ビル・テリーとは? わかりやすく解説

ビル・テリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/03 08:48 UTC 版)

ビル・テリー
Bill Terry
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ジョージア州アトランタ
生年月日 1898年10月30日
没年月日 (1989-01-09) 1989年1月9日(90歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
初出場 1923年9月24日
最終出場 1936年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1954年
得票率 77.4%
選出方法 BBWAA選出

ウィリアム・ハロルド・"ビル"・テリー(William Harold "Bill" Terry, 1898年10月30日 - 1989年1月9日) は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のプロ野球選手一塁手)。左投げ左打ち。ニックネーム"Memphis Bill"(メンフィス・ビル)。

経歴

1923年に、マイナーリーグのトレド球団からフレディ・リンドストロムとともにニューヨーク・ジャイアンツに入団、メジャーデビューを果たす。

1929年6月18日、テリーはダブルヘッダー2試合で計9安打する記録を作っている。以後現在まで、ナショナルリーグで1日9安打の記録が作られたことはない。

1930年、打率4割を超え首位打者を獲得するとともに254安打を記録し[1]、それまでジョージ・シスラーが持っていたシーズン最多安打にあと3本のところまで迫った(現在は歴代3位。)。シーズン打率は.401をマークし、2019年現在もなお、テリーはナショナルリーグにおける最後の4割打者である。 1932年からは、前任のジョン・マグローの後を受けて選手兼任監督選手となり、1936年まで現役を続ける。監督兼任の間にリーグ優勝2回、ワールドシリーズを1回制覇しただけでなく、自身の打率も一度も3割を切ることがなかった。1941年にジャイアンツの監督を退く。

1954年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。以後しばらくの間、野球殿堂のベテランズ委員会に籍を置くが、この間の殿堂入り選手の選考について、一部問題視する向きもある(アメリカ野球殿堂の項を参照)。

その一方で、引退後は終生の地となるフロリダ州ジャクソンビルに移住し、以後同地にて自動車販売業を営むほか、1958年ミルウォーキー・ブレーブス傘下のAA級マイナーチーム、ジャクソンビル・ブレーブスを買収・誘致し、その後チームが解散する1961年までオーナーを務めた。

テリーの背番号「3」。
サンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番1984年指定。

1984年、古巣ジャイアンツはテリーの背番号3』を永久欠番に指定する。

1989年1月9日、フロリダ州ジャクソンビルで90歳にて逝去。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1923 NYG 3 9 7 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 -- 2 -- 0 2 -- .143 .333 .143 .476
1924 77 180 163 26 39 7 2 5 65 24 1 1 0 -- 17 -- 0 18 -- .239 .311 .399 .710
1925 133 536 489 75 156 31 6 11 232 70 4 5 4 -- 42 -- 1 52 -- .319 .374 .474 .848
1926 98 255 225 26 65 12 5 5 102 43 3 -- 8 -- 22 -- 0 17 -- .289 .352 .453 .806
1927 150 647 580 101 189 32 13 20 307 121 1 -- 19 -- 46 -- 2 53 -- .326 .377 .529 .907
1928 149 649 568 100 185 36 11 17 294 101 7 -- 17 -- 64 -- 0 36 -- .326 .394 .518 .912
1929 150 673 607 103 226 39 5 14 317 117 10 -- 18 -- 48 -- 0 35 -- .372 .418 .522 .941
1930 154 708 633 139 254 39 15 23 392 129 8 -- 19 -- 57 -- 1 33 -- .401 .452 .619 1.071
1931 153 662 611 121 213 43 20 9 323 112 8 -- 2 -- 47 -- 2 36 -- .349 .397 .529 .926
1932 154 677 643 124 225 42 11 28 373 117 4 -- 1 -- 32 -- 1 23 -- .350 .382 .580 .962
1933 123 524 475 68 153 20 5 6 201 58 3 -- 9 -- 40 -- 0 23 10 .322 .375 .423 .798
1934 153 683 602 109 213 30 6 8 279 83 0 -- 19 -- 60 -- 2 47 8 .354 .414 .463 .878
1935 145 653 596 91 203 32 8 6 269 64 7 -- 16 -- 41 -- 0 55 13 .341 .383 .451 .834
1936 79 252 229 36 71 10 5 2 97 39 0 -- 5 -- 19 -- 0 19 7 .310 .363 .424 .786
通算:14年 1721 7108 6428 1120 2193 373 112 154 3252 1078 56 6 137 -- 537 -- 9 449 38 .341 .393 .506 .899
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

監督としての戦績

※順位は年度最終順位



















1932 NYG NL 114 55 59 .482 6位
1933 156 91 61 .599 1位 WS優勝
1934 153 93 60 .608 2位
1935 156 91 62 .595 3位
1936 154 92 62 .597 1位
1937 152 95 57 .625 1位
1938 152 83 67 .553 3位
1939 151 77 74 .510 5位
1940 152 72 80 .474 6位
1941 156 74 79 .484 5位
通算成績 1496 823 661 .555

記録等

  • リーグ優勝:3回(1933,1936,1937年)
  • ワールドシリーズ勝敗:通算7勝9敗(勝率.438)
  • オールスターゲーム出場:3回(1934,1937,1938年)

脚注

  1. ^ “イチロー、新たな金字塔”. 時事ドットコム. https://www.jiji.com/sp/v4?id=ichiro30000010 2020年2月20日閲覧。 

関連項目

外部リンク


ビル・テリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:14 UTC 版)

1933年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ビル・テリー」の解説

ニューヨーク・ジャイアンツのビル・テリー監督は、1923年から1936年までジャイアンツ一塁手として活躍し、左投げ左打ち選手として1925年から1936年までの12年間で11シーズンは3割を打ちタイトル1930年打率.401で四割を打った年の1回だけであった(この年シーズン最多安打254本で、これは現在もナショナルリーグ記録である)。1898年生れ早く両親離婚したため15歳働き出てジョージア州地元のセミプロチームの投手として活動したが、間もなくそこを辞めて20歳から23歳までは勤務していた会社スタンダード石油チームプレーしていた。すると石油会社のあるメンフィスサザン・リーグ球団オーナーテリー注目し1922年ジャイアンツマグロー監督紹介した。これが縁でジャイアンツ入団しマグロー将来の大打者育てるため投手には使わないようにとコーチ指令したと言われるデビュー直後右打ちジョージ・ケリー一塁分け合っていた。その後、四割を打つほどの打者成長したが、一方でマグロー監督との確執生じていた。しかしマグローテリー指導者としての資質高く買い、1932年シーズン途中病気59歳監督の座を降りる際に後継者指名したのが、当時34歳であったビル・テリーであったテリー選手兼任監督その後4年毎年3割を打ちながら監督としても見事な手腕発揮した通算打率.341。1954年殿堂入りした。

※この「ビル・テリー」の解説は、「1933年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
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