唐代とは?

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(唐代 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/10 14:58 UTC 版)

(とう、拼音: Táng618年 - 907年)は、中国王朝である。李淵を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア北東アジア諸国、例えば朝鮮半島渤海日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は最も有名なのが遣唐使の派遣で、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、それ以降派遣しなくなるまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。


  1. ^ Turchin, Peter; Adams, Jonathan M.; Hall, Thomas D (December 2006). “East-West Orientation of Historical Empires”. Journal of world-systems research 12 (2): 222. ISSN 1076-156X. http://jwsr.pitt.edu/ojs/index.php/jwsr/article/view/369/381. 
  2. ^ Taagepera, Rein (1997). “Expansion and Contraction Patterns of Large Polities: Context for Russia”. International Studies Quarterly 41 (3): 475–504. doi:10.1111/0020-8833.00053. JSTOR 2600793.  p. 492.
  3. ^ 『東洋に於ける素朴主義の民族と文明主義の社会』(1940年)
  4. ^ 加藤徹『貝と羊の中国人』新潮社〈新潮新書 169〉、2006年6月16日。ISBN 978-4106101694p112₋p113 「隋の楊氏も唐の李氏も、遊牧民族である鮮卑族の血を、濃厚に引いていた。そのため、唐の皇室のランクは、漢民族の貴族の家柄より格下であると、世間では見なされていた。唐の第二代皇帝太宗は、臣下に命じて『貞観氏族志』という本を編纂させた。この本では、天下第一の名門を唐の皇室とし、漢民族の名門である崔氏や盧氏の上に置いていた。このような涙ぐましい宣伝にもかかわらず、唐一代を通じて、唐の皇室の血筋は、高貴とは見なされなかった」
  5. ^ 『文藝春秋SPECIAL』2016年7月号、文藝春秋社、p205楊海英「隋に続く唐も鮮卑系で、首都長安は東アジアだけでなく、シルクロードを介して西方からさまざまな人々が訪れ、商業活動や文化活動が展開された」
  6. ^ 『文藝春秋SPECIAL』2016年7月号、文藝春秋社、p67岡田英弘「隋、唐ともの鮮卑人のつくった王朝です」
  7. ^ 岡田英弘『中国文明の歴史』講談社講談社現代新書〉、2004年12月18日、102頁。ISBN 978-4061497610「この時代の王朝である隋も唐も、その帝室は鮮卑系の王朝であった北魏、西魏、北周のもとで実現した、鮮卑族と、鮮卑化した漢族の結合した集団のなかから出てきたものである。」
  8. ^ 劉及辰『京都学派哲学』(光明日報出版社 1993年)または『日本対中国的文化侵略』叢書 (昆侖出版社)
  9. ^ 森安講義への質問に対する回答(全面的に補足)、第4回全国高等学校歴史教育研究会「唐の王族・李氏が拓跋出身であることを認めない者は、もはや世界中のどこにもいません。ただし問題になるのは、中国でも日本でも同じで、多くの“中国史”学者が、唐の王族・李氏をはじめとする支配者階級の集団はすでにほぼ 完全に“漢化”してしまっていたに違いないと信じ込み、我々のような見方に対して冷淡だったことです。我々の見方は、日本では京都大学杉山正明教授が多数の一般向け概説書で強く主張したことによって、かなり広く知られるようになり、帝国書院の高校教科書にさえ取り上げられました」
  10. ^ 陳寅恪『唐代政治史述論稿』
  11. ^ a b 松浦友久『李白伝記論』研文出版、1994年9月、75頁。ISBN 978-4876361205
  12. ^ 杉山正明(『世界の歴史 大モンゴルの時代』)、西尾幹二(『決定版国民の歴史』)らの説。
  13. ^ 渡邊信一郎「唐代後半期の中央財政―戸部曹財政を中心に―」(初出:『京都府立大学学術報告』人文・第40号(1988年)/所収:『中國古代の財政と國家』(汲古書院、2010年)第14章)
  14. ^ 『中国史2』、p460
  15. ^ ボストン美術館にある『歴代帝王図』は閻立本の手によると伝えられるが、北宋代の模写であると推察されている。
  16. ^ 蘇軾曰く「画は呉道士(道玄の元の名)に至りて終われり。」
  17. ^ 『絢爛たる世界帝国 : 隋唐時代』、331p
  18. ^ 新疆ウイグル自治区政府編『新疆概覧: シルクロードの十字路』文芸社より
  19. ^ 大室『パノラマの帝国』1頁
  20. ^ 汪「中国遊侠史」443~444頁
  21. ^ 「義」の定義については、相田洋は、『非血縁的な仲間結合を支える原理』としている。「義」は通常の道徳と異なるため、義を立てる遊侠でありながら、盗賊であることもありえる。相田「橋と異人」28頁
  22. ^ 日本において10世紀前半に相次いで発生した承平天慶の乱などの一連の地方反乱もこれに該当するという説もあるが、10世紀前半の中国大陸・朝鮮半島と日本列島の地理条件や政治・経済・社会などの環境の違いから、承平天慶の乱の発生は唐滅亡後の混乱や変革とは直接的な関係はなく、むしろ200年以上遅れる形で平氏政権の成立に影響を与えたとする理解もある(榎本淳一「唐代の朝貢と貿易」(初出:平川南 他編『文字と古代日本2 文字による交流』(吉川弘文館、2005年)/所収:榎本『唐王朝と古代日本』、吉川弘文館、2008年))。
  23. ^ 宦官勢力によって父・昭宗が失脚させられた際に皇帝として擁立されたが、2ヶ月足らずで昭宗が返り咲いたため李裕の即位の事実は否定された。通例として歴代皇帝には数えられていない。




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