ドイツ観念論による弁証法的回答
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「弁証法」の記事における「ドイツ観念論による弁証法的回答」の解説
ドイツ観念論と一口に言っても、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル等の間には、思想内容にかなりの差異があり、互いに批判し合う関係にすらある。そんな彼らに共通しているのは、「ドイツ観念論」(German idealism)という分類・表現に象徴的に表されているように、「ネオプラトニズム」→「ドイツ神秘主義」(エックハルト、クザーヌス等)と続く神秘主義の系譜で継承されてきた、「一者」及び、それとの「合一」への志向・願望である。 彼らはこうした志向の下、カントの二元論的な批判哲学的枠組みを、より主体的な観点から乗り越え、「一者」へと至る道程・枠組みとして組み立て直すべく、それぞれに模索・説明していくことになった。そしてこれは、総じてドイツ観念論の枠組みが、カントの枠組みよりも、経験的・主観的・直観的傾向がより強く、また「先決」的性格・内容が弱いことを意味する。言い換えれば、一見、経験論的でありながら、他方で「一者」を遠方・背後・根底に見つつ、それによって保証された調和的な道程を弁証法的に上っていくという点で、野放図でも懐疑論的でもない、そんな枠組みとしてドイツ観念論の枠組みは位置付けられることになる。 ヘーゲルの場合、こうした「人間の主観(意識・理性)によって掴まれないものは認めない」という姿勢は、ヘーゲルの『法の哲学』の序文における、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」の一文に象徴的に表現されている。 「ミネルヴァの梟(ふくろう)」の例えで有名な、この序文でも端的に述べられているように、ヘーゲルに言わせれば、哲学は、常に現実を後追いしているに過ぎない。現実の歴史がその形成過程を終えてから、ようやくそれを反映するように観念的な知的王国としての哲学が築かれる(「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」)のであって、「哲学の到来はいつも遅すぎる」し、決して「あるべき世界」を教えてくれるようなものでもない。哲学は現実を越えた「彼岸的なもの」を打ち立てることができないし、そんなものは「一面的で空虚な思惟の誤謬の中」にしかない。 つまり、カント等に見られるように、その時々で、あらかじめ、ある形式や真理を先決して、体系を構築したとしても、その真理はその形式・体系の中における限りでの真理であるに過ぎず、現実の将来的見通しをもたらす普遍的真理になるわけでもないし、条件が変わり、その形式・体系が変わるに伴い、雲散霧消して、また別に新たに生み出されるような、仮初の真理に他ならない。したがって、本物の普遍的真理に到達するためには、そうした先決や、時々の形式・体系への固執は、むしろ不要・邪魔であり、避けられなくてはならない。 そのため、彼にとっては、哲学がなすべきことは、あくまでも「時間的に過ぎ去りゆくものの中に、内在的・現在的かつ永遠なものを (外的な形態化されたものの内にも脈打つ、内的な脈動を)概念的に認識する」ことであり、「実体的なものの中にいながら、主体的な自由を保持しようとし、それでいながら、特殊的・偶然的なものの内にではなく、即自かつ対自的に存在するもの(自覚・認識と充足の一体性、形式と内容の一体性)の内にいようとする内的な欲求に従った、現実との熱い和解・平和」である、ということになる。 つまり、哲学は、人間の主観・認識が、己の性質・欲求に従いつつ、主体的かつ漸進的に、試行錯誤を経ながら、現実と調和していく形で、真理・絶対知に到達していく過程・道程として、また、その最終的な結実として、捉えられなくてはならない。 そこで、人間の現実認識が対立・媒介を通して展開し、絶対知に到達していく過程のダイナミズムの内実に着目する、「ヘーゲルの弁証法」と呼ばれるような考え方が、持ち出されることになる。 (なお、こうした論理の厳密な形式性を巡っては、学問的にそれを重視・洗練させていく流れ(フレーゲ、ラッセル、前期ウィトゲンシュタイン等、数学に近接し数理論理学となり(数学の論理主義・形式主義はゲーデルの不完全性定理によって一定の限界が示される)、また分析哲学へとつながる)と、逆に、生の人間・社会の存在様式に寄り添いながら、その形式の根拠を問い直していく流れ((ヘーゲル、マルクス、)フッサール(現象学)、マルティン・ハイデッガー、実存主義、構造主義、ポスト構造主義(ポストモダニズム)等)に、西洋思想が大きく分岐していくことになる。そして、そういった形式的基礎付けを巡る議論とは別に、現実に役立つ経験主義、実証主義、自然科学(応用科学・実学)、あるいはプラグマティズム等の流れも存在している。)
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