東京学園高等学校
東京商業高等学校
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「東京学園高等学校」の記事における「東京商業高等学校」の解説
1948年2月20日 - 新学制の発足により東京商業高等学校設置を申請 3月10日 - 東京商業高等学校の設置が認可される 4月1日 - 東京商業高等学校に改称、全日制と定時制を設立 7月23日 - 鈴木威校長を辞任。金井弥四郎第8代校長に就任 1949年11月24日 - 金井弥四郎校長を辞任。翌日加藤重雄第9代校長に就任 1950年3月25日 - 第61回卒業式で5年制の旧制度の生徒の卒業が完了 5 年制の旧制東京商業学校廃止 4月15日 - 井上四郎代6代理事長に就任 5月19日 - 加藤重雄校長辞任 1951年 1月 - 「都南中学校」の新入生募集を打ち切り。3月7日 -「都南中学校」1年生修了者を攻玉社中学校へ転学を以来し受理される 3月14日 - 財団法人から学校法人東京商業高等学校として組織変更 5月1日 - 山下恒雄第10代校長に就任 11月26日 - 評議会で公立中学整備による影響で「都南中学校」の入学者減少により同校の廃止が決議される 1952年3月6日 - 「都南中学校」の第5回卒業式で中学校時代に終止符(1954年8月9日に廃止が認可) 1953年3月31日 - 山下恒雄校長を辞任 4月1日 - 下村宏公職追放解除により11代校長として再任 近藤光正第7代理事長に就任 5月 - 下村宏作詞による現校歌が改訂(東京学園の改称により歌詞の「東商健児」が「東学健児」に改められる) 1954年4月10日 - 定時制を男女共学化 1956年3月8日 - 前校長兼理事長山下恒雄逝去 1957年12月9日 - 校長下村宏逝去 中村正文校長事務取り扱い 1958年2月1日 - 中村正文12代校長に就任 1959年12月9日 - 海南講堂(体育館)落成 創立70周年記念式典挙行 1963年3月2日 - 新北校舎落成 1964年9月5日 - 渋木直一元校長逝去 10月2日 - 東京オリンピック開会式リハーサルで生徒の代表が参加 1965年-11月22日文化祭を「雄飛祭」と改称 1967年9月27日 - 理事長近藤光正逝去 11月1日 - 国民体育大会で相撲部が団体優勝 11月15日 - 井口軍次郎第8代理事長に就任 1968年4月 - 普通科新設 1969年10月11日 - 創立80周年記念式典を挙行 1970年2月1日 - 本校生徒を含む過激派グループが校内に侵入し、器物を破壊し、教室の一部の封鎖を図るも用務員に発見され退去する「バリスト未遂事件」が発覚。事件当時教頭であった小池修照によると、早朝に連絡を受けて学校に駆けつけると、教員室は足の踏み場もないほど荒らされ、放送室の機器類は破壊されており、封鎖されかかっていた教室の黒板には過激な文句や教師の名が書かれており、本校生徒を含む「外人部隊の混成」による事件であるものの、犯行声明は無かったと言う。警察の現場検証も行われたが、詳細は不明のまま、当時頻発していた学生運動による騒ぎとして決着したようである。学校側は、2名による教員の宿直を行い、入試の際には警察による警備を行うなどの対策を取っていた。 1971年3月5日 - 第81回卒業式で普通科第1期生卒業 3月 - 定時制募集停止 3月31日-井口軍次郎理事長辞任 4月1日 - 五十嵐太仲第9代理事長に就任 1972年6月6日 - 理事会で校名変更を決議
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