆られるなど、時折自分立場忘れたような行動をとることもある。また、己の才気強烈な自負心持ちあわよくば豊臣家手を貸して乱世戻し自身天下を狙おうと密かな野心抱いていた。天下人たる器量持ち主家康以外には自分かいない信じ徳川幕府ならぬ「小幡幕府」をうち立てるという途方もない大望夢見ていたが、豊臣家内情が話にもならないほど惰弱であったため、結局夢想終わった夏の陣開戦直前間者であることが露見し大坂城出奔夏の陣では徳川方の先鋒井伊直孝部隊所属して出陣した大坂の陣終結後徳川家旗本となり、旧武田家に伝わる武田信玄軍法をまとめた「甲陽軍鑑」を聖典とする日本における軍学草分けである「甲州流軍学」を創始する。なお、甲陽軍鑑江戸時代になって勘兵衛偽作したという説があるが本作ではこの説を採っており、甲州流軍学についても「多分に空想的な軍学」と評されている。 徳川家康 関ヶ原の戦い勝利して江戸幕府開き天下実権握った江戸幕府初代将軍。現在は将軍職息子秀忠譲り駿府城隠居をしているが、政治的実権その手保ち続けており、「駿府大御所」の敬称と共に畏怖されている。 すで老齢達した自身裏腹の秀頼の溌剌とした若さ危機感抱き卓抜した政治的計算力謀略能力奮って豊臣家滅亡の淵へと追い詰めてゆく。百戦経験裏打ちされたその奸謀前には、豊臣家さながら手をひねられる赤子のようなものでまったく相手にならない老境入ってもその頭脳冴えはまった衰え見せず些細な日常挙措動作端々にまで政治的効果狙った演技自然に出るなど、もはや骨の髄まで政治感覚染み込んだ筋金入り老練政治家徳川秀忠 家康後継者江戸幕府の現将軍真面目で謹直人物だが、政治・軍事に関する能力凡庸甚だ心許なく、家康先行き危ぶまれている。 大坂の陣において、家康はこの秀忠豊臣家に対して強硬な姿勢をとる鬼将軍として演出し自身はそれを諫めようとする寛仁老翁として振る舞うことによって、秀忠威望高めると同時に主戦論和平論とに別れていた大坂城内に揺さぶりかけようとした。 本多正純 家康謀臣家康少壮の頃から寵用した謀臣本多正信息子。父同様に謀略の才に恵まれているが、鷹匠から取り立てられた父と違って生まれついての大名であるため周囲に対してやや傲慢横柄な態度をとることが多い。大坂城陥落させるための間者として勘兵衛に目をつけた人物板倉勝重 家康信任篤い譜代大名江戸幕府京都所司代勤め上方情報逐一家康の下へ送っている。極めて優秀な能吏唐突に出来した変事万事そつなく処理し、その行政手腕鮮やかさ徳川家屈指の知恵者評判が高い。 藤堂高虎 伊予半国を治め大名保身術に長けており、秀吉によって大名取り立てられながら秀吉死の直前から早くも豊臣家行く末見限って家康近づき以後家康の手となったかのように率先して豊臣家切り崩し策動加担した。 以上の経緯から外様大名ではあるが家康信頼を得、大坂の陣では譜代大名井伊直孝と共に先鋒部隊大将選ばれた。単なる巧者というだけでなく武略にも優れた才がある。

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