策動
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ロクセラーナはスレイマン1世との間に儲けた5人の皇子たち(メフメト(英語版)、アブドゥラー(英語版)、セリム、バヤズィト(英語版)、ジハンギル(英語版))のうち、早世したアブドゥラーを除く4人の皇子たちのいずれかを次期スルタンとするべく策動したといわれている。 一時は長男のメフメトが有力となったが1543年に天然痘に罹って早世し、マヒデヴランの子ムスタファが再び有力となった。しかし、ムスタファは1553年にイラン遠征軍の陣中で突然処刑され、マヒデヴランはマニサからブルサへ移された。ムスタファは軍人として名声が高く、とりわけイェニチェリから強く支持されており、突然の処刑にイェニチェリは怒り、反乱を起こす寸前にまで至った。 スレイマン1世がムスタファを処刑した動機は不明だが、政権内を含む世論はロクセラーナが娘のミフリマー・スルタン(英語版)とその婿で大宰相のリュステム・パシャとともに「徳の高いスルタンの目をくもらせた」と考えた。 16世紀の女流詩人ニサーイーは次のような、スレイマン1世と「ロシアの魔女」、すなわちロクセラーナを非難する詩を作った。 ロシアの魔女の言葉を耳に入れ 企みと魔術にだまされて、あの悪女の言いなりとなり 生命の園の収穫を、あの気ままな糸杉のなすがままにした ああ、無慈悲なる世界の王よ かつてあなたが若かった時、あなたは何ごとも公平に正しく行っていたのに その振る舞いと気質で民を幸福にしていたのに 年老いた今、悪しき不正義を行うとは スレイマン1世はムスタファの子や側近も処刑する一方、政権内の不満を抑えるためにリュステム・パシャを罷免した。さらにリュステム・パシャが処刑されるという噂が立つと、ロクセラーナは助命のために奔走した。結局、リュステム・パシャは3年で大宰相の地位に返り咲いた。ロクセラーナの庇護の下、リュステム・パシャは蓄財に精を出し、財力をもって党派を形成して政治力を保持した。この手法は以降の時代の政治家によって踏襲された。 ロクセラーナはヴァリーデ・スルタン(スルタンの母后)(英語版、トルコ語版)や第一カドゥン(側室)、宦官らハレムの住人たちが権謀術数を巡らせ、オスマン帝国の政治を支配するカドゥンラール・スルタナトゥ(女人天下)(英語版、トルコ語版)と呼ばれる時代の幕を開けたと評価されている。 また、ロクセラーナは様々な問題に対するスレイマンのアドバイザー的な役割をしていたともいわれ、外交政策や国際関係の政治問題に影響が見られる。一例として彼女からポーランド国王ジグムント2世アウグストへ出した手紙が現存している。ロクセラーナの存命中、オスマン帝国とポーランドとの間には同盟関係が保たれた。
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策動
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「グナエウス・マルキウス・コリオラヌス」の記事における「策動」の解説
ローマを追放されたコリオラヌスは故国を恨み、復讐のためウォルスキ族の元へと飛び込んだ。彼を有名にしたのもウォルスキ族との戦いであり、仇敵同士ではあったが、その有力者の一人、アッティウス・トゥッリウス(英語版)の庇護を得る事となり、ローマに一泡吹かせる機会を窺った。しかし、先年来の疫病と敗戦により彼らの戦意は落ちていたため、二人は相談して一計を案じた。 その頃ローマでは大競技会が執り行われたが、その夜ある男の夢にユーピテル神が現れた。曰く、競技に先立って踊る者が不快であったため、より盛大にしてやり直すべし。この事を人々に知らせるのをためらった男の息子が死に、自らも体が不自由になったため慌てて元老院に報告すると、たちどころに元の体に戻ったという。とにかくこの神託通りにするため、様々な人々が呼ばれる事となったが、トゥッリウスに率いられたウォルスキ族も参加する事になった。 トゥッリウスは競技前日、執政官と面会してこう告げた。ウォルスキの中に不穏な動きがある。以前サビニ族が暴れた事があったであろう。同じような事になっても不思議ではない。私は巻き込まれるのはごめんだ。そう告げると彼はローマから去ってしまった。執政官の報告を受けた元老院は、ウォルスキは夜までに退去すべしと決定した。ウォルスキの人々は驚き慌て、あまりのことに憤った。彼らがローマから出てくるのを待ち構えていたトゥッリウスはローマの非を鳴らし、やすやすと彼らの怒りに火をつけた。待ち望んだ復讐の時がやってきたのである。
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策動
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「アルムフェルトの陰謀」の記事における「策動」の解説
ルーデンショルドはアルムフェルトに恋心を抱いており、アルムフェルトをスウェーデンに帰国させ、関係を継続することを望んでいた。ルーデンショルドは単なるアルムフェルトの使い走りではなく、スウェーデンにおけるアルムフェルトの代理人として、さらには共謀者の中心人物として行動した。アルムフェルトはルーデンショルドに同志やグスタフ4世、そしてロシア大使館の代理人として立ち回らせた。計画では、摂政政府を転覆させるために、グスタフ4世から何らかの形の許可を得ることになっており、これをロシアに送ってストックホルムにおけるクーデター作戦に対するロシアの軍事支援を正当化するとともに、この支援によって摂政政府を転覆させ、アルムフェルトが参加する新政府を樹立する目論見であった。アルムフェルトは、クーデターが成功してスウェーデンに戻った暁には、ルーデンショルドと結婚することを約束していた。ルーデンショルドは少なくとも2回、1回は王宮で直接、もう1回は仲介者を介して、グスタフ4世に書簡を渡すことを試み、アルムフェルトにグスタフ4世の「身の安全」を保証するための措置を講ずることを承認するよう求めた。しかし、アルムフェルトらは逮捕されるまでに何らかの許可を得ることはできなかった。
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