ボビー・ボンズとは? わかりやすく解説

ボビー・ボンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 03:08 UTC 版)

ボビー・ボンズ
Bobby Bonds
ニューヨーク・ヤンキース時代
(1975年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州リバーサイド
生年月日 (1946-03-15) 1946年3月15日
没年月日 (2003-08-23) 2003年8月23日(57歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 右翼手
プロ入り 1964年
初出場 1968年6月25日
最終出場 1981年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • クリーブランド・インディアンス (1984 - 1987)
  • サンフランシスコ・ジャイアンツ (1993 - 1996)

ボビー・リー・ボンズ英語: Bobby Lee Bonds1946年3月15日 - 2003年8月23日[1])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド出身のプロ野球選手外野手)・コーチ

概要・家族

ウィリー・メイズに次いでMLB史上2人目の「300-300(通算300本塁打・300盗塁)」を達成、「30-30(シーズン30本塁打・30盗塁)」を長男であるバリー・ボンズと並びMLB史上最多タイの5度達成した。ほかにもゴールドグラブ賞を3度受賞し、オールスターゲームにも3回出場。1973年のオールスターゲームではMVPを獲得した。

長男のバリー・ボンズはMLB史上1位となる通算762本塁打、2558四球、688敬遠、シーズン73本塁打、232四球、120敬遠、長打率.863、出塁率.609、OPS1.422を記録し、ゴールドグラブ賞を8度獲得、MLB史上唯一の「400-400(通算400本塁打・400盗塁)」と「500-500(通算500本塁打・500盗塁)」を達成、ホセ・カンセコに次いでMLB史上2人目の「40-40(シーズン40本塁打・40盗塁)」を達成、「30-30」を父であるボビーと並びMLB史上最多タイの5度達成した[注釈 1]。バリーの名付け親は通算3283安打、660本塁打、338盗塁を記録し、1度の首位打者、4度の本塁打王、4度の盗塁王、2度のMVP、MLB史上初の「300-300」、ゴールドグラブ賞を12年連続で獲得したウィリー・メイズ。

「300-300」、5度の「30-30」達成はMLB唯一の親子での達成となる。

兄はNFL選手のロバート・ボンズ。姉は1964年の東京五輪にも出場した陸上ハードル選手のロジー・ボンズ英語版。三男は元プロ野球選手のボビー・ボンズ・ジュニア。MLB史上1位となる通算2597三振を記録し、4度の本塁打王、1度のMVPを獲得したレジー・ジャクソンは親族に当たる。

来歴

ジャイアンツ時代

ジャイアンツ時代
(1969年)

1964年サンフランシスコ・ジャイアンツに入団。背番号25[注釈 2]1968年6月25日の対ロサンゼルス・ドジャース戦(キャンドルスティック・パーク)に「7番右翼手」でメジャーデビュー。3打席目でメジャー初安打となる満塁本塁打を放った。

1969年はリーグトップの120得点を記録したが、三振も多く当時のMLBワースト記録の187三振を喫する。翌1970年には前述の記録を更新する189三振を喫する。この記録は2004年シンシナティ・レッズアダム・ダンが195三振を喫するまでMLBワースト記録だった。

1970年には球団新記録の48盗塁を記録。翌1971年は33本塁打、102打点を挙げチームの地区優勝に貢献するが、リーグチャンピオンシップシリーズピッツバーグ・パイレーツに1勝3敗で敗れた。結局この年が唯一のポストシーズン進出となった。

1973年は当時のナ・リーグシーズン最多となる先頭打者本塁打11本[注釈 3]を含む39本塁打をマークする。43盗塁も記録し、自身初の「30-30(シーズン30本塁打・30盗塁)」を達成した。また、この年のオールスターゲームでは5回に2点本塁打、7回に二塁打を放ち、見事MVPを受賞した。

ヤンキース移籍後

ヤンキース時代
(1975年)
セントルイス・カージナルス時代
(1980年、野球カードから切り抜いたボンズ)

ニューヨーク・ヤンキースに移籍した1975年にも32本塁打・30盗塁で「30-30」を達成し、両リーグで達成した初の選手となった。通算では5回達成しており、長男のバリー・ボンズと並ぶMLB最多タイ記録。親子で「30-30」を達成したのもボンズ親子がMLB唯一である。1978年にはウィリー・メイズに次いでMLB史上2人目の「300-300(通算300本塁打・300盗塁)」を達成。のちにバリーも「300-300」を達成しており、こちらもボンズ親子がMLB唯一である。

ヤンキースに移籍後は7年間で7球団を渡り歩き、1982年引退1984年からクリーブランド・インディアンス打撃コーチ1987年までの4年間務め、1993年には、この年バリーが入団したジャイアンツのコーチを1996年までの4年間務めた。

2003年8月23日カリフォルニア州サン・カルロス市内にて、肺がん脳腫瘍合併症のため57歳で死去した。当時としては珍しくはないが、現役時代から喫煙習慣があった[2]。ボンズはカリフォルニア州サンマテオスカイローン記念公園英語版にて埋葬された。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1968 SF 81 349 307 55 78 10 5 9 125 35 16 7 1 2 38 0 1 84 0 .254 .336 .407 .743
1969 158 720 622 120 161 25 6 32 294 90 45 4 3 4 81 3 10 187 9 .259 .351 .473 .824
1970 157 745 663 134 200 36 10 26 334 78 48 10 1 2 77 7 2 189 6 .302 .375 .504 .879
1971 155 691 619 110 178 32 4 33 317 102 26 8 0 5 62 6 5 137 10 .288 .355 .512 .867
1972 153 697 626 118 162 29 5 26 279 80 44 6 1 5 60 4 5 137 13 .259 .326 .446 .772
1973 160 738 643 131 182 34 4 39 341 96 43 17 0 4 87 9 4 148 8 .283 .370 .530 .900
1974 150 670 567 97 145 22 8 21 246 71 41 11 0 4 95 8 4 134 4 .256 .364 .434 .798
1975 NYY 145 626 529 93 143 26 3 32 271 85 30 17 0 5 89 8 3 137 10 .270 .375 .512 .888
1976 CAL 99 427 378 48 100 10 3 10 146 54 30 15 0 5 41 6 3 90 7 .265 .337 .386 .723
1977 158 679 592 103 156 23 9 37 308 115 41 18 1 10 74 5 2 141 9 .264 .342 .520 .862
1978 CWS 26 102 90 8 25 4 0 2 35 8 6 2 1 1 10 1 0 10 2 .278 .347 .389 .735
TEX 130 555 475 85 126 15 4 29 236 82 37 20 2 7 69 6 2 110 12 .265 .356 .497 .853
'78計 156 657 565 93 151 19 4 31 271 90 43 22 3 8 79 7 2 120 14 .267 .355 .480 .834
1979 CLE 146 631 538 93 148 24 1 25 249 85 34 23 4 7 74 4 8 135 9 .275 .367 .463 .830
1980 STL 86 270 231 37 47 5 3 5 73 24 15 5 1 3 33 3 2 74 4 .203 .305 .316 .621
1981 CHC 45 190 163 26 35 7 1 6 62 19 5 6 1 0 24 5 2 44 4 .215 .323 .380 .703
MLB:14年 1849 8090 7043 1258 1886 302 66 332 3316 1024 461 169 16 64 914 75 53 1757 107 .268 .353 .471 .824
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

25

脚注

注釈

  1. ^ バリーはその内3回はシーズン打率3割超えで、MLBにおいてこちらも最多記録となる。日本では「30-30」に併せてシーズン打率3割の記録をトリプルスリーと呼称されているが、英語圏ではトリプルスリーという概念自体が普及していない。
  2. ^ のちに長男のバリー・ボンズピッツバーグ・パイレーツからジャイアンツに移籍後、ボビーと同じ背番号25のユニフォームに袖を通す。
  3. ^ 2024年に14本を記録したナ・リーグ:フィラデルフィア・フィリーズカイル・シュワーバーに抜かれるまで、51年間ナ・リーグ記録を保持していた。

出典

  1. ^
  2. ^ Uni Watch: Smoke 'em if you got 'em - ESPN Page 2”. ESPN (2008年4月9日). 2018年12月22日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類

ニューヨーク・ヤンキースの選手 ホセ・カンセコ  ラトロイ・ホーキンス  ボビー・ボンズ  デーブ・レーシッチ  ビル・ディッキー
クリーブランド・インディアンスの選手 アーリー・ウィン  フランク・ロビンソン  ボビー・ボンズ  ライアン・ラドウィック  ボブ・ミラッキ
シカゴ・カブスの選手 スコット・チャイアソン  ラトロイ・ホーキンス  ボビー・ボンズ  マット・マートン  ランディ・マイヤーズ
セントルイス・カージナルスの選手 エドガー・レンテリア  レアール・コーミエ  ボビー・ボンズ  ライアン・ラドウィック  ジェイソン・マーキー
シカゴ・ホワイトソックスの選手 ホゼ・アコスタ  カルロス・クエンティン  ボビー・ボンズ  カル・エイブラムス  マリオ・バルデス
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 ラトロイ・ホーキンス  クリスティ・マシューソン  ボビー・ボンズ  ケビン・ミッチェル  マディソン・バンガーナー
テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手 ホセ・カンセコ  ガイ・ホフマン  ボビー・ボンズ  デーブ・レーシッチ  ライアン・ラドウィック
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 ダラス・マクファーソン  フランク・ロビンソン  ボビー・ボンズ  ラリー・バーンズ  ホイト・ウィルヘルム

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