ちゅう‐とう〔‐タウ〕【中唐】
中唐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:34 UTC 版)
安史の乱以後の中唐期(766-835年)の頃には、陳玄祐、沈既済、蒋防(中国語版)、李公佐、陳鴻、白行簡 、元稹などによって多くの伝奇小説が書かれた。 陳玄祐 『離魂記(りこんき)』は、離れ離れになった幼馴染の王宙(おうちゅう)と倩娘(せんじょう)が結ばれたが、実は倩娘の魂が体から抜け出していたのだったという話。元の鄭光祖による元曲 『倩女離魂』は『離魂記』に題材を得ている。 沈既済の『枕中記』は、主人公が栄華をきわめるが実はそれが一瞬の夢だったという話で、「邯鄲の枕」の話として著名。 同じ沈既済の 『任氏伝』は、女妖狐が人間の男に尽すという異類婚姻譚である。 許堯佐(中国語版) 『柳氏伝(りゅうしでん、中国語版)』 は、貧乏書生の韓翊は親友の李生の下女柳氏を娶るが、安史の乱の際に攫われた柳氏を義侠の士に奪還してもらう話。 李朝威 『柳毅伝(りゅうきでん、中国語版)』 は、試験をあきらめた書生が、嫁ぎ先で不遇をかこっていた竜王の娘を助けたことから娘を娶ることになる話。 李景亮 『李章武伝』 は、かつて一か月ほど男女の誼を通じた高貴な婦人を、李章武が訪れると婦人は死んでいたが、幽霊となって会いに現れるという話。 蒋防 『霍小玉伝(かくしょうぎょくでん、中国語版)』は、捨てた女の死後の恨みによって不幸な最期を遂げる男の話。明代の湯顕祖による崑劇 『紫釵記(しさいき)』や、さらにこれに基づく連続TVドラマ 『紫釵奇縁(しさいきえん、中国語版)』(2013年、中国)の元になった。 李公佐 『南柯太守伝(なんかたいしゅでん、中国語版) 』は、主人公が酔い、転寝のうちに蟻の世界に行き国王の婿となり南柯郡太守に任命されるという栄達の三十年を夢を見る話。明末に 湯顕祖 により戯曲『南柯記』となったほか、日本では 滝沢馬琴 の『三七全伝南柯夢』の粉本となった。 また、この時代には志怪小説の流れから脱却した作品が書かれるようになった。 陳鴻は、口承文芸に興味を持ち、友人である 白居易 の『長恨歌』にまつわる物語『長恨歌伝』 を作った。この詩と散文による構成は当時の小説によく見られる。 白行簡 『李娃伝』 は、妓女の李娃に弄ばれてすべてを失い落ちぶれた名家の息子が、再び李娃に再会しその献身的尽力により栄達する物語。 元稹 『鶯鶯伝(会真記) (中国語版)』 は、鶯鶯とは女主人公の名、会真は張生の作った詩の題名。張生と遠縁の娘の恋愛物語。一度愛し合ったが、張生が長安 に去ることをきっかけに別れてしまい、互いに別な人と結婚し、疎遠になってしまったという話である。元稹 の自叙伝であるから、心理描写に生新さがある。作者の麗筆は文学的価値を一段と描いている。『李娃伝』と逆で、高官を目指す若者が妓女と結ばれるが、社会の倫理観などに阻まれ遂に愛が崩壊する話。 これらの作品 は、明末清初の才子佳人小説や戯曲に広く影響を及ぼした。
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中唐(8世紀半ば - )
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
安史の乱により疲弊した唐は、中央アジアのみならず西域も保持することが難しくなり、国境は次第に縮小して世界帝国たる力を失っていった。 これに対し、中興の祖と謳われた憲宗は、中央の禁軍を強化することで中央の命令に服さない節度使を討伐し、朝威を回復させた。しかしその後不老長寿の薬といわれた丹砂(水銀)をはじめ怪しげな仙薬を常用するようになると、精神に不安定をきたして宦官をしばしば殺害したため、恐れた宦官により殺された。孫の文宗は権力を握った宦官を誅殺しようと「甘露の変」と呼ばれる策略を練ったが失敗し、かえって宦官の専横を招いた。また、文学においてはそれまで順調な発展を遂げていた唐詩にブレーキがかかる時代でもある。特に安史の乱以後に徐々にその兆しが表れ始める。
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中唐
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中唐期では、平易な表現を重んじた白居易・元稹(稹は禾偏に眞)らの「元白体」が現れた一方、個性的で難解な表現を愛用する韓愈・李賀などの一派も存在するなど、詩風は前代よりも多様化する傾向を見せ、多彩な性格を持つ詩壇を形成した。また韓愈・柳宗元らにより、六朝以来主流となっていた「四六駢儷体」と呼ばれる修辞主義的な文体を改め、漢代以前の達意を重んじる文体を範とする、新たな文体の創出が提唱された(「古文復興運動」)。韓愈らの試みは次の宋代の文学者に引き継がれ、後世、彼ら古文運動の主導者を「唐宋八大家」と総称する。
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