昭和21年 (ひのえいぬ 丙戌)
年(年号) | |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック |
1946年
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1946年(1946 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。昭和21年。この項目では、国際的に注目されたものを列挙する。
- 1 1946年とは
- 2 1946年の概要
1946年(昭和21年)
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「高松市の歴史」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
市設案内所を設け、復員者・引揚者に対応する。 香川日日新聞社が四国新聞社に改名する。 高松飛行場が一部解放される。 寿町で四国で第1回目の軍事裁判が開かれる。 昭和南海地震が発生、市内で死者52名、負傷者273名の被害が出る。
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1946年(昭和21年)
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「連合国軍占領下の日本」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
1月1日 天皇神格否定の勅諭。(「人間宣言」) 1月4日 軍人・戦犯および軍国主義者とみなした政治家・大学教授・企業経営者などの公職追放を指示。 1月25日 幣原首相、マッカーサーと会談。 1月29日 GHQよりSCAPIN-677が指令される。日本政府の行政区域が北海道、本州、四国、九州およびその付属島嶼と対馬、大隅諸島までに限られ、北緯30度以南の南西諸島と伊豆諸島、小笠原諸島に対する日本の施政権が停止される。 2月1日 毎日新聞が政府の新憲法草案をスクープ。英連邦軍、日本への進駐を開始。 2月2日 ソ連が全樺太と全千島列島の領有を宣言。 2月3日 マッカーサー、民政局長コートニー・ホイットニーに自作の憲法案のメモを渡し、憲法モデルを作成するよう命じる。 2月13日 ホイットニー局長、新憲法モデル文章を吉田茂らに見せる。 2月19日 昭和天皇が川崎市・横浜市の市民を訪問。以後、全国を訪問する。 2月20日 ソ連、樺太・千島の領有を宣言する。 2月25日 新旧円の交換開始。 2月26日 極東委員会発足。 3月5日 第一次アメリカ教育使節団来日。3月5日 英元首相チャーチルが「鉄のカーテン」発言(冷戦の始まり)。 3月6日 日本政府、「憲法改正草案要綱」(戦争の放棄、象徴天皇、主権在民)を公表。 3月22日 伊豆諸島に対する施政権停止が解除される。 4月4日 2〜300人のアメリカ兵は大森の中村病院に乱入し、約100人の妊婦や看護婦らを強姦した。生まれたばかりの子供も殺害された。 4月5日 対日理事会発足。 4月10日 新選挙法に基づく衆議院議員総選挙。投票率73パーセント、自由党が第一党となるも過半数に届かず。加藤シヅエ・山口シヅエ・戸叶里子・松谷天光光・近藤鶴代ら、日本初の女性国会議員が39名当選。 4月17日 幣原内閣、新憲法草案を発表。 4月22日 幣原内閣総辞職。 4月29日 天皇誕生日にA級戦犯29名を起訴。 5月1日 11年ぶりのメーデー。およそ100万人が集まる。 5月3日 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。 5月4日 鳩山自由党総裁が追放される。 5月19日 宮城(皇居)前で25万人が飯米獲得人民大会を開催(食糧メーデー、プラカード事件)。共産党・社会党がデモ隊をつれて吉田を訪問。デモ隊一部は皇居内に侵入。翌日、マッカーサー声明「暴民デモ許さず」。 5月22日 吉田茂内閣(自由党)成立。 6月 中国大陸で内戦が再燃(国共内戦、1949年まで)。 6月15日 第一復員省と第二復員省が統合して復員庁となる。 6月19日 国連原子力委員会でソ連代表が核技術の廃絶を提案。 6月20日 衆議院に新憲法草案を提出。 6月22日 日本の漁獲域を拡張(歯舞群島の東の東経150度から北緯45度東経165度、北緯24度東経165度、北緯24度東経123度を結ぶ線内)。 6月25日 衆議院本会議に憲法草案が上程。 7月1日 アメリカが旧南洋諸島ビキニ環礁で4基目の原子爆弾を実験爆発。 7月4日 フィリピンがアメリカから独立。10月1日 ドイツでニュルンベルク裁判判決。12人が死刑。 11月3日 日本国憲法公布。 11月16日「ポーレー最終報告」が発表される。12月 フランス軍が共産ベトナムを攻撃開始(インドシナ戦争勃発、- 1954年)。 12月18日 ワシントンの極東委員会、日本の労働運動16原則を決定(占領目的を阻害する労働運動の禁止)。 12月20日 在日朝鮮人により首相官邸が襲撃される(首相官邸デモ事件) 12月21日 南海地震が発生。紀伊半島沿岸と四国沿岸などを津波が襲い、1443名が死亡。
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1946年(昭和21年)
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「中原淳一」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
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1946年(昭和21年)
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「1946年-1960年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
前年12月の3段階におよぶ列車削減で、日本人の乗れる列車の混雑はますますひどくなる中、「Allied Limited」などの連合軍専用列車の運転が、この年1月 - 4月にわたって順次行われた。GHQ占領下の「連合国軍優先の列車設定」を物語るものであったといえる。 とはいっても1月15日、2月1日、2月25日には石炭事情が好転したことから列車の増発が行われ、前1945年(昭和20年)11月20日時のダイヤ改正の水準を回復している。 しかしこの頃はインフレーションの激しい時期でもあり、この年3月1日に旅客運賃を1.5倍、貨物運賃を3倍にする値上げが行われた後、1947年(昭和22年)3月1日に旅客25%、貨物100%、7月7日に旅客3.5倍、1948年(昭和23年)7月18日に旅客2.5倍、貨物3.5倍、1949年(昭和24年)5月1日に旅客60%と、毎年に渡って運賃の値上げが繰り返されることになった。だが消費者物価指数の上がり幅はそれ以上のものであり、いくら値上げを繰り返しても国有鉄道の収支は一向に好転しなかった。 そしてこの年11月10日には、再び石炭事情の悪化から旅客列車の16%削減が行われた。その一方で、奥羽本線などで「準急列車」の運転が開始された。この「準急列車」は、戦前に運転されていた、現代でいう快速列車のような特別料金不要の速達サービスを行う列車ではなく、「急行列車」より設備や速度の面で劣る分、割安な運賃(料金)を設定した準・優等列車で、以後1968年(昭和43年)10月1日の「ヨンサントオ」改正で急行列車に統合されて消滅するまで、国鉄の主に地方線区で速達列車として活躍することになる。
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1946年(1リーグ時代)
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「プレーオフ制度 (日本プロ野球)」の記事における「1946年(1リーグ時代)」の解説
この年はグレートリングが65勝37敗2分け(勝率.637)、巨人が64勝38敗2分け(勝率.627)で最終戦を迎えることとなったが、巨人が勝ってグレートリングが敗れると65勝38敗2分け(勝率.631)で並ぶため、プレーオフが実施されることになっていた。しかし、巨人がセネタースに敗れたため、グレートリングが中部日本戦を待たずに球団史上初の優勝を決めた。 パシフィックは、この年戦前からの既存チームでプレーしていた白石敏男(元巨人)と藤井勇(元阪神)を入団させたが、両選手の帰属を巡って巨人と阪神が提訴し連盟が調査中だった。その最中にも拘らず試合に出場させたとして没収試合を4試合経験した。これによりパシフィックがグレートリングからあげた1勝が負け扱いされた。これがパシフィックの負け扱いにされていなければグレートリングの最終成績は64勝39敗2分け(勝率.621)で巨人と同率となり、プレーオフが実施されていたことになる。
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1946年(昭和21年)
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北暑西冷傾向が強く、北・東日本で猛暑となった。特に、北日本では平年を1.5℃上回り、観測史上3位タイになっている。一方、西日本は8月、南西諸島は7 - 8月が低温になった。7月16日には長野県軽井沢で観測史上1位の最高気温34.2℃、栃木県奥日光で観測史上3位の最高気温30.2℃、山梨県河口湖で観測史上1位タイの35.4℃、北海道稚内市でも8月22日に観測史上1位の最高気温31.3℃を記録した。
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1946年(民国35年、昭和21年)
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「日中戦争関係年表」の記事における「1946年(民国35年、昭和21年)」の解説
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1946年(昭和21年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:31 UTC 版)
「衆議院議員総選挙」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
改正衆議院議員選挙法(1945年)の下での総選挙、政見放送(ラジオ)開始(第22回衆議院議員総選挙)。
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1946年(昭和21年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
1月1日に天皇が人間宣言。通化事件。食糧メーデー。11月3日、日本国憲法公布。農地改革。公職追放。12月21日、昭和南海地震。
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1946年(昭和21年)
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「真庭市立勝山図書館」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
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1946年(昭和21年)
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「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
5月5日 - 伊豆大島の三原山山頂から約120メートルほど離れた場所に、フィリピンのニコルス飛行場を飛び立ち厚木基地に向かって飛行していたC-46輸送機が墜落。事故の後すぐに駆けつけた村民達は事故現場から16名の生存者を助けた。
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1946年(昭和21年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 04:44 UTC 版)
「虫食い算」の記事における「1946年(昭和21年)」の解説
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「1946年」の例文・使い方・用例・文例
- 中央広報局は1946年に設立された。
- 1946年に三冠に勝ったサラブレッド
- フォン・ノイマンとその同僚によって1946年に提言された内蔵プログラムと連続カウンタのアイデアを取り入れたデジタルコンピュータ
- かつての執行機関(1946年から1974年まで)で、米国の原子力とその平時の利用についての研究を担当していた
- 米国の探検家で、ピアリーの北極探検に同行し、ほかに多くの北極旅行を先導した(1875年−1946年)
- 米国の第42代大統領(1946年−)
- スペイン作曲家でピアニスト(1876年−1946年)
- 米国のコメディアンで映画俳優(1880年−1946年)
- ドイツ人のナチス・ドイツの政治家ゲシュタポを設立し、ドイツ人を戦争に動員した(1893年−1946年)
- 英国の俳優、劇作家、評論家、監督で、シェークスピアの劇の制作で知られる(1877年−1946年)
- 物語と脚本の米国の作者(1894年−1946年)
- ソ連のソビエト政治家で国家元首(1875年−1946年)
- 英国の経済学者で、インフレによらず、政府の通貨財政政策の利用により完全雇用を維持するように説いた(1883年−1946年)
- 米国のレース・ドライバーで、初めて1マイルを1分より速く運転した(1878年−1946年)
- ミュージカルの米国の作曲家で作詞家(1891-1946年)
- 米国のブロードウェイとニューヨークの地下に関するユーモラスな様式化された話の作家(1884年−1946年)
- 実験的な国外在住の米国の作家(1874-1946年)
- 米国の写真家(1864年−1946年)
- 米国の将軍で、第二次世界大戦の間に中国、ビルマ、インドの連合軍に命令した(1883年−1946年)
- 米国の法律専門家で、連邦最高裁判所の長官を勤めた(1872年−1946年)
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