ラリー・ドビーとは? わかりやすく解説

ラリー・ドビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 09:57 UTC 版)

ラリー・ドビー
Larry Doby
1953年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州カムデン
生年月日 (1923-12-13) 1923年12月13日
没年月日 (2003-06-18) 2003年6月18日(79歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1942年
初出場 MLB / 1947年7月5日
NPB / 1962年6月30日
最終出場 MLB / 1959年6月26日
NPB / 1962年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 1998年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ローレンス・ユージン・ドビーLawrence Eugene Doby, 1923年12月13日 - 2003年6月18日)は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州出身のプロ野球選手外野手)。

来歴・人物

1942年から1944年、および1946年から1947年シーズン途中までニグロリーグ・ニューアーク・イーグルスでプレー。同年7月2日にクリーブランド・インディアンスと契約し、7月5日にMLBデビュー。同年4月15日のジャッキー・ロビンソンに次いで黒人としては2人目のMLB選手で、アメリカンリーグではドビーが初めてとなった。ニグロリーグにおける神話的大投手のサチェル・ペイジとも後にチームメイトとなっている。

1948年のワールドシリーズでは第4戦で決勝本塁打を放ち、白人のスティーブ・グローメク英語版勝利投手になった時、ロッカーでカメラマンから共に抱き合う姿を写したいと言われ、すんなりと応じたその写真は、当時はまだ人種間の確執があった頃だけに貴重な1枚として残っている[1]

1952年本塁打王のタイトルを獲得。1954年には本塁打王と打点王のタイトルを獲得し、アメリカンリーグのMVP投票ではヨギ・ベラに次ぐ票を集めた。

1956年シカゴ・ホワイトソックスに移籍するが、1958年にインディアンスに復帰。しかし、翌1959年デトロイト・タイガースに移籍し、シーズン途中にホワイトソックスに移籍と、晩年は移籍を繰り返し、1959年限りで現役を引退した。

現役引退後は酒類の小売業者として働いていたが、1962年ドン・ニューカムとともに中日ドラゴンズに入団し、日本を訪れた。3年ぶりの現役復帰となり年齢的な衰えは隠せず1シーズン限りで退団したものの、元メジャーリーガーということで話題になった。

引退後はモントリオール・エクスポズ、インディアンス、ホワイトソックスのコーチを歴任し、ホワイトソックスのコーチを務めていた1978年シーズン途中にボブ・レモンに代わり、フランク・ロビンソンに次いで黒人としては2人目のMLB監督に就任した[1]

ドビーのインディアンス在籍時の背番号「14」。
クリーブランド・インディアンスの永久欠番1994年指定。

1994年、インディアンスが新球場ジェイコブス・フィールドをオープンした時のセレモニーにて、ドビーの在籍時の背番号14』はインディアンスの永久欠番に指定された。

1998年ベテランズ委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入り。これは日本プロ野球でのプレー経験者としては史上初のことであった。また日本プロ野球でプレーした選手でアメリカ野球殿堂入りしてるのも2025年現在、彼とリッチ・ゴセージイチローの3人のみである。

2003年6月18日のためニュージャージー州モントクレアの自宅にて死去、79歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1947 CLE 29 33 32 3 5 1 0 0 6 2 0 0 0 -- 1 -- 0 11 2 .156 .182 .188 .369
1948 121 500 439 83 132 23 9 14 215 66 9 9 2 -- 54 -- 5 77 8 .301 .384 .490 .873
1949 147 650 547 106 153 25 3 24 256 85 10 9 5 -- 91 -- 7 90 14 .280 .389 .468 .857
1950 142 609 503 110 164 25 5 25 274 102 8 6 2 -- 98 -- 6 71 9 .326 .442 .545 .986
1951 134 551 447 84 132 27 5 20 229 69 4 1 0 -- 101 -- 3 81 10 .295 .428 .512 .941
1952 140 611 519 104 143 26 8 32 281 104 5 2 2 -- 90 -- 0 111 6 .276 .383 .541 .924
1953 149 617 513 92 135 18 5 29 250 102 3 2 2 -- 96 -- 6 121 7 .263 .385 .487 .873
1954 153 675 577 94 157 18 4 32 279 126 3 1 1 9 85 -- 3 94 7 .272 .364 .484 .847
1955 131 560 491 91 173 17 5 26 248 75 2 0 2 4 61 8 2 100 6 .291 .369 .505 .874
1956 CHW 140 619 504 89 135 22 3 24 235 102 0 1 4 5 102 6 4 105 7 .268 .392 .466 .858
1957 119 477 416 57 120 27 2 14 193 79 2 3 0 3 56 3 2 79 13 .288 .373 .464 .837
1958 CLE 89 276 247 41 70 10 1 13 121 45 0 2 0 3 26 2 0 49 7 .283 .348 .490 .838
1959 DET 18 64 55 5 12 3 1 0 17 4 0 0 0 1 8 0 0 9 0 .218 .313 .309 .622
CHW 21 60 58 1 14 1 1 0 17 9 1 0 0 0 2 0 0 13 1 .241 .267 .293 .560
'59計 39 124 113 6 26 4 2 0 34 13 1 0 0 1 10 0 0 22 1 .230 .290 .301 .591
1962 中日 72 268 240 27 54 9 1 10 95 35 0 0 0 1 25 2 2 73 5 .225 .302 .396 .698
MLB:13年 1533 6302 5348 960 1515 243 52 253 2621 970 47 36 20 25 871 19 38 1011 97 .283 .386 .490 .876
NPB:1年 72 268 240 27 54 9 1 10 95 35 0 0 0 1 25 2 2 73 5 .225 .302 .396 .698
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 勝率
1978 CHW 5位 87 37 50 .425
通算:1年 87 37 50 .425
  • 順位は最終順位

記録

NPB

タイトル

MLB

表彰

MLB

記録

MLB

背番号

  • 14 (1947年 - 1958年、1971年 - 1973年、1977年 - 1978年)
  • 25 (1959年 - 同年途中)
  • 32 (1959年途中 - 同年終了)
  • 7 (1962年)
  • 6 (1974年)

脚注

  1. ^ a b 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、1997年、108-109頁。ISBN 4583034113 

関連項目

外部リンク


ラリー・ドビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:28 UTC 版)

1954年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ラリー・ドビー」の解説

セントルイス・ブラウンズのビル・ベックオーナーが戦後1946年から1949年にかけてインディアンスオーナーであった頃に、ドジャースジャッキー・ロビンソン続いて黒人選手起用踏み切りインディアンス入りさせた黒人選手この年優勝とともに本塁打王打点王獲得したラリー・ドビーで、黒人ではロビンソンに続く2人目の選手であったドビーはまたアメリカンリーグでは最初黒人選手でもあり、少し遅れて入団したサッチェル・ペイジ投手とともに1948年初めワールドシリーズ出場した黒人選手でもあり、また初めワールドシリーズ本塁打打ったのも彼であった1949年から8年連続20本以上の本塁打打ち、また同じ1948年から7年連続オールスター選ばれ1952年1954年2度本塁打王獲得し、またこの1954年オールスターゲーム黒人選手初の本塁打打ち、ラリー・ドビーにとっては選手としてこの年ピークであった。しかしリーグMVPヤンキースヨギ・ベラ選ばれ優勝チームだったラリー・ドビーは2人目の次点であったその後1956年シカゴ・ホワイトソックス移籍し1958年インディアンス復帰する1959年デトロイト・タイガース移籍し、そしてシーズン途中ホワイトソックス移籍と、晩年移籍繰り返して1959年限り現役引退した。そして1962年訪日しドジャースにいたドン・ニューカムとともに日本中日ドラゴンズ入団し3年ぶりの現役復帰となった年齢的衰え隠せ1シーズン限り退団したものの、元メジャーリーガーということ当時話題になった引退後モントリオール・エクスポズインディアンスホワイトソックスコーチ歴任しホワイトソックスコーチ務めていた1978年シーズン途中にこの時にホワイトソックスオーナーであったビル・ベックの下でボブ・レモン代わりホワイトソックス監督1年務めた。これは1975年フランク・ロビンソン黒人として初の監督になってから2人目のMLB監督であった。しかしフランク・ロビンソンその後も4球団通算16年わたってメジャーリーグ監督務めたのに比べてわずか1年足らず87試合実績でしかなかった。ラリー・ドビーの残した功績パイオニアとしてジャッキー・ロビンソン劣らないものであったが、なぜか目立たない選手で「2人目の男」として記憶されている。(1998年殿堂入り

※この「ラリー・ドビー」の解説は、「1954年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
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デトロイト・タイガースの選手 リック・ポーセロ  エウロ・デラクルス  ラリー・ドビー  シェーン・ホルター  ホセ・バルベルデ
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