なつめ‐そうせき【夏目漱石】
夏目漱石
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夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。
注釈
- ^ 原武哲『喪章を着けた千円札の漱石―伝記と考証』(笠間書院 2003年 ISBN 978-4305702548)によれば9月19日と推測している。
- ^ 当時は学校のあった地名をとって一ツ橋中学ないし一ツ橋尋常中学とも呼ばれた。
- ^ 現在の成立学園とは無関係。
- ^ スコットランド出身のジェームズ・マードックにかわいがられ、教室以外でも先生の家に招かれて教えられ、「マードックさんは僕の先生だ。……英国人もあんな人許(ばかり)だと結構だが」と野間真綱宛ての書簡に書いたり、マードックの『日本史』に推薦文を書いたりしている(平川祐弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫 1884年)。
- ^ 狩野宛書簡に「洋行中に英国人は馬鹿だと感じて帰つて来た。日本人が英国人を真似ろ\/と云ふのは何を真似ろと云ふのか今以て分からない」と書いている。
- ^ 夏目伸六の『父・漱石とその周辺』によれば次のよう。
ふと眼を開けた父の最期の言葉は、
「何か喰いたい」
という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の葡萄酒が与えられることになったが、
「うまい」
父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、又静かに眼を閉じたのである。
- ^ 彼は其所で疱瘡をした。大きくなつて聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘ひ出したのだといふ話であつた。彼は暗い簾子のうちで転げ廻つた。身の肉を所嫌はず掻きむしつて泣き叫んだ。〉「道草」(39)
- ^ 茂木健一郎所蔵。『アナザースカイ』(日本テレビ) 2009年7月3日放映分にて披露。100万円で購入したそうである。
- ^ 『硝子戸の中』に関連する記述あり。
- ^ 松岡陽子マックレインの息子(米国籍)は、息子(つまり漱石の玄孫)のミドルネームに Soseki と命名した。
- ^ 菊池寛との親交が深かったことで、「父・夏目漱石」(文藝春秋社)を発表した。
- ^ 門下生が集まれば必ず牛鍋を囲む。羊羹、お汁粉、ケーキなど甘いものが好きで、特にお気に入りは自家製アイスクリームだった。胃弱のためには大量の鶏肉を使ったスープを飲んでいたという。なぜか鳥類のもらい物も多かった。シャモ、カモ、山鳥、キジなどで、知人宅での雁の料理に舌鼓を打ったこともあったらしい(河内一郎『漱石、ジャムを舐める』新潮文庫)
- ^ 「吾輩は-」には1か月に8缶も舐めたとの記述がある。
- ^ 医師の松本健次郎は「漱石非精神病説」を主張している。漱石の精神病説の根拠は熊本の五高を辞職する時に出された神経衰弱の診断書と、妻、夏目鏡子の回想記『漱石の思ひ出』などに描かれた漱石の言動の記述や、同書で東大精神科の呉秀三が、漱石を診断し、鏡子に漱石が病気であると告げたという記述があることであるが、辞職のために、五高に提出した診断書も書いた呉は、漱石が親しい菅虎雄の親友であり、また夏目家の家庭医、尼子四郎とも親しかった。当時、実家に戻っていた、鏡子を、尼子を通した依頼で呉が説得した言葉が、鏡子のなかで漱石が精神病者であるという記憶に変わっていったのではないかと主張している。『漱石の思ひ出』の記述を引用しただけの漱石の病跡学は学問的でないと主張している。『漱石の精神界』松本 健次郎 (著) 金剛出版 (1981/01) ISBN 4772401377
- ^ 山下浩、初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』 を参照。
- ^ これより前に漱石が使用した例としては「同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。」(『野分』11章、1907年1月)が最も早い。また翌年の講演『創作家の態度』では「浪漫派」「浪漫主義」の語句が多く用いられている。
- ^ 初版は十字屋書店。昭和41年(1966年)に、朝日新聞社で新装再刊。
- ^ たとえば押韻の問題について全く踏まえていないなどの問題があるとされる[要出典]。
- ^ 夏目漱石他著の小説文庫版の巻末参照
出典
- ^ a b http://data.bnf.fr/ark:/12148/cb11917438j; BnFオーソリティーズ; 閲覧日: 10 10月 2015.
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- ^ a b ファインド・ア・グレイヴ; 閲覧日: 9 10月 2017; 表記名: Soseki Natsume; ファインド・ア・グレイヴ追悼識別子: 6134221.
- ^ a b Internet Speculative Fiction Database; 閲覧日: 9 10月 2017; 表記名: 夏目漱石; ISFDB著者識別子: 212171.
- ^ ブロックハウス百科事典; 表記名: Sōseki Natsume; ブロックハウス百科事典オンライン識別子: natsume-soseki.
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- ^ 『夏目漱石 人と作品3』 13頁
- ^ 佐古純一郎「夏目漱石と二松學舎」『二松學舎百年史』1977年、289-291頁。
- ^ 夏目漱石は兵役逃れのため北海道に転籍したと聞いたが、そのことについて書かれた本はあるか。|レファレンス協同データベース
- ^ a b 熊本日日新聞社編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、418頁
- ^ a b “夏目漱石と遠山参良”. 歴史余話. 九州学院100周年記念歴史資料・情報センター. 2018年9月12日閲覧。
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- ^ [1]斎藤茂太 「赤いレンガ」 『医学芸術』 昭和57年10月号 斎藤茂吉生誕百年 坪井医院(千代田区神田和泉町1)のウェブサイトへの転載、平成23年11月3日閲覧
- ^ 斎藤茂太 『精神科医三代』 中公新書 昭和46年刊
- ^ 「ロンドン漱石記念館」が9月で閉館 EU離脱の影響で前倒し
- ^ 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開」 朝日新聞(2019年5月9日)2019年5月18日閲覧。
- ^ 明治36年1月28日『官報』第5869号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2「◯學事 ◯留學生歸朝 文部省外國留學生第五高等學校敎授夏目金之助ハ本月二十日歸朝セリ(文部省)」
- ^ 夏目漱石『草枕』新潮社、昭和25年11月25日 1950、155-156頁。
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- ^ 「在籍地の碑」岩内町ホームページ
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- ^ “漱石山房:新宿区”. www.city.shinjuku.lg.jp. 2020年11月23日閲覧。
- ^ 辞退の書面が掲載「博士称号を返上」東京朝日新聞1911年2月24日『新聞集成明治編年史. 第十四卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ 『官報』第3963号「叙任及辞令」1896年9月11日。
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- ^ a b c 渡辺三男 1972, p. 4.
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- ^ 有限会社サイアン・インターナショナル
- ^ Visa TVコマーシャル
- ^ 夏目房之介の「で」2008年11月18日
- ^ 角田秀雄『少女目にみゆ』(新評論)P.93
- ^ 共同通信2002年12月7日
- ^ 松岡筆子『日本人名大辞典』
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- ^ 本多顕彰「漱石山脈」(『新潮』43(5)、1946年5月)なお、同論文は『新潮』編集者から「漱石山脈」という題で書くことを求められたものなので、厳密にはその編集者が命名者である。
- ^ 津田青楓『漱石と十弟子』 芸艸堂 1974
- ^ “修善寺へ急行せよ!夏目漱石、療養先の旅館で倒れる。【日めくり漱石/8月18日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト”. serai.jp (2016年8月17日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ 『Soseki nikki.』Soseki Natsume, Toshio Hiraoka, 漱石 夏目, 敏夫 平岡、Iwanami Shoten、2007年12月、87,93,154,163,166,175,179,180,183頁。ISBN 978-4-00-007292-2。OCLC 675667426 。
- ^ “夏目漱石、帰郷する命の恩人のために盛大な送別会を催す【日めくり漱石/4月12日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト”. serai.jp (2016年4月11日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ 「思い出るまま(九)師弟と朋党」(『徳田秋聲全集』第22巻、2001年、八木書店)。紅葉の場合、門下生に交替で自宅の玄関番をさせたり、代作をさせたりするなど、徒弟制の性格が強いものであった。
- ^ 「夏目先生のこと」(『阿部次郎全集』第13巻、1962年、角川書店)
- ^ a b 『漱石山脈 現代日本の礎を築いた「師弟愛」』 (朝日新聞出版、2018年)
- ^ 永田哲夫「白樺派研究 漱石への接近」、高知大学学術研究報告人文科学17(10)、1969年3月、高知大学
- ^ 佐々木亜紀子 野上彌生子の 先生 漱石という体験 教養と教育 共通科目研究交流誌 5 2005年 愛知教育大学
- ^ 『日本の文学 夏目漱石(三)』付録32「漱石山脈について」(中央公論社、1966年9月)
- ^ 『武者小路実篤全集』第9巻「後書き」(1955年、新潮社)
- ^ 長尾剛『漱石山脈 現代日本の礎を築いた「師弟愛」』 朝日新聞出版、2018年
- ^ 1993年版全集第25巻「後記」
- ^ 漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に 1/2 『産経新聞』(2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ a b 夏目漱石「韓満所感」(抜粋) 『産経新聞』(2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ 日本人に生まれて、まあよかった 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 1/4 『産経新聞』(2013年4月3日). 2013年8月7日閲覧。
- ^ 日本人に生まれて、まあよかった 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 2/4 『産経新聞』(2013年4月3日). 2013年8月7日閲覧。
- ^ 『天才』p.164 宮城音弥 岩波新書(青版 621)ISBN 4004120705
- ^ 森鷗外・夏目漱石住宅 - 博物館明治村、2020年1月1日閲覧。
- ^ 『吾輩は猫である』角川文庫版50頁
- ^ 『行人』角川文庫版326頁
- ^ 『坑夫』角川文庫版80頁
- ^ 一橋大学・景(加藤)慧(Jing, Hui)ら
- ^ 『漱石詩注』岩波新書、1967年(昭和42年)。岩波文庫で新版刊行。
- ^ 岩波書店刊行
- ^ 『新訳 漱石詩集』柏書房、1994年(平成6年)
- ^ 『漱石の漢詩』(文藝春秋・文春学藝ライブラリー(文庫)、2016年(平成28年))
- ^ 『読売新聞』2016年1月26日 39面。
- ^ 漱石の肉筆を後世へ!漱石文庫デジタルアーカイブプロジェクト(東北大学附属図書館 2019/11/05 公開) - Readyfor
- ^ 『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド』及び『漱石とグールド―8人の「草枕」協奏曲』参照
- ^ 『世界文学のスーパースター夏目漱石』講談社インターナショナル、2007年
- ^ 江上茂『差別用語を見直す』p.81
- ^ a b 江上茂『差別用語を見直す』p.124
- ^ a b 夏目漱石『硝子戸の中』
- ^ 「漱石山房座談」『反響』第1号、1914年4月。
- ^ 野町均『永井荷風と部落問題』リベルタ出版、2012年、74-77頁。
- ^ 1935年版全集「正岡子規へ送りたる句稿 その八 十二月四日夜」
- ^ a b 川島幸希『140字の文豪たち』 秀明大学出版会 2020年
- ^ 小田島雄志「珈琲店のシェイクスピア」晶文社、1978年、236ページ
- ^ 豊田有恒「あなたもSF作家になれるわけではない」 徳間書店、1979年
- ^ にぐるた「「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証」『にぐるたの物置』
- ^ 岐阜県図書館「夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。」『レファレンス協同データベース』 国立国会図書館、2014年10月10日
夏目漱石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 11:44 UTC 版)
サーンキヤの涅槃観は、夏目漱石に影響を与えたことでも知られる。漱石は、一高時代に井上哲次郎によるサーンキヤ哲学の講義を受けて感銘を受け、無関心こと非人情をテーマに『草枕』を著した。
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夏目漱石
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「「坊っちゃん」の時代」の記事における「夏目漱石」の解説
「坊っちゃん」の作者漱石その人。神経症で胃痛持ち、酒乱。日本文化の時代の変革に抗うように、また神経症の治療めいた活動として、家に集まる若者たちをモデルに「坊っちゃん」を執筆する。
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夏目漱石
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直哉は学習院高等科の頃から漱石の愛読者であり、1906年(明治39年)、東京帝国大学の英文学科に入学後、漱石の講義を聴講した。漱石は翌年3月に東大を退職しているので、漱石の東大における最終年度の教え子になる。直哉は東大で他の授業には殆ど出なかったが、漱石の講義だけは熱心に聴いており、武者小路実篤は「志賀や正親町や木下は夏目さんの講義に随分感心し、又よろこんでいた。殊に志賀はすっかり夏目さんずきになって、よく夏目さんの云った言葉を彼に話した」(「或る男」九十九章)という。1913年(大正2年)、処女創作集『留女』を漱石に贈ると、漱石は同年7月の『時事新報』紙上で「作物が旨いと思ふ念より作者がえらいといふ気が多分に起り候」と賞賛、同年12月に翌年の朝日新聞の長編連載を依頼した。一般的には無名に近い新人だった当時の直哉にとって異例の抜擢であり、漱石が彼の才能を極めて高く評価していたことを示す。直哉はそれまで書きかけていた「時任謙作」を出すつもりでいたが、書き悩んで1914年(大正3年)7月、漱石の元を訪れて辞退した。漱石は「徳義上は別として、芸術上には忠実である。自信のある作物でなければ公にしないと云ふ信念がある為であらう」と理解を示し、直哉には手紙で「御心配には及びません。他日、あなたの得意なものができたら、そのかわリ、ほかへやらずにこちらへください」と、寛容に返事している。直哉はそれから三年間作品を発表せずに漱石との約束を果たそうとしたが、その間に漱石は亡くなってしまう。だが、その後も直哉は執筆を放棄せず、「時任謙作」はやがて『暗夜行路』となって1937年(昭和12年)にようやく完成した。長編には不向きな作家であった直哉が「漱石依頼の長編」にこれほどのこだわりを見せたあたり、漱石の感化は極めて強いものであったと言える。直哉は「敬意を持ってゐたのは夏目漱石位のもので、鴎外でも藤村でも秋声でも眼中になく、先輩といふものは一人も作らず」等、色々なところで漱石に敬意を表している。武者小路実篤と同様、文壇に師を持たない主義であったため、いわゆる漱石門下とは区別されることが多いが、事実上の弟子とする見解もある。
※この「夏目漱石」の解説は、「志賀直哉」の解説の一部です。
「夏目漱石」を含む「志賀直哉」の記事については、「志賀直哉」の概要を参照ください。
夏目漱石(夏目くん、夏目少年)
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「タイムスリップ探偵団」の記事における「夏目漱石(夏目くん、夏目少年)」の解説
数えで十三歳の頃の夏目漱石。実際は主人公たちと同い年。初めてのタイムスリップ先、明治時代の東京で会った。東京府立第一中学校正則科第七級乙。
※この「夏目漱石(夏目くん、夏目少年)」の解説は、「タイムスリップ探偵団」の解説の一部です。
「夏目漱石(夏目くん、夏目少年)」を含む「タイムスリップ探偵団」の記事については、「タイムスリップ探偵団」の概要を参照ください。
夏目 漱石(なつめ そうせき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:45 UTC 版)
「逆転裁判の登場人物の一覧」の記事における「夏目 漱石(なつめ そうせき)」の解説
被告人。大日本帝国政府の命で倫敦へ派遣された留学生。やや神経質かつ挙動不審で、未だに異国の空気に馴染めていない模様。ガリデブのアパートに三毛猫のワガハイと共に住んでいる。事件当時は、古書店で本を購入した帰り道だった。
※この「夏目 漱石(なつめ そうせき)」の解説は、「逆転裁判の登場人物の一覧」の解説の一部です。
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夏目漱石
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