かん‐がん〔クワングワン〕【×宦官】
宦官
宦官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:11 UTC 版)
郭利仕〈61〉 演 - 呂涼 官職は驃騎大将軍。官位は従一品。通称は「郭将軍」。モデルは高力士。 馮神威 演 - 李全有 李静忠〈41〉 演 - 張衛 太子に仕える宦官。
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宦官
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馮保(中国語版)(演:馮遠征(中国語版)) 本作の第3の主人公。宦官。内廷総管(大内総管)。万暦帝の養育係で、万暦帝が幼い頃からその傍に仕えた。万暦帝から絶大なる信頼を寄せられ、「大伴」とまで呼ばれている。李太后からの信頼も厚い。 張居正とは腐れ縁で、政治的な見解や活動方針を巡って対立することも多かったが、両者とも主君・朝廷への忠義心に嘘偽りはなく、諸政策・諸活動において、しばしば協力関係を組んだ。まず物語の序盤、内閣首輔・高拱の打倒を躊躇う張居正を度々説得し、張居正が梃子でも動かぬと分かると、独断で事を運び、陰謀を巡らして高拱を失脚させ、張居正を宰相(内閣首輔)に擁立することに成功。宰相・張居正が「万暦新政」を推し進めると、積極的にこれに協力し、張居正の政治改革を大いに支えた。また自身も内廷総管として、乱れた内廷の綱紀をきっちり粛正するなど、一定の功績を挙げた。 自身は清廉高潔の士というわけではなく、ライバルや敵対派を陥れるために手練手管を弄し、さかんに陰謀を巡らせ、悪事に手を染めることもあったが、決して極悪非道というわけでもなく、一定の情理はわきまえている模様。貪財癖もある程度はあったが、そこまで酷くはなく、許容範囲という印象である。作中では、「悪賢く処世に長けてはいるが、見識深く、主君・朝廷への忠義に厚い勤勉な人物」として、二面性を持つ人柄で描かれている。なお、時折垣間見える教養人としての描写も非常に興味深い。 剛直すぎて時に融通が利かなくなるきらいがあった張居正に対し、度々的確な助言・忠告を行い、その激情をよく抑えた。張居正の良き理解者の一人であり、ある意味では彼の最大の味方でもある。張居正が奪情(※ごく例外的に「守制」を行わず、引き続き官界に留まること)を行うことに躊躇いを見せた際は、「もし奪情が理由であなたが地獄に落ちることになったら、私もそれにお供しましょう」と言って彼を激励し、張居正の奪情への決断を強く後押しした。 張居正が死去した後、ますます横暴さ・残虐さを増した万暦帝を、必死に制御しようとしたが、かえって万暦帝に煙たがられ、その不興を買い、失脚。全ての地位を免職され、引退と故郷での隠棲を余儀なくされた。 張鯨(中国語版)(演:劉波) 宦官。奸臣。馮保の腹心の部下。利発で見識深く、控えめで謙虚な性格であり、馮保から厚い信頼を得ていた。物語の序盤、馮保の命で両広監軍に任命され、広西に赴任し、新任の両広総督・殷正茂をよく支えた。広西での任を終えた後は、宮中に戻り、万暦帝の即位や上司・馮保の昇進に伴って、自身も司礼監秉筆太監に栄転。それから暫く目立った活躍はなかったが、物語が終盤に差し掛かると一気に頭角を現わし、万暦帝の絶大なる信頼を獲得して、馮保を差し置き、その側近宦官になった。 皇帝の側近になり、馬脚を露しだすと、万暦帝に悪知恵を授け、陰謀を巡らし病に侵された張居正の死期を早めた。更に張居正の死後は、張居正の一派やその一族郎党の粛清・弾圧に大いに尽力し、万暦帝を喜ばせた。またそれと併せて、自分を取り立ててくれた上司・馮保に対しても、恩を仇で返すかたちで鋭い刃を向け、悪辣な策を弄してこれを失脚に追い込み、自身が、名実ともに内廷のNo.1である司礼監掌印太監(&東廠提督)に就任した。 孟沖(中国語版)(演:王雲斎) 隆慶帝の側近宦官。内廷総管(大内総管)。司礼監掌印太監。隆慶帝への忠義に厚く、彼に西域美女・奴児花花(ヌルファファ)を献上するなど、皇帝の歓心を得るために労力を惜しまなかった。内閣首輔・高拱と結託し、内廷において盤石な地位を築いていたが、隆慶帝の急逝に伴い、馮保の陰謀によって失脚。職を失い引退した後は、己の人生に絶望し、隆慶帝の墓前で毒酒を飲み殉死した。 邱得用(演:常学仁) 李太后に側近として仕える宦官。乾清宮総管太監。慎み深く控えめな性格であり、長年宮中で真面目に働き、老いて高位を得た。不祥事を犯した外甥・章大郎を救うために策を弄したが、これがかえって墓穴を掘り、馮保の陰謀によって失脚。免職処分・引退を余儀なくされた。 呉和(演:張弓) 宦官。馮保の義理の息子。かねてより酷い貪財癖があり、奢侈な生活に興じ、女官・趙金鳳と密通するなど、養父・馮保の後ろ盾を武器にとにかくやりたい放題で、その醜聞は都中に広まっていた。馮保が政治的見解を巡って工部尚書・朱衡と対立すると、馮保の歓心を買うべく、これを懲らしめんと画策。自ら先頭に立って手管を弄し、極寒大雪の夜の外に、70歳を超える老齢の朱衡を放置。この事件がきっかけで朱衡は病に臥せってしまい、引退を余儀なくされた。 その後、馮保は、「愚か者の呉和は、いずれ自分の足手纏いになるだろう」との強い危機感を覚え、部下の陳応風に命じてこれを毒殺した。
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宦官(かんがん)
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「キングダム (漫画)」の記事における「宦官(かんがん)」の解説
去勢した官吏。男子禁制の後宮で唯一出入りが認められている男性の官吏であり、一様に縦に開いた覆面を被っている。
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宦官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
唐代は歴代王朝の中でも後漢・明ほどではないが、宦官悪の顕著な時代とされている。唐において最初に権勢を揮った宦官は玄宗時代の高力士である。高力士は玄宗の絶大な信頼を受け、李林甫などは高力士と結んで高位に上ったといわれる。高力士自身は全身が玄宗への忠誠心のような人物であったが、あまり表に出ることはなく陰で権勢を振るう傾向が強く、唐末の宦官権力の一典型となった。 安史の乱後、粛宗擁立に功績を挙げ宦官初の宰相となった李輔国、代宗の下で驃騎将軍となった程元振などを経て、神策軍を擁した魚朝恩の台頭の以後、宦官の存在は唐皇室の中で大きな位置を占める。 神策軍は唐の地方軍のひとつだったが、魚朝恩の行動により皇帝親衛軍とされ、以後代々の長官には宦官が任命され宦官の権力の拠り所となった。 宦官の専横に対して皇帝の側にも宦官を排除する動きが出てくる。憲宗の孫の文宗は宦官に不快感を抱いており、それを察した官僚李訓・鄭注は宦官殺害の策を練り、835年に「甘露が降るという瑞兆があった」という偽りを報告し、これを口実として宦官を集めて一気に殺害する計画を立てた。しかし内部の不一致から計画は失敗し李訓らは殺される。これを甘露の変と呼ぶ。 こうして皇帝と宦官勢力の対立が表面化したこともあったが、宦官は基本的に皇帝と不可分の存在であった。宦官の権力の源泉は皇帝であり、皇帝なくして宦官はあり得なかった。仇子良が残した言葉はこのことを如実に示している。また前述の皇帝側からの宦官に対する行動はあくまで宦官の専横の抑制を目的としており、宦官制度自体は唐代を通じて存された。宦官側・皇帝側、双方からの必要性故に宦官という存在がありえた。 権勢を振るった宦官も唐末に朱全忠・李克用らが争い合い、皇帝が名目的な存在になって以降は当然に勢力を失った。最終的に宦官は902年、朱全忠の力を借りた昭宗により全滅させられるが、その2年後に昭宗は朱全忠により殺され、さらにその3年後に唐は朱全忠へ禅譲し完全に滅亡する。
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宦官
出典:『Wiktionary』 (2021/06/19 12:40 UTC 版)
名詞
発音(?)
- か↗んがん
- か↗んが↘ん
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