下村宏 しもむら ひろし
和歌山生まれ、官僚、ジャーナリスト。東京帝国大学卒業後、逓信省に入り、為替貯金局長等を務める。大正4年(1915)明石元二郎台湾総督に招かれ、台湾総督府民政長官(後に総務長官)となり植民地行政に携わる。8年(1919)法学博士。10年(1921)に大阪朝日新聞社入社、昭和5年(1930)副社長となる。11年(1926)に退職し、12年(1927)貴族院議員となる。18年(1943)日本放送協会会長。20年(1945)4月鈴木貫太郎内閣に国務大臣兼情報局総裁として入閣した。同年戦犯容疑者として拘留。21年(1946)から26年(1951)にかけて公職追放。著作に『新聞に入りて』(1915)や『終戦秘史』(1950)があり、エッセイや歌集も多い。
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下村宏
下村宏
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下村 宏(しもむら ひろし、1875年(明治8年)5月11日 - 1957年(昭和32年)12月9日)、明治・大正・昭和の逓信省役人、台湾総督府勤務、朝日新聞社副社長、NHK会長、貴族議員、拓殖大学第6代学長、歌人。号は海南(かいなん)。下村房次郎の子。
- ^ 『官報』第3607号「彙報」明治28年7月9日
- ^ 『官報』第5312号「叙任及辞令」明治34年3月22日
- ^ 『官報』第5669号「叙任及辞令」明治35年5月30日
- ^ 『官報』第7825号「叙任及辞令」明治42年7月26日
- ^ 『官報』第262号「叙任及辞令」大正2年6月14日
- ^ 『官報』第967号「叙任及辞令」大正4年10月21日
- ^ 『官報』第2684号「叙任及辞令」大正10年7月12日
- ^ 早稲田大学百年史第三巻 P484
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
- ^ 『官報』第3006号「帝国議会」昭和12年1月13日
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。
- ^ 梨本宮・平沼・平田ら五十九人に逮捕命令(昭和20年12月4日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p341-p342 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 下村房次郎コトバンク
- ^ 東京郵便電信学校国立公文書アジア歴史センター
- ^ 下村宏『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 『官報』第4790号「叙任及辞令」明治32年6月21日
- ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」明治34年4月22日
- ^ 『官報』第7718号「叙任及辞令」明治42年3月22日
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」明治44年3月11日
- ^ 『官報』第1017号「叙任及辞令」大正4年12月21日
- ^ 『官報』第2530号「叙任及辞令」大正10年1月11日
- ^ 『官報』第2700号「叙任及辞令」大正10年8月1日
- ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」明治35年12月29日
- ^ 『官報』第7246号「叙任及辞令」明治40年8月23日
- ^ 『官報』第8405号「叙任及辞令」明治44年6月29日
- ^ 『官報』第895号「叙任及辞令」大正4年7月26日
- ^ 『官報』第2712号「叙任及辞令」大正10年8月1日
- ^ 『官報』第5654号「叙任及辞令」1945年11月15日。
- ^ 『官報』第5910号附録「辞令」明治36年3月19日
- ^ 『官報』第7578号附録「辞令」明治41年9月28日
- ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日
- ^ ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(テレビマンユニオン)/ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(NHK番組表)
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