トリス・スピーカーとは? わかりやすく解説

トリス・スピーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/20 06:34 UTC 版)

トリス・スピーカー
Tris Speaker
トリス・スピーカー(1912年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ハバード
生年月日 1888年4月4日
没年月日 (1958-12-08) 1958年12月8日(70歳没)
身長
体重
5' 11.5" =約181.6 cm
193 lb =約87.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 中堅手
プロ入り 1907年
初出場 1907年9月12日
最終出場 1928年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1937年
得票率 82.09%
選出方法 BBWAA投票

トリストラム・エドガー・スピーカー(Tristram Edgar Speaker、1888年4月4日 - 1958年12月8日)は、アメリカ合衆国テキサス州ハバード出身のプロ野球選手(外野手)。左投げ左打ち。

ニックネームは"Spoke"(スポーク)、"The Grey Eagle"(グレー・イーグル)。

経歴

テキサス州ハバードに生まれ、現役時代はボストン・レッドソックス1907年1915年)、クリーブランド・インディアンス1916年1926年)、ワシントン・セネタース1927年)、フィラデルフィア・アスレチックス1928年)に所属。1937年アメリカ野球殿堂入りを果たす。

同時代に活躍したタイ・カッブの影に隠れながらも、通算打率.345を記録し、卓越した外野守備(中堅手)として1910年代の野球界を代表する選手の一人となる。1910年から1915年までボストン・レッドソックスでは左翼手ダフィー・ルイス右翼手ハリー・フーパーと共に「100万ドルの外野陣」と呼ばれる鉄壁の外野守備を形成していた。特にスピーカーは抜群の打球の読みに裏打ちされた極端な前進守備をとっており、「センターゴロ」や「一人ダブルプレー」(ライナーを捕球してそのまま二塁に駆け込む)を何度も行ったという。外野手補殺数449は歴代1位の記録であり、1909年と1914年には、中堅手でありながら12もの併殺を取っている。

通算792二塁打は史上1位であり、8シーズンにわたって二塁打数1位を記録する。また1912年6月9日はサイクル安打を達成している[1]1919年から1926年には監督も兼任。1920年には選手兼監督としてインディアンスのワールドシリーズ制覇を実現する。22年間の現役生活で通算3514安打を記録する。また映画『The Ninth Inning』(1942年)、『The Kid from Cleveland』(1949年)に出演。

1958年にテキサス州レイク・ホイットニーにて死去。70歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1907 BOS 7 20 19 0 3 0 0 0 3 1 0 -- 0 -- 1 -- 0 -- -- .158 .200 .158 .358
1908 31 125 116 12 26 2 2 0 32 9 3 -- 3 -- 4 -- 2 -- -- .224 .262 .276 .538
1909 143 606 544 73 168 26 13 7 241 77 35 -- 17 -- 38 -- 7 -- -- .309 .362 .443 .805
1910 141 608 538 92 183 20 14 7 252 65 35 -- 12 -- 52 -- 6 -- -- .340 .404 .468 .872
1911 141 589 500 88 167 34 13 8 251 70 25 -- 17 -- 59 -- 13 -- -- .334 .418 .502 .920
1912 153 675 580 136 222 53 12 10 329 90 52 28 7 -- 82 -- 6 -- -- .383 .464 .567 1.031
1913 141 608 520 94 189 35 22 3 277 71 46 -- 16 -- 65 -- 7 -- 22 .363 .441 .533 .974
1914 158 668 571 101 193 46 18 4 287 90 42 29 13 -- 77 -- 7 -- 25 .338 .423 .503 .926
1915 150 652 547 108 176 25 12 0 225 69 29 25 17 -- 81 -- 7 -- 14 .322 .416 .411 .827
1916 CLE 151 647 546 102 211 41 8 2 274 79 35 27 15 -- 82 -- 4 -- 20 .386 .470 .502 .972
1917 142 612 523 90 184 42 11 2 254 60 30 -- 15 -- 67 -- 7 -- 14 .352 .432 .486 .918
1918 127 549 471 73 150 33 11 0 205 61 27 -- 11 -- 64 -- 3 -- 9 .318 .403 .435 .838
1919 134 595 494 83 146 38 12 2 214 63 15 -- 20 -- 73 -- 8 -- 12 .296 .395 .433 .828
1920 150 674 552 137 214 50 11 8 310 107 10 13 20 -- 97 -- 5 -- 13 .388 .483 .562 1.045
1921 132 588 506 107 183 52 14 3 272 75 2 4 12 -- 68 -- 2 -- 12 .362 .439 .538 .977
1922 131 516 426 85 161 48 8 11 258 71 8 3 12 -- 77 -- 1 -- 11 .378 .474 .606 1.080
1923 150 693 574 133 218 59 11 17 350 130 8 9 22 -- 93 -- 4 -- 15 .380 .469 .610 1.079
1924 135 575 486 94 167 36 9 9 248 65 5 7 13 -- 72 -- 4 -- 13 .344 .432 .510 .942
1925 117 518 429 79 167 35 5 12 248 87 5 2 15 -- 70 -- 4 -- 12 .389 .479 .578 1.057
1926 150 661 539 96 164 52 8 7 253 86 6 1 28 -- 94 -- 0 -- 15 .304 .408 .469 .877
1927 WAS 141 597 523 71 171 43 6 2 232 73 9 8 15 -- 55 -- 4 -- 8 .327 .395 .444 .839
1928 PHA 64 212 191 28 51 22 2 3 86 30 5 1 9 -- 10 -- 2 -- 5 .267 .310 .450 .760
通算:22年 2789 11988 10195 1882 3514 792 222 117 5101 1529 432 157 309 -- 1381 -- 103 -- 220 .345 .428 .500 .928
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高

タイトル

表彰

記録

  • 通算安打数:3514(歴代5位)
  • 通算二塁打数:792(歴代1位)
  • 通算三塁打数:222(歴代6位)
  • 通算補殺数(外野手):449(メジャーリーグ記録)

脚注

関連項目

外部リンク


トリス・スピーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:54 UTC 版)

1916年のメジャーリーグベースボール」の記事における「トリス・スピーカー」の解説

かつてはハリー・フーパーダフィー・ルイスとの3人でレッドソックスの「100万ドル外野陣」と呼ばれたが、この年クリーブランド・インディアンス移り打率.386首位打者となった。これは彼にとって最初で最後首位打者であった生涯通算打率.345で首位打者1回だけであったのは同時代タイ・カッブ首位打者12回)がいたためである。しかしトリス・スピーカーの真骨頂守備であった外野手(センター)として1試合補殺4、ダブルプレー5回を記録(いずれもリーグ歴代1位)し、さらに生涯通算補殺450(449とする資料もある)、ダブルプレー135回はメジャーリーグ史上トップ記録である。スピーカー守備力高い評価受けており、外野フライ取ったあとそのまま2塁へ走って踏んでダブルプレーを4回達成(これはメジャーリーグタイ記録)している。通算打率.345(史上5位)、通算安打3514本(史上5位)、通算二塁打792本(史上1位)、通算三塁打222本(史上6位)、通算本塁打117本の生涯記録中距離打者として見事なのである守備打撃加えた総合力ではカッブよりもスピーカーの方が上という意見強くあったと言われている。1919年から選手兼任監督となり、そして1926年シーズン終了後カッブとの八百長疑惑事件巻き込まれて、翌年セネタース移り、さらに次の1928年コニー・マック監督アスレチックス移ったが、皮肉にもそこにはタイ・カッブがいて、両者ともこの年揃って引退した。(1937年殿堂入り

※この「トリス・スピーカー」の解説は、「1916年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「トリス・スピーカー」を含む「1916年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1916年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。

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アメリカ野球殿堂 チャーリー・ゲーリンジャー  トム・コナリー  トリス・スピーカー  ボブ・レモン  ポール・モリター
クリーブランド・インディアンスの選手 ケリー・ウッド  ネリオ・ロドリゲス  トリス・スピーカー  ボブ・レモン  アル・ロペス
オークランド・アスレチックスの選手 ウォーキーン・アンドゥハー  スコット・ブロシアス  トリス・スピーカー  マティ・アルー  ダン・ガイス
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