刑部
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 17:54 UTC 版)
刑部
中国
刑部(けいぶ、満洲語:beidere jurgan)は中国古代の役所で、六部の一。司法を担当し、長官を尚書(刑部尚書)、次官を侍郎(刑部侍郎)という。隋、唐代では刑部の下に刑部、都官(とかん)、比部(ひぶ)、司門(しもん)の4司が設けられ[注 1]、それぞれに判官である郎中(ろうじゅう)と員外郎(いんがいろう)が置かれた[注 2]。
刑部は隋のときに設置された都官尚書に始まり、後に兵部尚書に改められた。唐・宋・元にも踏襲された。明・清代には刑部は全国の刑法を担当し、監察を担当する督察院、重大案件を担当する大理寺とともに「三法司制」と呼ばれた。
清の光緒32年(1906年)、光緒新政で法部(fafun i jurgan)と改められ、刑部の名称は廃止された。
注
部民・氏族
刑部(おさかべ)は古代日本の部民のひとつである。允恭天皇の后忍坂大中姫命の名代として設定され忍坂部が正字とされる。その料地に所属し管理に携わったりした人々が刑部氏であるとされている。また皇居であった忍坂の宮で生活する后の雑用などに仕えるために地方などから出仕したり、警備の任に当たる武人などでもあったとされている。
その流れを汲むとされる氏族が刑部氏である。
地名
前述の部民に由来する地名。
- 大字
- 西刑部町、東刑部町 - 栃木県宇都宮市(にしおさかべまち、ひがしおさかべまち)
- 刑部 (長柄町) - 千葉県長生郡長柄町(おさかべ)
- 細江町刑部 - 静岡県浜松市北区細江町刑部(おさかべ)
- 刑部 (津市) - 三重県津市にあった(昭和40年、押加部町などに細分され現存せず)
- 八木町刑部 - 京都府南丹市(おさべ)
- 刑部 (八尾市) - 大阪府八尾市(おさかべ)
- 刑部 (総社市) - 岡山県総社市(おしかべ)
- 大佐上刑部 - 岡山県新見市(旧上刑部村大字山奥にあたる)(おさかべ)
- 自治体
その他に異字のものがある。
官制
- 刑部省(ぎょうぶしょう) - 日本の律令制における二官八省のひとつ。
- 刑部省 (明治時代)(ぎょうぶしょう) - 日本の太政官制における二官六省のひとつ。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 「刑部村(近代)」(JLogos版)
関連項目
刑部
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「彩雲国物語の登場人物」の記事における「刑部」の解説
来 俊臣(らい しゅんしん) 刑部尚書。上治1年で41歳。悪夢の国試組の1人。黒州の小役人、大理寺長官を歴任。古今東西あらゆる法律に通暁し、矛盾だらけだった膨大な法律を極限までそぎ落とし、司法官の絶大な信頼のもと刑部及び大理寺を掌握。 昼間は刑部の牢屋にある棺桶で寝ている。夜行性で夜に働く。自分が気に入った人に棺桶を贈りたがる。黎深を異様に気に入っているが、本人には逃げられている。悪夢の国試組の国試の際に、黎深らが幽霊退治に繰り出す原因を作った人。黎深のために拍手喝采大爆笑の生前葬式を計画している。黎深を見ると色々な案が浮かんでくるらしい。 秀麗と初めて会った時に一緒に棺桶に入らないかと言って白菊を渡そうとしたが、気絶されてしまった。それ以来秀麗を少し気に入り、彼女を「小鳩ちゃん」と呼び、彼曰く「お茶目な棺桶」を贈りたがったり墓地の予約をしたがったりしている。 蒼白な肌色。棺桶を出る時は、髪紐で髪をくくり、特別製の漆黒の官服を着、白手袋を嵌める。棺桶を出れば刑部尚書になり、仕事はきちんとする。一人称はボク。人に棺桶を贈ったり読経を読むことにはまったく嫌がらせや悪気などの気持ちはなく、彼にとっては親愛の表れ。戴く王次第で左右される「人治」でなく、堅固な法体制で民草を救える「法治」の世を求めている。 『黒蝶』で秀麗を気に入り、彼女の後宮入りで劉輝への心象を下げる。『紫闇』で劉輝が羽羽殺害犯を問答無用に処刑せず公開尋問をしたことに奇妙な心地を覚えていた。短編「冬の華」では地方に居る。名の由来は唐の司刑標事、来俊臣か。
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