部民制とは? わかりやすく解説

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べみん‐せい【部民制】

読み方:べみんせい

大和政権による民衆統治制度朝廷皇室豪族隷属して奉仕貢納する人々を部(べ)として編成したもの。特定の職能をもって朝廷仕えた品部(しなべ)、皇室皇族私有民だった名代(なしろ)・子代(こしろ)、豪族私有民だった部曲(かきべ)に大別される律令制導入に伴い廃止された。


部民制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 07:48 UTC 版)

部民制(べみんせい)とは、ヤマト王権制度であり、王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制をいう。関連する概念に伴制がある。


  1. ^ 翰苑』引用の『魏略』逸文および『後漢書』では順奴部、絶奴部、消奴部、灌奴部、桂婁部。『三国志』「魏志」(正式には「魏書」)では順奴部、絶奴部、涓奴部、灌奴部、桂婁部と書かれる[6][7][8]
  2. ^ 時代や文献により佐平の人数は異なる。
  3. ^ 北魏と日本それぞれの年号・皇帝諡号・制度には「平城」(たいらじょう)をはじめ共通したものが多く見られる[10]。拓跋力微の諡号は聖武帝、嵯峨は騎馬民族の聖地の名、天平神亀は北魏の年号でもある。
  1. ^ 前之園亮一「宋書南斉書・名代・猪膏から見た氏姓成立と盟神探湯」『学習院史学』第38号、学習院大学、2000年3月、23-41(p.36)、ISSN 02861658NAID 110000135687 
  2. ^ 狩野久「古代国家の発展と吉備」 藤井学・狩野久・竹林栄一・倉地克直・前田昌義『岡山県の歴史』山川出版社 2000年 34・37ページ
  3. ^ 森公章『倭の五王』、56頁。
  4. ^ 西別府元日「芸備の自然と地域の形成」 岸田裕之編 室山敏明・西別府元日・秋山信隆・中山富広・賴祺一・児玉正昭・宇吹暁『広島県の歴史』山川出版社 1999年 28ページ
  5. ^ 西別府元日「芸備の自然と地域の形成」 岸田裕之編 室山敏明・西別府元日・秋山信隆・中山富広・賴祺一・児玉正昭・宇吹暁『広島県の歴史』山川出版社 1999年 28ページ
  6. ^ 田中俊明 1995.
  7. ^ 陳寿撰 1971.
  8. ^ 范曄撰 1971, p. 103.
  9. ^ a b 黒田達也, 1985
  10. ^ 福永光司 2018.
  11. ^ 佐川英治 2016.
  12. ^ 北川研究室「『古事記』使用漢字度数表」。


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