矛盾
矛盾
「矛盾」とは、つじつまが合わないことを意味する表現。
「矛盾」とは・「矛盾」の意味
「矛盾」とは「むじゅん」と読む。これは中国の故事から生まれた言葉で、事の前後が齟齬していたり、筋が通らないことを指す。「矛盾」の矛と盾は武器と防具を表す。矛(ほこ)は長い柄の先端に両刃の剣を取り付けたやり状の兵器、盾(たて)は主に攻撃からの防御を目的に作られた板状の兵器のことだ。「矛盾」という言葉は近代では論理学用語としても使用されるようになっている。また、小学生が習う故事成語の1つで、中学校受験で頻出する故事成語としても知られている。「矛盾」の語源・由来
「矛盾」は中国戦国時代(紀元前5世紀ごろから紀元前221年。開始年度は諸説あり)に活躍した法家「韓非(紀元前280年ごろから紀元前233年)」の著書「韓非子」に由来する。それには次のように記されている。「楚人に盾と矛とを鬻ぐ(ひさぐ)者有り。これを誉めて曰く『わが盾の堅きこと、よくとほすもの莫き(なき)なり』と。また、その矛を誉めて曰く『わが矛の利りなること、物においてとほさざる無きなり』と。ある人曰く『子の矛をもって、子の盾をとほさばいかん』と。その人こたふることあたはざるなり。」
意味は以下の通りだ。「楚の国の人で、盾と矛を売る者がいた。その人は盾を褒めて言った。『私の盾は堅く、これを貫けるものがない』また、矛を褒めて言った。『私の矛は鋭く、これで貫けないものはない』と。ある人が言った。『あなたの矛であなたの盾を突けばどうなるのか』と。その人は(質問に)答えることができなかった。」
「矛盾」はこの話を語源にしている。「貫けるものがない盾」と「貫けないものがない矛」は互いに相反しており、どちらかが真実であればもう一方は虚実となる。そのため、二律背反する事柄を指して「矛盾」が使われるようになった。なお、「韓非」はこの故事を用いて、儒家思想の徳知主義を批判し、自説の法家思想の正当性を示したとされる。
「矛盾」の熟語・言い回し
何の矛盾もないとは
「何の矛盾もない」とは、物事に「矛盾」する点がない様子を示す表現、あるいは長渕剛の楽曲のタイトル。「何の矛盾もない」は1987年にリリースされた楽曲。妻である志穂美悦子と結婚する時に作った楽曲であり「私はあなたが必要で、その思いに何の矛盾もない」との意味が込められたとされている。楽曲が収録されているアルバムは「LICENSE」。なお「LICENSE」はオリコンチャートで最高位1位を獲得。第29回日本レコード大賞においてアルバム大賞を受賞している。
矛盾なしとは
「矛盾なし」とは、物事の関係性に何ら「矛盾」が存在しない場合に使う表現である。ただし、Yahoo!知恵袋などインターネット上では「矛盾なし」が「親族関係矛盾なし」の意味で用いられる場合がある。なお「親族関係矛盾なし」とは、DNA検査などの結果「血縁関係(の存在)に矛盾はない」ことを示す。例えば、子A氏と親B氏の遺伝型について「親族関係矛盾なし」であった場合、子A氏と親B氏は血縁関係を持つ親子であるという意味になる。
矛盾矛とは
「矛盾矛」とは、フジテレビ系列で放送されていたテレビ番組「ほこ×たて(ほこたて)」における矛側のことを指して使われた言葉。番組内容は「矛盾」の「矛」と「盾」に見立てた対戦者を競わせ勝敗を決するというものだ。番組で取り上げられた対戦には「絶対に穴の開かない金属 VS どんな金属にも穴を開けられるドリル」「どんなものでも切断する解体作業用カッター VS 絶対に切れないもの(チェーンやワイヤーロープ)」「絶対に狙いを定めることができないラジコンボート VS 絶対にどんな標的でも狙えるスナイパー」などがある。
論理矛盾とは
「論理矛盾」とは、論理のなかに矛盾が見られることを意味する表現。考え方や表現における思考の筋道がおかしいときなどに使われる。
「矛盾」の使い方・例文
・自分の考えと異なることに賛意を示すという矛盾した行動は社会において珍しくない。・紙という媒体を拒否しながら本であると名乗ることは、それ自体がある種の矛盾を抱えているといえるだろう。
・多くの場合、仮定には矛盾が内包されている。
・まったく異なる作風で互いに矛盾したことが書かれているようにも思えるが、これらは同一の作者による著書である。
・これらの矛盾が融和した先に新しい表現があるのだ。
・歴史の大きな矛盾を説明するには言葉が足りない。
・福祉は資本主義の矛盾を解決させる効果が期待できる。
・気づかないだけで私の論理の中には矛盾があるのかもしれない。
・彼自身はその矛盾にまったく気が付いていないのである。
・私の行動と発言は矛盾していると捉えられても仕方なかった。
む‐じゅん【矛盾/矛×楯】
読み方:むじゅん
[名](スル)
1 ほことたて。
2 《昔、中国の楚の国で、矛(ほこ)と盾(たて)とを売っていた者が、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇ったが、「それではお前の矛でお前の盾を突けばどうなるか」と尋ねられて答えることができなかったという「韓非子」難一の故事から》二つの物事がくいちがっていて、つじつまが合わないこと。自家撞着(じかどうちゃく)。「発言の—を突かれる」「二人の話が—する」
3 論理学用語。
㋐伝統的論理学で、二つの概念または命題が一定の事象を同一の観点から同時に、一方が肯定し他方が否定する場合の両者の関係。
矛盾
矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/16 16:57 UTC 版)
矛盾(むじゅん、英: contradiction)とは、あることに関して2つのことが同時に成り立たないで対立している状態を意味し、古代中国の韓非子による「矛と盾」の故事によってできた言葉。そこから近代になって西洋の論理学用語の訳語として使用されるようになり、
注釈
- ^ 1900年代の中国の翻訳家・厳復は「相滅」と訳している[5]。
- ^ ニュートンが近代科学の力学を造りあげることができたのは、「力と運動の矛盾(力によって運動が生じ、運動によって力が克服される過程)」を乗り越えるために、微分と積分法を自ら作りだすことに成功したからである[11]。
- ^ 実際、共産主義政権のもとで誕生したソビエト連邦(現:ロシア)は政府や経済の活動が停滞し、政府の厳しい管理体制下で生じた経済の失敗で崩壊した[20]。
- ^ たとえば、天動説に対してコペルニクスが地動説を提唱したとき、新しいデータは何も関与していなかった。一般の常識としてはコペルニクスは子供じみた天動説を批判し、観測に基づく実証的な地動説を提唱したのだということになっている。しかしコペルニクスが新しい観測事実を持っていたわけではないし、当時の天動説は観測データに基づいた十分に実証的な理論だった。コペルニクスは当時の天動説に深刻な矛盾を見たのである。例えばコペルニクスは「天動説は地球が動くと破壊されることを心配したが、なぜ同じことを地球よりはるかに大きく速く「回転する天」に心配しないのか」と指摘した。また、天動説の計算は確かに「惑星が地球から見える方向」はそれなりの予想精度を持って示すことができる。しかし、それを「惑星の明るさの変化」にも当てはめようとすると矛盾が生じる。コペルニクスは天動説では惑星の見える方向と、その惑星の明るさの変化(彼はそれを惑星の地球からの距離の変化と見た)は両立できないことを、深刻な矛盾と見た[24]。
- ^ 板倉は自身の「理論の交代における矛盾の役割」の研究結果から、「理論選択の基準はその単純性にある」とする「マッハ主義」(エルンスト・マッハに始まる実証主義的認識論の立場をいう。物質や精神を実体とする考えに強く反対し、科学の目的は観察された事実を記述することのみにあるとし、仮想的原子などを考えることは全く非科学的であると主張した。)を批判した[28]。また、基本理論の交代が理論外の新事実の発見や他の理論の影響で引き起こされるという「機械論」も科学史の現実に合わないとした[29]。さらに、理論は事実に合わせて変化するという「実証主義」を、「天動説は事実に合わせるという点では十分実証的だった。コペルニクス説がこの点で優れていたわけではない」として否定した[29]。また、プトレマイオスとコペルニクスは座標変換に過ぎず、「どっちもどっち」というような「相対主義」は旧理論の内部矛盾に着目することによって乗り越えることができると主張した[30]。
出典
- ^ goo辞書.
- ^ a b c d e Wikibooks 2022.
- ^ 金谷治訳注『韓非子』, 「難一」, pp. 254–256
- ^ a b 朱京偉 2002, pp. 107–110.
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- ^ 村主朋英 2012, p. 68.
- ^ 研究社「新英和中辞典」contradict[1]
- ^ P+D MAGAZINE 2018.
- ^ 三浦つとむ 1968, p. 274.
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- ^ 板倉聖宣 2004, p. 78.
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- ^ 板倉聖宣 2004, p. 81.
- ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 83.
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- ^ 世界雑学ノート 2018.
- ^ 板倉聖宣 1955.
- ^ 唐木田 1995, p. 24.
- ^ 唐木田 1995, p. 15.
- ^ a b 唐木田 1995, pp. 24–29.
- ^ 武谷三男 1936, pp. 41–44.
- ^ トマス・クーン 1971, p. 102.
- ^ 唐木田 1995, pp. 10–11.
- ^ 唐木田 1995, p. 36.
- ^ a b 唐木田 1995, p. 37.
- ^ 唐木田 1995, p. 38.
矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 07:21 UTC 版)
「豊川市男児連れ去り殺人事件」の記事における「矛盾」の解説
犯行の動機は「男児の泣き声に、睡眠を妨げられたことへの怒り」とされている。しかし、男児は「一度泣き出したら、両親以外の人間があやしても泣きやまなかった」とされ、自白調書の「開いた窓から元運転手の男性が抱き上げても、男児は泣かなかった」という内容に反している。 自白調書では「海岸堤防から男児を海に投げ入れた」と記されていたものの、犯行時は干潮であった。仮にもし投げ入れたとすれば、岩場に激突して怪我は免れなかった。しかし、男児の遺体にはそういった損傷が一切ない。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 13:38 UTC 版)
抗日統一戦線の部隊であるが、実質的運営が中国共産党によって行われた。この点は八路軍と同じだが、華南地区の圧倒的な国民党政府影響下での共産党系軍隊の行動は多くの矛盾をはらんだ。 国民党員である葉挺の軍長・共産党員である項英の副軍長就任もその延長である。新四軍はこの段階では共産党の軍ではなく、抗日統一戦線の中で、紅軍を母体としながら国民党指揮下に入る軍隊として発足していた。
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矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 17:13 UTC 版)
アンドレア・コンティジャーニ博士の博士論文の研究では、MVPの早期リリースは競合他社による模倣のリスクを負い、模倣に対する障壁を確立していない場合に企業を傷つける可能性が高いことを示唆している。彼はまた、MVPに関する否定的なフィードバックが企業の評判に悪影響を及ぼす可能性があるとも述べた。
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矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/05 13:30 UTC 版)
たとえ実際に不正横領があったとしても、それを現代風に解釈してはならない。というのも当時は、蓄えられた富は、飢饉のときなどに放出されて、人々に還元されるのが普通だったからである。当時の生産状況は不安定であり、砥部郷においても、しばしば致命的な飢饉が起こったことは事実である。それによって農民達がより従属度を高める事はあったにしても、それは一種の保険だったのであるから、それがよほど過酷で、生活を脅かすようなものにならない限りは、それで一揆を起こすなどと言うことはありえなかったはずなのである。また、同時代の文書では、「砥部騒動は松山藩と大洲藩の農民達の間の争いとされており、役人達の不正については記述されていないこと。」「文書に、役人達の鑑札に付随する納入銀の横領が一揆の原因として出てくるのは明治に入ってからの事であること。」となっている。 ただ、一揆の後、1758年(宝暦8年)には庄屋善兵衛と組頭左治衛門を祭る社が建てられ、藩主が進んで和合神社の社号を与えている。 それでは何故役人達の不正が一揆の原因とされるようになったのであろうか。以下のように考えられている。すなわち、和合神社の創建は、当時一般的になりつつあった儒教的理念による仁政、撫民こそが政治の中核であるとの宣言であり、彼らの行為は身をもって松山衆の立ち入りを禁止して入会山を救ったものであるとされたのである。しかし彼らを顕彰することは、松山藩の農民の立ち入りを許していた藩そのものへの批判とも成りかねない。そこで、藩との間に立つ悪役が必要とされたのである。そして、その後も抑圧された人々や、明治になって自由民権運動を戦った人たちにより、役人達はより悪く、義民達はより立派にされてゆき、その結果、役人の横領とそれへの農民の抗議と言う一揆の理由が流布して行ったと言うのである。
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矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 13:44 UTC 版)
技術系職種の中でも研究開発職は頭を使う仕事であり、学位(博士や修士)をもっている人が多い。そして、これらの職種の人は作業着の上に白衣で実験を行っていることもあれば、ブルーカラーと同じく作業着のままで実験を行っていることもある。後者だけを見れば外見上はブルーカラーである。しかし、頭を使う仕事であるからホワイトカラーともみなせる。 また、公安職(警察官や消防吏員など)は上級職になると、現場から離れて制服ではなく背広服を着用することが多くなるが、これはブルーカラーなのかホワイトカラーなのか定義できない。またそもそも警察官の場合、体を動かすと同時に非常に頭を使う仕事(在職中は昇任試験や、職務上で必要な法律の勉強も多い)であり、ブルーカラーなのかホワイトカラーなのか定義しにくい。 医師や看護師はホワイトカラーと呼ばれることが多いが、実際は他の医療関係の職業と同様、作業着(白衣)を着て自分の肉体を使って作業をしている。ブルーカラーの定義に十分あてはまる部分がある。 また、営業マンは背広服を着ているが、人によっては「あれはホワイトカラーではない」という人もいる。もっとも同時にブルーカラーでもない。
※この「矛盾」の解説は、「ホワイトカラー」の解説の一部です。
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矛・盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:00 UTC 版)
鬼を退治する為の三叉の矛と盾。矛には実際に方相氏が矛に付ける飾りがついている。盾は小ぶりな木製の手盾。「ONI IS OUT!」と書かれている。
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矛盾
出典:『Wiktionary』 (2021/06/26 01:28 UTC 版)
別表記
名詞
発音(?)
- む↗じゅん
由来
- 【白文】
- 楚人有鬻盾与矛者 誉之曰 吾盾之堅 莫之能陥也 又誉其矛曰 吾矛之利 于物無不陥也 或曰 以子之矛陥子之盾 何如 其人弗能応也
- 【訓読】
- 楚人に盾と矛とを鬻ぐ者有り。之(これ)を誉めて曰く「吾が盾の堅きこと、之を能く陥(とお)すものなきなり」と。又、其(そ)の矛を誉めて曰く「吾が矛の利きこと、物に于(お)いて陥さざるなきなり」と。或るひと曰く「子の矛を以て、子の盾を陥さば何如(いかん)」と。其の人応(こた)ふること能はざるなり。
- 【現代語訳】
- 盾と矛を売っていた楚の商人が盾を誉めて言った。「わたしの盾の堅いことには、これを貫けるものはない」。またその矛を誉めて言った。「わたしの矛のするどさといったら、陥せないものはない」と。ある人が言った。「あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるのか」と言われて、その人は返答できなかった。
関連語
翻訳
動詞
活用
「矛盾」の例文・使い方・用例・文例
- 彼らの話は互いに矛盾し合っていた
- 彼の話は事実と矛盾する
- 彼の陳述の矛盾点を指摘した
- 彼らの提案は矛盾だらけだ
- 言うことと行動の矛盾を避けなさい
- その発想は物活論の考えと矛盾する。
- 言語と非言語の矛盾
- 知っての通り私は自己矛盾しています。
- 標準類の定期的見直し時に矛盾点を見つけることができなかった。
- 矛盾が解消される。
- 彼は言うことと行動が矛盾している。
- この説明に矛盾はない。
- この定義は矛盾しています。
- この定義は矛盾しているようです。
- それはいくらか矛盾していますね。
- この結果は過去の報告に矛盾しない。
- 彼は言っている事とやっている事が矛盾している。
- 私はこれらの矛盾点を解消する。
- その現象は彼の仮説によって矛盾無く説明された。
矛盾と同じ種類の言葉
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