ドイツ‐かんねんろん〔‐クワンネンロン〕【ドイツ観念論】
ドイツ観念論
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ドイツ観念論(ドイツかんねんろん、独: Deutscher Idealismus, 英: German idealism)またはドイツ理想主義は、近代の観念論(理想主義)の典型であり、プラトン哲学のイデアから由来している[1]。18世紀末から19世紀半ばに、ヒュームの流れを組むカント『純粋理性批判』への反動として、主にプロイセンなどドイツ語圏ルター派地域において展開された哲学思想であり、ロマン主義と啓蒙時代の政治革命に密接に関連している。
ドイツ観念論
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ドイツ観念論の哲学者イマヌエル・カントは、モーゼス・メンデルスゾーンなどユダヤ人哲学者と交流していたが著作では反ユダヤ主義的な見解を繰り返し述べており、『単なる理性の限界内での宗教』(1793年)で「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけがイェホヴァ−に選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視したし、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」と述べ、また晩年の『実用的見地における人間学』(1798年)でも「パレスティナ人(ユダヤ人)は、追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない世評を被ってきた」と書き、『諸学部の争い』ではユダヤ人がキリスト教を公に受け入れればユダヤ教とキリスト教の区別が消滅し、ユダヤ教は安楽死できると述べている。カントは、啓蒙思想によるユダヤ人解放を唱えながら、儀礼に拘束されたモーセ教(ユダヤ教)を拒否した。他方のモーゼス・メンデルスゾーンはラファータ−論争でキリスト教への改宗を断じて拒否した。また、カントは、フランス革命を賛美しつつも、教会や圧政などの「外界からの自由」というフランス革命の自由観を批判して、自律的な自己決定という概念によって、外界の影響に左右されない「完全な自由」観を生み出した。カントは、人間は外なる世界ではなく、自己の内なる世界、自律的な精神の中の道徳律に従うときに自由であると論じたが、このようなカントの哲学が政治に適用されると、自律性と自己決定をもって道徳に従う政治がよい政治とされ、自決権の獲得が政治目標となる。こうしたカントの思想はフィヒテによって継承された。 当初、フランス革命の熱心な支持者であったドイツの哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは「フランス革命についての大衆の判断を正すための寄与」(1793年)で革命を理論的に根拠づけるとともに、ユダヤ人がドイツにもたらす害について述べた。フィヒテは「ユダヤ人から身を守るには、彼等のために約束の地を手に入れてやり、全員をそこに送り込むしかない」「ユダヤ人がこんなに恐ろしいのは、一つの孤立し固く結束した国家を形作っているからではなくて、この国家が人類全体への憎しみを担って作られているからだ」とし、ユダヤ人に市民権を与えるにしても彼らの頭を切り取り、ユダヤ的観念の入ってない別の頭を付け替えることを唯一絶対の条件とした。フィヒテは、世界は有機的な全体であり、その部分はその他の全ての存在がなければ存在できないとされ、個人の自由は全体の中の部分であり、個人より高いレベルの存在である国家は個人に優先すると論じて、個人は国家と一体になっ たときに初めてその自由を実現すると、主張した。このようなフィヒテの国家観はシェリング、ミューラー、シュライエルマッハーによって支持され、他方20世紀初期のシオニストもフィヒテを国民としての強い自覚によって道徳性を高める思想の先駆者とみなし、反シオニストのユダヤ系哲学者ヘルマン・コーエンもフィヒテは国民が全体の自由に奉仕するという旧約聖書の理想を認めたと称賛した。 フィヒテと同じく当時はまだフランス革命の熱心な支持者であったフリードリヒ・シュレーゲルは「共和主義の概念にかんする試論」(1793年)で民主的な「世界共和国」を論じて、革命的民主主義に疑念を呈したカントの『永遠平和のために』(1795年)を乗り越えようとしたが、シュレーゲルもナポレオン時代にはドイツ国民意識を鼓舞する役割を果たした。 1799年、自由主義神学者ゼムラーの弟子シュライアマハーは宗教論第5講話で、ユダヤ教は聖典が簡潔し、エホバとその民との対話が終わったときに死んだと述べた。また1804年、国家は道徳的権威であり祖国は生きることに最高の意味を与えてくれると論じた。 ヘーゲルはユダヤ人解放を支持した。しかし、『宗教哲学講義』でユダヤ人の奴隷的意識と排他性について論じ、『精神現象学』(1807年)でユダヤ人は「見さげられつくした民族であり、またそういう民族であった」、1821年の『法の哲学』ではイスラエル民族は自己内へ押し込められ無限の苦痛にあるのに対して、ゲルマン民族は客観的真理と自由を宥和させるとした。『キリスト教の精神とその運命』ではユダヤ人は「自分の神々によって遂には見捨てられ、自分の信仰において粉々に砕かれなければならなかった」「無限な精神は牢獄に等しいユダヤ人の心の中には住めない」と批判した。さらにヘーゲルは、ニグロはあらゆる野蛮性を持った自然人であり、その性格の中に人間を思い起こさせるものは何もないとした。ヘーゲルによれば、世界史はアジアに始まり、ヨーロッパに終わるが、アフリカは世界史の外にとどまる。東洋ではひとりだけが自由であり、ギリシア・ローマ世界は幾人かが自由であるのに対して、ゲルマン世界ではすべての者が自由であるとした。ゲルマン民族は純粋な内在性を持ったため精神が解放された。しかし、ラテン民族は分裂を保持していたため魂という精神の全体性がないため、自己の最も深いところで自己にとって外的存在なのであるとした。またヘーゲルは若い頃の未刊論文で「キリスト教はヴァルハラをさびれさせてしまい、神聖は小森を伐採し、民衆の空想を恥ずべき迷信、悪魔的な毒として窒息させた」と書いた。 哲学者シェリングは白人種は最も高貴な人種であり「ヤペテの、プロメテウスの、コーカサスの人種の祖先のみが、その行為によって観念(イデー)の世界の中に入り込むことできる唯一の人間である」とし、他の人種は奴隷になるか絶滅する運命にあると論じた。また、ユダヤ人は民族をなさず、純粋な人類の代表であり、他の者よりも観念の世界に近づくことができるとした。 哲学者ショーペンハウアーは白人種と新約聖書の起源はインドであるとし「インドの知恵から出たキリスト教の教義は、粗雑なユダヤ教というまったく異質な古い幹をおおった」「人類は、アダムにおいて誤りを犯し、その時以来罪、堕落、苦悩、死の絆の中に捕らえられていたが、救世主によって罪をあがなわれた。これがキリスト教や仏教の見方である。世界はもはや『すべては良い』としていたユダヤの楽観主義の光の中に現れることはない」と述べた。ショーペンハウアーにとって、シナゴーグも哲学の講堂も本質的に大差はないが、ユダヤ人はヘーゲル派よりも質が悪いと考えていた。ショーペンハウアーは「ユダヤ人は彼らの神の選ばれた民であり、神はその民の神である。そしてそれは、別にほかのだれにも関係のないことである」と述べている。またショーペンハウアーは、西欧はユダヤの悪臭によって窒息させられており、ユダヤ思想の影響を呪い「いつかヨーロッパがあらゆるユダヤ神話から純化される。おそらくアジア起源のヤペテ系の人びとが彼らの生地の聖なる宗教を再び見出す世紀が近づいている」と述べた。ショーペンハウアーはアーリア主義とセム主義の二元的な対照をドイツで普及させた。
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