りんり‐がく【倫理学】
倫理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/08 03:02 UTC 版)
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倫理学(りんりがく、英語: ethics、ラテン語: ethica)または道徳哲学[1](どうとくてつがく、英: moral philosophy)、道徳学[1](どうとくがく)は、行動の規範となる物事の道徳的な評価を検討する哲学の一分野。
法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。
概観
倫理の定義には、人の思考や行動において、何が正しく何が間違っているのか、人はどう生きるべきか、などをあげることができる[2]。倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができる。この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されているが、一般的に道徳とは社会において人々が依拠するべき規範を確認するものである。しかし、道徳とは理性によりもたらされるものであるのか、感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれている。 スコットランドの哲学者であるデイヴィッド・ヒューム(『人間本性論』)は、哲学的経験主義、懐疑主義、自然主義で知られている[3][4]。ヒュームを拠り所とする論者は、事実についての「である」という言明(命題)のみから規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできない、と説く。これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考える。ヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている。
歴史
ヨーロッパ
イタリアのトマス・アキナス、ドイツのカント、イギリスのホッブス、ベンサム、ミルらが倫理学の発展に貢献した。ベンサム、ミルが唱えたのが功利主義である。 イマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出している。カントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており、人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える。そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される。このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学(meta-ethics)の研究として包括することができる。一方でカントは倫理に反する反ユダヤ主義の思想を持っていたことも、よく知られている[5][6]。
また道徳性の具体的な内容については規範倫理学(normative ethics)という研究領域で扱われている。この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学がある。プラトンやアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり、彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開している。例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して徳と呼ぶ。このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいている。カントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱した。[7][8][9]この立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張される。また義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場がある。この立場に立った功利主義の理論がジェレミー・ベンサムによって提示されている。ベンサムによれば、行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によってもたらされる結果であり、具体的には効用によって計算される。ベンサムは行為がもたらす快楽の程度を最大化するように行為する『最大多数の最大幸福』の原理を提唱した。
ギリシア・ローマ
古代ギリシアの伝統・神話に囚われない哲学的営みは、アナトリア半島(小アジア半島)西海岸のイオニア学派に始まる「自然哲学」と、イタリア半島南部(マグナ・グラエキア)のイタリア学派(ピタゴラス学派・エレア派)に始まる「数理哲学・論理哲学」という2つの潮流が主導する形で始まった[10][11] 。その中には、ピタゴラス学派(ピタゴラス教団)のように宗教教団的色彩を帯びたり、ヘラクレイトスのようにその世界観と共に倫理を説く者もいたが、後世で大きな潮流を成すには至らなかった。[12]
第3の哲学として「倫理哲学」(倫理学)を確立・大成するに至ったのが、アテナイを拠点としたソクラテスと、彼を題材として多くの著作を残したプラトンである。(紀元後3世紀に『ギリシア哲学者列伝』を書いたディオゲネス・ラエルティオスも、その著書の中で、ソクラテスを「倫理学」の祖と明記している[13]。)
ソクラテスは、問答法(弁証法・ディアレクティケー)を駆使しながら、「徳」の執拗な探求とその実践、そしてアテナイ人をはじめとする民衆への普及に生涯を費やした。彼自身は著書を残さなかったが、彼の弟子の1人であるプラトンが、(アテナイの民衆に刑死に追い込まれたその悲劇的な死も含め)その生涯を題材に数多くの著作(対話篇)を残し、彼の学園アカデメイアを中心に普及させたことで、その学派アカデメイア派の隆盛とともに、後世に大きな潮流を形成するに至った。
プラトンは、40歳頃にイタリア半島南部(マグナ・グラエキア)に旅行し、当地のピタゴラス学派・エレア派と交流を持ったことで、独自の思想を形成するに至り、「イデア論」を背景として「善のイデア」を探求していく倫理学思想を確立した。この倫理学は、個人で完結するものではなく、哲人王や夜の会議を通じて、現実の政治・法治・国家運営へと適用・活用されることが要請される。
また、ソクラテスには、プラトンの他に数多くの弟子・友人がおり、その中からはメガラのエウクレイデスに始まるメガラ学派、アリスティッポスに始まるキュレネ派、アンティステネスに始まるキュニコス派といった学派や、多くの著作を残したクセノポン等を輩出し、後世に影響を与えた。
プラトンのアカデメイアで学んだアリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師を経つつ、50歳ごろにアテナイ郊外に自身の学園リュケイオンを設立し、倫理学を含む総合的な学究に務めた。彼の学派ペリパトス派(逍遥学派)は、プラトンのアカデメイア派と並ぶ一大潮流となり、後世に大きな影響を与えた。
アリストテレスの倫理学は、(論理学・形而上学と共に)ソクラテス・プラトンのそれを更に精緻化したものであり、「最高善」を究極目的とした目的論的・幸福主義的な倫理学としてまとめられた。また、ソクラテス・プラトンの場合と同じく、倫理学が政治学の基礎となっており、現実の政治・国制へと適用・活用することが要請される。アリストテレスの倫理学的著作は、ペリパトス派(逍遥学派)の後輩たちに継承され、『ニコマコス倫理学』等として編纂された。
他の倫理学的学派としては、アカデメイアやリュケイオンで学んだエピクロスに始まるエピクロス派や、キュニコス派・アカデメイア派の影響を受けたゼノンに始まるストア派などがある。古代ローマへは、キケロ等の著作を通じて、アリストテレスやストア派の思想が紹介・伝播され、ローマ帝国末期にキリスト教が席巻するまで、大きな影響力を誇った。(アリストテレスの著作・思想は、後に中東・イスラーム圏経由で、中世の欧州に再輸入され、スコラ学の形成に大きな影響を与えた。)また、プラトンの思想は、ネオプラトニズムを経由しつつ、キリスト教神学・キリスト教哲学へと吸収され、その骨子の一部となった。
インド
古代インドでは、仏教倫理学が発展してインド哲学となった。紀元前のアーリア人侵入以降、その祭祀階級であるバラモン等によって思想が醸成されていき、紀元前7世紀頃に聖典『ヴェーダ』の付属文献『ウパニシャッド』に表れるような哲学として結実していった。そこに現れる倫理学は、世界そのものであるブラフマンと各人の個我たるアートマンの一体性(梵我一如)へと認識を昇華させることで、「サンサーラ(輪廻)」から解脱することを人生の究極目的とする目的論としてまとめられた。この倫理観は、バラモン教の後継であるヒンドゥー教(アースティカ)によって広まっていった。 また、古代マウリア朝チャンドラグプタ王の宰相カウティリヤは、その著書『実利論』の中で、人生の目的を
のトリヴァルガ(三組)とする倫理観をまとめ上げ、後世に影響を与えた。中世に登場したナーナクは独自の教義で教団を創設し、その教義はシーク教徒の「倫理」に影響を与えた[14]。
中国
春秋戦国時代の諸子百家の1つ、孔子に始まる儒家は、徳治主義を掲げ、徳の探求とその社会構成員への普及、内的向上を志向する点で、法治主義の法家と対比される。孔子が開始し、老子らが引き継いだ儒家は、中国歴代王朝によって国の基本的教えとなった。[15]一方で儒家・儒学は、後年日本の教育勅語や修身の教科書などに影響を与え、昭和戦前の軍国主義者に利用された。
また、墨家は「兼愛」(平等愛)を倫理的徳目として掲げるなど、儒家と対比される。
宗教からの分離
- ドイツ哲学者のルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハは『ピエール・ベール』(1838年)において、宗教(一神教)から独立した無神論的倫理学の可能を論証した[16]。したがって、西洋において、宗教と倫理の分離は比較的新しい時代に行われた。一方、儒教では、『論語』の「子、怪力乱神を語らず」の伝統があり、近世日本では有鬼論と無鬼論に別れた(詳細は無神論近世日本を参照)。
- イギリスのトマス・ヘンリー・ハクスリーは、自然、すなわち天をインモラルとはいわずにアンモラルといい、道徳観は人が作るものであり、天や地に客観的にあるものではないとした(新渡戸稲造 『修養』明治44年刊、第十章「逆境にある時の心得」内の「逆境の人はなぜ天を怨むのか」の項)。
分類
メタ倫理学
メタ倫理学は、道徳判断に含まれる概念の分析や、倫理的主張の理論的正当化を課題とする倫理学の一分野である。20世紀に言語哲学や分析哲学の影響を受けて流行した。リチャード・ガーナーとバーナード・ローゼンは、メタ倫理学の分類をおこなった。[17]代表的論者として、ジョージ・エドワード・ムーアらがいる。
規範倫理学
規範倫理学は、広義の義務論、徳論、自由意志、広義の価値論について考察する倫理学の一分野である。どのような道徳や判断が善いのか(あるいは正しいのか)を探求する。[18]快楽主義、幸福主義、非快楽主義、利己主義、利他主義、功利主義などの代表的な規範倫理学の立場がある。
- 功利主義…ジェレミ・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル、R. M. ヘア、ピーター・シンガーなど
- 義務論…イマヌエル・カントなど
- 徳倫理学…プラトン、アリストテレス、G. E. M. アンスコム、アラスデア・マッキンタイアなど
応用倫理学(applied ethics)
メタ倫理学や規範倫理学の成果を現代の実践的な問題に適用する倫理学の分野である。
その応用範囲に応じて、以下のような領域がある。
出典
- ^ a b 『百科事典マイペディア』「倫理学」
- ^ what-is-morality-definition study.com 2024年4月4日閲覧
- ^ Maurice Cranston, and Thomas Edmund Jessop. David Hume. Retrieved 5 April 2024
- ^ Harris, M. H. 1966. "David Hume". Library Quarterly 36 : 88–98.
- ^ レオン・ポリアコフ III「反ユダヤ主義の歴史 ,p.248~251.
- ^ 下村由一「ドイツのおける近代反セム主義~」 1972, p.111~112.
- ^ 「定言的命令」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館
- ^ 精選版 定言的命令「定言的命令」 - 精選版 日本国語大辞典
- ^ 小学館デジタル大辞泉_定言的命令|「定言的命令」 - デジタル大辞泉、小学館
- ^ Audi, Robert. “Philosophy of logic”. The Cambridge Dictionary of Philosophy. Cambridge University Press
- ^ “Philosophy of logic”. www.britannica.com. 8 April 2024閲覧。
- ^ 大きな潮流にがならなかったが、これらが後述するプラトンの思想形成に一定の影響を与えた事実は見逃せない
- ^ 『列伝』 14
- ^ インドの倫理学 cir.nii.ac.jp 保坂教授の論考 2024年4月30日閲覧
- ^ 儒家 山川出版 2024年4月30日閲覧
- ^ 梅本克己 『唯物論入門』 清水弘文堂書房 1969年 p. 89.
- ^ Garner, Richard T.; Bernard Rosen (1967). Moral Philosophy: A Systematic Introduction to Normative Ethics and Meta-ethics. New York: Macmillan Publishers. pp. 215. LCCN 67--18887
- ^ 規範倫理学 2024年5月1日閲覧
読書案内
- 岩崎武雄『倫理学』有斐閣、1971年、ISBN 9784641074088
- 宇都宮芳明『倫理学入門』放送大学教育振興会、1997年、ISBN 9784595214271
- 訓覇曄雄、有福孝岳 編『倫理学とはなにか : その歴史と可能性』新版、勁草書房、1989年、ISBN 9784326100507
- 小坂国継、岡部英男 編著『倫理学概説』ミネルヴァ書房、2005年、ISBN 9784623041411
- 和辻哲郎『倫理学』上下、岩波書店、1965年
- プラトン著、加来彰俊訳『ゴルギアス』岩波書店、1967年
- アリストテレス著、高田三郎訳『ニコマコス倫理学』岩波書店、1971-1973年
- ジェレミ・ベンサム. 1789. An Introduction to the Principles of Moral and Legislation. London: Printed for T. Payne.
- ホッブズ著、永井道雄、上田邦義訳『リヴァイアサン 1-2』中央公論新社、2009年
- ヒューム著、斎藤繁雄、一ノ瀬正樹訳『人間知性研究』法政大学出版局、2004年
- 前田なお『本当の声を求めて 野蛮な常識を疑え』青山ライフ出版(SIBAA BOOKS)、2024年。
関連項目
外部リンク
- 倫理学 - インターネット哲学百科事典「倫理学」の項目。
- 『倫理学』 - コトバンク
倫理学
出典:『Wiktionary』 (2021/08/07 00:39 UTC 版)
名詞
発音(?)
- り↗んり↘がく
類義語
翻訳
- アイルランド語: eitic (ga) 女性
- アフリカーンス語: etiek (af)
- アラビア語: عِلْم اَلْأَخْلَاق (ar) 男性
- アルメニア語: բարոյագիտություն (hy)
- イタリア語: etica (it) 女性
- イディッシュ語: עטיק (yi) 女性
- インドネシア語: etika (id)
- ウクライナ語: етика (uk) 女性
- 英語: ethics (en)
- エストニア語: eetika (et)
- オランダ語: zedenkunde (nl) 女性, ethiek (nl) 女性
- カザフ語: этика (kk)
- カタルーニャ語: ètica (ca) 女性
- ギリシア語: ηθική (el) 男性
- クメール語: សីលវិជ្ជា (km) (sey lak vijjea)
- グルジア語: ეთიკა (ka)
- スペイン語: ética (es) 女性
- セルビア・クロアチア語:
- タイ語: จริยธรรม (th) (jà-rí-yá-tam), จริยศาสตร์ (th) (jà-rí-yá-sàat)
- タガログ語: palaasalan (tl), dalub-asalan (tl), dalubasalan (tl), asalan (tl)
- タジク語: илми ахлоқ (tg), одоб (tg)
- チェコ語: etika (cs) 女性
- 中国語: 倫理學 (cmn), 伦理学 (cmn) (lúnlǐxué)
- 朝鮮語: 윤리학 (ko) (yullihak) (韓国), 륜리학 (ko) (ryullihak) (北朝鮮) (倫理學 (ko))
- デンマーク語: etik (da) 通性
- ドイツ語: Ethik (de) 女性
- トルコ語: etik (tr)
- ノルウェー語: etikk (no) 男性
- ハンガリー語: etika (hu), erkölcstan (hu)
- フィンランド語: etiikka (fi)
- フェロー語: siðalæra (fo) 女性, siðafrøði (fo) 女性
- フランス語: éthique (fr) 女性
- ブルガリア語: етика (bg) 女性
- ベトナム語: đạo đức học (vi)
- ベラルーシ語: этыка (be) 女性
- ペルシア語: فلسفه اخلاق (fa) (falsafe-ye axlâq), علم اخلاق (fa) ('elm-e axlâq), اصول اخلاق (fa) (osul-e axlâq)
- ベンガル語: নৈতিকতা (bn)
- ポーランド語: etyka (pl) 女性
- ポルトガル語: ética (pt) 女性
- マオリ語: matatika (mi)
- マレー語: etika (ms)
- モンゴル語: этик (mn)
- ラトヴィア語: ētika (lv) 女性
- ロシア語: этика (ru) 女性
「倫理学」の例文・使い方・用例・文例
- 彼の理論はカントの倫理学の影響を受けている。
- 倫理学というのは、行動の規範を意味する。
- この論文は倫理学の面からその問題を論じている。
- 実践倫理学.
- 道徳哲学, 倫理学.
- 倫理学者.
- 【倫理学】 至上善.
- 倫理学
- 倫理学者
- 倫理学を専攻する哲学者
- 倫理学において,形式主義という立場
- 倫理学における,権力説という学説
- 道徳の起源を,人間の社会的条件から説明する倫理学説
- 進化論的倫理説という倫理学説
- 倫理学において,徳論という,徳の本質や実践方法などを主題とした分野
- 倫理学における動機説という学説
- カント倫理学における道徳性
- 主情主義という,倫理学および教育学上の主義
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