文学理論
文学理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 04:56 UTC 版)
文学作品、特に小説は、通常一人称小説と三人称小説に分けられる。しかし、一人称小説が登場人物の視点であって三人称小説が語り手の視点であるとは、もはや言い切れなくなっている。シュタンツェル(1979)は一人称/三人称の対立と内的遠近法/外的遠近法の対立、語り手/映し手の対立を区別し、ジュネットは従来の研究では「語り手は誰なのか」と「誰が見ているのか」とが混同されていると指摘している。そのため、近年ではジュネットなどが用いる「焦点化」などの用語が一部で好まれるようになってきている[要出典]。 ジュネットは従来の一人称小説を「等質物語世界的」と称し、三人称小説を「異質物語世界的」と称した[要出典]。そして視点のありかたによって「焦点化ゼロ」「内的焦点化」「外的焦点化」の3分類とした[要出典]。焦点化ゼロとは全知の視点であり、内的焦点化はある登場人物の視点を取るものであり、外的焦点化は主人公の外面のみを描くものである[要出典]。 ジュネットの分類作者が支配する(焦点化ゼロ)行為者が支配する(内的焦点化)中立的(外的焦点化)異質物語世界的フィールディング『トム・ジョーンズ』 ヘンリー・ジェイムズ『使者たち』 ヘミングウェイ「殺し屋」 等質物語世界的メルヴィル『モービー・ディック』 ハムスン『飢え』 シュタンツェルの体系では、例えば一人称小説の場合「物語る私」と「体験する私」の両方の側面があるため、作品によって「内的独白」の担い手から「目撃者」や「編者」の役割まで幅広い「私」が存在する。また三人称小説の場合も、語り手が物語世界の外から「全知の視点」で語るものから、三人称の登場人物が「映し手的人物」として振る舞い、一人称に置き換えても問題のなさそうなものまで幅広い。ここで「映し手」とは、考えたり、感じたり、知覚したりする登場人物のことであり、読者は映し手の目に映った他の登場人物・情景を眺めることによって作品世界を理解することになる。
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