こうぞう‐しゅぎ〔コウザウ‐〕【構造主義】
構造主義
構造主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 04:24 UTC 版)
構造主義(こうぞうしゅぎ、仏: structuralisme)とは、狭義には1960年代に登場し主にフランスで発展していった20世紀の現代思想の一つである。なお、構造主義と構成主義は異なる。構造主義の代表的な思想家としてクロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトらが活躍した。
注釈
- ^ 伝統的にフランスの数学者集団ブルバキとのつながりがある。
- ^ 岩井克人によれば構造主義とは、歴史には方向性があるとするマルクスへの批判であり、歴史の先取りに価値を見るサルトルへの批判であったという(日本経済新聞2013年10月10日(人間発見)国際基督教大客員教授 岩井克人さん 「資本主義」を考え抜く (3))。
- ^ 1896-1982。ロシア生まれの言語学者。アメリカでも活動した
- ^ 構成主義を研究したジャン・ピアジェは構造主義者を自認しているが、発達心理学を基礎に構造は構成的なものであるとして、レヴィ=ストロースの静的な構造理論を批判している。また、構造主義のむやみな拡張にも反対しており、ミシェル・フーコーも厳しく批判している。
出典
- ^ 構成主義 2024年3月2日閲覧
- ^ Sylvain Auroux, E.F.K. Koerner, Hans-Josef Niederehe, Kees Versteegh (2008 ) History of the Language Sciences, 2nd volume, p.1882 History of the Language Sciences
- ^ Deleuze, Gilles. 2002. "How Do We Recognise Structuralism?" In Desert Islands and Other Texts 1953-1974. Trans. David Lapoujade. Ed. Michael Taormina. Semiotext(e) Foreign Agents ser. Los Angeles and New York: Semiotext(e), 2004. 170–192. ISBN 1-58435-018-0: p. 170.
- ^ Dunn, Hopeton S. (2014). “A Tribute to Stuart Hall”. Critical Arts 28 (4): 758. doi:10.1080/02560046.2014.929228. ISSN 1992-6049.
- ^ Johann Sebastian Bach interlochen.org 2024年2月29日閲覧
- ^ 池田清彦『さよならダーウィニズム』p.144
- ^ 絵所秀紀『開発の政治経済学』日本評論社、1997年。
- 1 構造主義とは
- 2 構造主義の概要
- 3 生物学における構造主義(構造主義生物学)
構造主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/06 05:35 UTC 版)
第二次世界大戦後のフランスでさかんになったアプローチである。クロード・レヴィ=ストロースがその中心人物で、ブラジルでの旅の紀行をまとめた『悲しき熱帯』は当時にあってはセンセーショナルな、こんにちでは記念碑的な構造人類学の著作となった。 構造主義的な人類学においては、文化を構成する個々の要素をそれ自体としてではなく、相互間の関係性の束からなる構造としてとらえる。また、特に、意識化されない構造の重要性について論究している。 なお、レヴィ=ストロースによるムルンギン族の婚姻体系の研究については、アンドレ・ヴェイユが数学における群論を活用して、その婚姻体系の全容を解明しており、レヴィ=ストロースの思想は多方面に影響を与えただけでなく、異なる学問分野間の交流や学際的な研究を促進する役割をも担ったと評することができる。
※この「構造主義」の解説は、「民族学」の解説の一部です。
「構造主義」を含む「民族学」の記事については、「民族学」の概要を参照ください。
構造主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/07 01:30 UTC 版)
詳細については構造主義を参照。 フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、すべての社会的・文化的組織を「人間の脳に内在する構造によって形成された象徴的なコミュニケーションのシステム」とみなした。したがって彼によれば、象徴システムは機能主義者たちが考えているような社会構造の反映ではなく、社会関係を組織化するためにその上に押しつけられたものである。レヴィ=ストロースは神話と儀礼を相互補完的なふたつの象徴システムとして捉え、一方は言語的、他方は非言語的なシステムであるとした。彼は儀礼に関する理論を提示しようとは考えていなかったが(神話に関しては全四巻の著作を遺している)、メアリー・ダグラスやエドマンド・リーチといった研究者に大きな影響を及ぼした。
※この「構造主義」の解説は、「儀礼」の解説の一部です。
「構造主義」を含む「儀礼」の記事については、「儀礼」の概要を参照ください。
構造主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:17 UTC 版)
(画像左)構造主義の先駆者とされるソシュール、(画像右)構造主義者の提唱者レヴィ=ストロース 『存在と無』によって、一躍時代の寵児となったサルトルは、その後、『弁証法的理性批判』(1960年)において、実存主義をマルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論を再構成し、ヘーゲル-マルクス的な歴史主義とデカルト-フッサール的な人間主義との統合を主張するようになったが、その後、サルトルとクロード・レヴィ=ストロースの論争をきっかけに、マルクスの上部構造 / 下部構造、生産力 / 生産関係といった構造的な諸概念が実体化されていること、また、デカルト-フッサール的な近代的な主体を思想の前提として実体視していることを批判し、構造主義が台頭するようになった。
※この「構造主義」の解説は、「現代思想」の解説の一部です。
「構造主義」を含む「現代思想」の記事については、「現代思想」の概要を参照ください。
構造主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:17 UTC 版)
(画像左)構造主義の先駆者とされるソシュール、(画像右)構造主義の提唱者の一人レヴィ=ストロース(1908年 - 2009年) 『存在と無』によって一躍時代の寵児となったサルトルはその後、『弁証法的理性批判』(1960年)において、実存主義をマルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論を再構成し、ヘーゲル‐マルクス的な歴史主義とデカルト=フッサール的な人間主義との統合を主張するようになった。だがその後、サルトルとクロード・レヴィ=ストロースの論争をきっかけに、マルクスの上部構造/下部構造、生産力/生産関係といった構造的な諸概念が実体化されていること、また、デカルト=フッサール的な近代的な主体をサルトルが思想の前提として実体視していることが批判されるようになり、主体性や人間中心主義の諸前提を問い直す構造主義が台頭するようになった。構造主義はソシュールの言語学の強い影響下にある。構造主義の主要人物としてはレヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、ルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトなどが挙げられる。
※この「構造主義」の解説は、「フランス現代思想」の解説の一部です。
「構造主義」を含む「フランス現代思想」の記事については、「フランス現代思想」の概要を参照ください。
「構造主義」の例文・使い方・用例・文例
構造主義と同じ種類の言葉
- 構造主義のページへのリンク