たとえ話とは? わかりやすく解説

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たとえ‐ばなし〔たとへ‐〕【×譬え話】

読み方:たとえばなし

ある事柄わかりやすくするために、他のことを引き合い出していう話。寓話


たとえ話

作者マーガレット・アトウッド

収載図書闇の殺人ゲーム
出版社北星書店
刊行年月2002.10


たとえ話

作者高橋毅

収載図書木っ端
出版社文芸社
刊行年月2008.10


たとえ話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 05:56 UTC 版)

たとえ話(譬え話、たとえばなし)とは、ある事柄を理解できるようにするために、他の事柄に置き換えて説明するものである。散文でも韻文でも綴られることがあり、道徳的ないし宗教的な教訓を示すことが多い。特に西洋においては、この広義のたとえ話のうち、人間が中心になっているものを、動物や植物、無生物を自然界の力などを擬人化して登場させるものと区別する用語法が一般的になっており、人間中心で、より日常的な物語となる前者を「英語: parable」と呼んでおり、狭義での「たとえ話」はその訳語である。これに対し、超自然的、非現実的な物語としての後者は「英語: fable」と呼ばれ、日本語では「寓話」と訳されることが多い。たとえ話はまた、類推(英語: analogy)のひとつのタイプである[1]

広義のたとえ話は、洋の東西を問わず古代から用いられており、例えば仏典の中にも、涅槃経の「五味相生の譬」や、法華経の「法華七喩」のようなたとえ話が伝えられている。

西洋のたとえ話

盲人と足なえ」などの作者イグナツィ・クラシツキの肖像

英語の「parable」など、多くのヨーロッパ諸語でたとえ話に相当する言葉は、ギリシア語の「παραβολή (パラボレ)」に由来しているが、この言葉はギリシア修辞学においては、架空の短い物語で何かを説明することを広く意味していた。後年になると、この言葉は、架空物語によって、現実に自然な形で起こるかもしれないことについて、霊的な事柄や道徳的な事柄が伝えられることを意味するようになった[2]

たとえ話(parable)は、短い話で普遍的な真理を説明するものであり、物語の中でも最も単純なもののひとつである。たとえ話においては、まず状況が簡単に説明され、次に行動が描写され、最後にその結果が示される。しばしば、道徳的なジレンマに直面する人物や、危うい判断をした末その結果に苛まれる人物が登場する。寓話と同様に、たとえ話でも、主題と無関係な細部や散漫な周辺描写は省かれ、通常はひとつの単純で一貫性のある行動について話が語られる。たとえ話の例としては、イグナツィ・クラシツキ作の「息子と父親」、「農夫」、「訴訟人たち」が挙げられる。

民話の多くも、たとえ話を拡大したものと見なすことができ、おとぎ話も同様であるが、状況設定で魔法が前提とされるところは異なる。プロトタイプのたとえ話はアポローグ(誇張を含む短いたとえ話)とは異なり、写実主義的で、人生のよくある状況の中で実際に起こるかもしれないと思わせるものである。

たとえ話は、メタファー(隠喩)と同様に、短い一貫した架空の物語に拡張される。キリスト教のたとえ話は、近年では拡張されたメタファーとして研究されている[3]。それを担っているのは、例えば、「たとえ話とは、普通の男女が、日常的な生活の中で、驚くべき出来事に遭遇するという筋の話のこと」だと気づいた書き手である。たとえ話は宗教的な展望をもった「信仰の巨人たち」についての話ではない[4]。言うまでもなく、「拡張されたメタファー」であるというだけでは、たとえ話を説明したことにはならないが、「拡張されたメタファー」の特徴は、たとえ話にも共通しているし、アレゴリー(寓意)の基本的要素になっている。

直喩の場合とは異なり、たとえ話においては、表面上の物語と平行するもうひとつの意味は、通常は秘密として隠されている訳ではないが、直接語られることはなく、示唆されるだけである。たとえ話の特徴は、人がいかに振る舞うべきか、信じるべきかを示唆する規範的なサブテキスト(いわゆる「行間」のメッセージ)が存在していることにある。たとえ話には、人生の中で適切な行動とは何かを導き、示唆することに加え、頻繁にメタファーな言葉遣いを用いることで、難解であったり複雑であったりする概念を、より簡単に論じることができるようにする働きがある。プラトンの『国家』では、「洞窟のたとえ」(真理の理解について、洞窟の壁に投じられた影に欺かれる話によって、説明される)のように、分かりやすい具体的な物語を使って、抽象的な議論を教えている[2]

イソップ寓話』を英訳したジョージ・ファイラー・タウンゼントは、その序文で「たとえ話 (parable)」を「言葉自体に込められた意味とは異なる、隠された秘密の意味を伝達することを意図して、言葉をデザインしながら用いることであり、聞き手や読者に特段の関わりをもっていることもあれば、そうではないこともあるもの」であると述べている[5]

19世紀末を生きたタウンゼントは、曖昧であることを意味する、当時あった「to speak in parables (たとえ話で話す)」という表現に、影響されていた可能性もある。はっきりと重要性が指摘されているわけではないが、現代の用法における「たとえ話 (parable)」は、一般的に、意味が隠されたり秘密にされているというよりは、全く逆に直截的で明白である場合が典型的である。隠された意味が重要になる典型的な表現は、アレゴリーである。H・W・ファウラーは『Modern English Usage』の中で、たとえ話もアレゴリーも、目的は「聞き手に、当人には直接の関わりがない、したがって利害に関わらない立場からの判断を引き出すことが期待できるような事案を提示し、聞き手自身が正しい判断を悟るよう啓蒙する」ことであると述べている。その上でファウラーは、たとえ話は、アレゴリーよりも濃密であり、読者なり聞き手には、この結論は当人の関心事にも同じように当てはまるのだ、という原理が生まれ、教訓が演繹されるのだとしている[2]

歴史

ヒエロニムス・ボス作『放蕩息子』

たとえ話は、霊的な概念の表現に好んで使われる。キリスト教においては、たとえ話の最も有名な源泉は『聖書』であり、特に新約聖書福音書には、多数のたとえ話が登場する。イエスのたとえ話は、多くの典拠で検証され、広く歴史的事実であると見なされているが、ジョン・P・マイヤー(John P. Meier)ら研究者たちは、それがヘブライ語の諺、格言などを意味する表現であるマーシャル/マシャリムに由来するものと考えている[6]。イエスのたとえ話の例としては、「善きサマリア人」と「放蕩息子」がある。旧約聖書由来のマシャリムには、ナタンダビデに語る「小羊のたとえ話」(サムエル記下12:1-9: 2 Samuel 12:1-9)や、「テコアの女」のたとえ話(サムエル記下14:1-13: 2 Samuel 14:1-13)などがある。

新約聖書研究者の中には、イエスのたとえ話についてだけ、「たとえ話 (parable)」という表現を使う者もいるが[6]、そのように限定した用語法は一般的なものではない。「放蕩息子のたとえ話」のように、たとえ話はイエスの教え方の中心となった方法であり、それは正典においても外典においても同様である。

中世には、聖書の解釈において、イエスのたとえ話を細部にわたるアレゴリーとして扱うことがしばしばあり、短い物語のあらゆる要素について、象徴的にそれに対応するものを比定して論じることがあった。しかし、アドルフ・ユーリヒャー以降、近代の批評家は、こうした解釈を不適切な、批判に耐えないものとしている[7]。ユーリヒャーは、こうしたたとえ話について、普通はひとつだけ重要なことを伝えようと意図されているのだと主張し、この意見は近年のほとんどの研究者によって支持されている[6]

イスラム教神秘主義哲学であるスーフィズムの伝統においては、たとえ話(「教訓譚」)は、教訓や価値を分け与える手法とされている。近年の論者でも、イドリース・シャーアンソニー・デ・メロは、スーフィーのサークル外にこうした話を広める助けとなっている。

現代における話も、たとえ話として使われる場合がある。19世紀半ばに生まれた「割れ窓の寓話」のたとえ話は、経済学的に誤った考えを例示するものとなっている。

関連項目

出典・脚注

  1. ^ David B. Gowler (2000年). “What are they saying about the parables”. What are they saying about the parables. pp. 99,137,63,132,133,. 2010年2月19日閲覧。
  2. ^ a b c H.W. Fowler, Modern English Usage, Oxford, Clarendon Press, 1958.
  3. ^ 研究例としては次のようなものが挙げられる。Amos Wilder, The Language of the Gospel: Early Christian Rhetoric (New York: Harper & Row) 1964; Robert W, Funk, Language, Hermeneutic and Word of God: The Problem of Language in the New Testament and Contemporary Theology (New York: Harper & Row) 1966; Dan O. Via Jr, The Parables: Their Literary and Existential Dimension (Philadelphia: Fortress) 1967; Sallie TeSelle, Speaking in Parables: A Study in Metaphore and Theology (Philadelphia: Fortress) 1975.
  4. ^ Sallie McFague TeSelle, "Parable, Metaphor, and Theology," Journal of the American Academy of Religion, 42.4 (December 1974:630-645).
  5. ^ George Fyler Townsend, translator's preface to Aesop's Fables, Belford, Clarke & Co., 1887.
  6. ^ a b c John P. Meier, A Marginal Jew, volume II, Doubleday, 1994.
  7. ^ Adolf Jülicher, Die Gleichnisreden Jesu (2 vols; Tübingen: Mohr [Siebeck], 1888, 1899).

外部リンク


たとえ話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:32 UTC 版)

カサンドラ症候群」の記事における「たとえ話」の解説

アスペルガー症候群男性とその妻(以下、(非アスペルガー症候群女性)の関係は、よくたとえ話で説明される。 マクシーン・アストンはアスペルガー症候群男性ワシ、非アスペルガー症候群女性シマウマ例えている。 ワシシマウマ食べるものも生き残る環境も違うので、つながってもうまくいかない。生活を共にしたいなら、ワシ構造化されていない予測不可能シマウマ環境生きていかなければならない。しかし、その環境生きられる時間限られるため、ワシはときどき山に帰って一人過ごし生命維持必要な食べ物食べて元気を取り戻さなければならない。その理由わからないシマウマは、ワシ関心自分から逸れると深く傷つく。二人の間に波風が立つようになり、関係は非常に不安定になるシマウマ拒否されている、価値がないと見なされていると思いワシ間違ったことをしていると責められていると思う。 マクシーン・アストンはまた、認知違い次のように説明している。 夫婦が同じ時、同じ場所にいても、こんなにも異な視点であるということ理解するには、2人の人が山の頂上背中合わせ立っているのを想像してほしい。1人定型発達者、もう1人アスペルガー症候群である。アスペルガー症候群見ている景色都会で、ビル電車、車や工場から成っている。定型発達者見ている景色田園地帯で、川や野生動物色彩豊かな牧草地見える。2人とも同じ時、同じ場所に立っているが、非常に異な景色見ている。同じ場所に対すそれぞれの感じ方は、根本的に異なっているのだ。あとで話し合った時、彼らはその経験記憶お互いに異なっていることに驚きあっけにとられる。そして、それぞれの認知がなぜそんなに異なるのか、理解しようともがくのだ。 カトリン・ベントリーはアスペルガー症候群男性サボテン、非アスペルガー症候群女性バラ例えて詩に表現している。アスペルガー症候群男性惹かれ結婚しアスペルガー症候群知らぬまま苦しみながら生活を送り、やがてアスペルガー症候群気づいて理解し違い受け入れていく様子描かれる。 (詩の要約サボテン気に入ったバラだが、サボテン合わせて砂漠に住むのは難しかった生きていくためほしかったが、少しずつしおれ、やがて何も感じなくなったサボテン愛し方を知らずバラ変えよう一生懸命だったサボテンバラのように振る舞ったが、一人のほうが心地よく、孤独に戻っていった。しおれたバラを、ほかのバラたちは仲間はずれにした。やがて、サボテンには別の愛情示し方があると知りサボテン変種バラではないと気づいた。二人が同じ植物になるより、違い受け入れお互い大切に合おう二人の子供は、バラ野生繊細さ・色鮮やかさと、サボテン頼もしさ強さ・人を惹きつける魅力併せ持つだろう。 ルディ・シモン(Rudy Simone)はアスペルガー症候群男性を岩、非アスペルガー症候群女性例えている。 アスペルガー症候群男性は岩で、彼を愛す女性は岩に向かって流れ。岩がによって形づくられるように、彼も彼女からの影響を受ける。ただし、とてもゆっくりした速度で。女性優しく根気強く接した方がよい。もし波のように強く流れると、微動だにしない彼に当たって砕け散ってしまうからだ。何度もそれを繰り返していると、やがて彼女には何も残らなくなる。

※この「たとえ話」の解説は、「カサンドラ症候群」の解説の一部です。
「たとえ話」を含む「カサンドラ症候群」の記事については、「カサンドラ症候群」の概要を参照ください。

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