ろんり‐しゅぎ【論理主義】
論理主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:19 UTC 版)
論理主義は、数学は論理学に還元可能で、ゆえに数学は論理学の一部以外の何者でもないというテーゼである(Carnap 1931/1883, 41)。論理主義者の考えでは、数学はアプリオリに知ることができるが、我々の数学の知識は我々が論理学全般についてもっている知識の一部分にすぎない。そのためわれわれの数学知識にとって、いかなる数学的直観の特別な能力も不要で、命題の分析をすればよい。論理主義に従えば、論理学が数学の固有の基礎であり、全ての数学的言明は必然的な論理的真理である。 ルドルフ・カルナップ(1931年)は、論理主義の論点を2点提示している。 数学の概念は、論理学的概念から明示的な定義をとおして導きうる。 数学の定理は、論理学的公理から純粋に論理学的な演繹によって導きうる。 ゴットロープ・フレーゲが論理主義の創始者であった。独創的な論文『算術の基本法則』Die Grundgesetze der Arithmetik の中で、彼は内包性の一般原理を用いて、一つの論理学体系から数学を作りあげている。この内包性の一般原理を彼は「基本ルールV」と呼んでいる(概念 F と G において、全ての対象 a について Ga のときかつそのときに限り Fa であるならば、そのときに限って、F の外延と G の外延は等しい)。彼はこの原理を論理学の一部として受け入れることができると考えた。 しかし、フレーゲの構成には欠陥があった。ラッセルが「基本ルールV」に矛盾があることを発見したのである。これがラッセルのパラドックスである。この後すぐフレーゲは彼の論理主義のプログラムを捨てたが、ラッセルとホワイトヘッドが後継者となった。彼らは、このパラドックスを「悪循環」に由来するものとし、これを扱うために「分岐タイプ理論」(英: ramified type theory)なるものを作り上げた。この理論を用いれば最終的に近代数学の多くの部分を作り上げることができるが、しかしその数学は部分的に変更されており、また非常に複雑な形式となる(例えば、それぞれのタイプに異なる自然数があり、無限に多くのタイプが存在する)。彼らはまた、数学の大部分を構築するために、「還元公理」(英: axiom of reducibility)をはじめとするいくつかの妥協をしなくてはならなかった。ラッセルでさえ、この公理は実際には論理学に属するものではない、と述べたほどであった。 現代の論理主義者は(ボブ・ヘイル(Bob Hale)やクリスピン・ライト(Crispin Wright)、おそらくは他の人々も)、フレーゲのものに近いプログラムに回帰している。彼らは基本法則Vを捨ててしまって、ヒュームの原理(概念 F に帰属する対象の数は、概念 G に帰属する対象の数と、F の外延と G の外延が一対一対応させられるとき、かつそのときに限り、等しい。)のような抽象原理を支持している。フレーゲは数の明示的な定義のために基本法則Vを必要としたが、数の全ての性質はヒュームの原理から導き出せる。これはフレーゲにとって不満の残る原理であっただろう。(彼の言葉を換言すれば)実際のところ、数3がジュリアス・シーザーと同一である可能性を排除しないからである。加えて、彼らが基本法則Vを置き換えるために採用せざるをえなかった弱められた原理の多くは、もほやそれほど明白に命題分析的ではなく、したがって純粋に論理学的でもないように思える。 もし数学が論理学の一部分であるならば、数学的対象に関する疑問は、論理学的対象への疑問へと還元される。しかしそれでは、論理的概念の対象とは何なのか? この視点からは、論理主義は、完全な回答を与えることなく、数学の哲学に関する疑問を論理学に関する疑問に移動させたようにみえるかもしれない。
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