ロッキー・コラビトとは? わかりやすく解説

ロッキー・コラビト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/21 19:57 UTC 版)

ロッキー・コラビト
Rocky Colavito
ロッキー・コラビト
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市
生年月日 (1933-08-10) 1933年8月10日
没年月日 (2024-12-10) 2024年12月10日(91歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1951年 クリーブランド・インディアンスと契約
初出場 1955年9月10日
最終出場 1968年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ロッコ・ドメニコ・コラビトRocco Domenico Colavito, 1933年8月10日 - 2024年12月10日[1])は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴

現役時代

1951年のシーズン前にクリーブランド・インディアンスと契約してプロ入り。1955年9月10日にインディアンスでメジャーデビューを果たした。この年は、5試合に出場して打率.444という数字を記録した。1956年は、メジャー2年目(実質1年目)にして21本塁打を記録。ルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルこそ逃したものの、2位に付けた(1位は盗塁王のタイトルを獲得したシカゴ・ホワイトソックスルイス・アパリシオ)。続く1957年は規定打席に到達。1958年は更に勢いを伸ばし、打率.303、41本塁打、113打点という素晴らしい成績を記録。MVP投票で3位に付けた(1位は打率.286・35本塁打・122打点を記録したボストン・レッドソックスジャッキー・ジェンセン)。1959年6月10日には4打席連続本塁打を記録[注 1]。この年は前年並みの成績を残し、自身初の本塁打王を獲得。MVP投票でも4位に入っている(1位は打率.306・2本塁打・70打点を記録したホワイトソックスのネリー・フォックス。打撃成績を見るとMVPに相応しいと感じないが、1959年のフォックスは624打数でわずか13三振という少なさである)。

1960年4月17日デトロイト・タイガーストレードで移籍(交換相手は首位打者を獲得した経験のあるハービー・キーン[注 2]。移籍後のタイガースでは、打率.249ながら35本塁打を放ち、存在をアピールした。1961年は打率も.290に上昇。いずれも自己最高となる45本塁打・140打点を記録。しかしながら、MVP投票では8位止まりだった(1位は打率.269・61本塁打・142打点を記録したニューヨーク・ヤンキースロジャー・マリス)。

その後、1963年までタイガースで活躍したコラビトは、1963年11月18日ボブ・アンダーソン英語版、$50,000と共にカンザスシティ・アスレチックスへと移籍した(ジェリー・ランプ英語版エド・ラコー英語版デーブ・ウィッカーシャム英語版がタイガースに移籍している)。1964年も、例年通りの活躍を見せたコラビトは、1965年1月20日に大型トレードで、古巣のインディアンスに復帰(ホワイトソックスがキャム・キャリオン英語版をインディアンスに放出。ホワイトソックスがアスレチックスからジム・ランディス英語版マイク・ハーシュバーガー英語版を指名し、獲得。インディアンスがトミー・ジョントミー・エイジージョニー・ロマノ英語版をホワイトソックスに放出。ホワイトソックスがフレッド・タルボット英語版をアスレチックスに放出。)。復帰1年目の1965年は26本塁打ながら、108打点を記録して自身初の打点王を獲得した。翌1966年は30本塁打を記録するも、打率が急落。1967年も63試合で打率.241・6本塁打・21打点と不振に苦しんだコラビトはシーズン途中にホワイトソックスにトレードされた(ホワイトソックスがマーブ・ステイール英語版をホワイトソックスに放出。ホワイトソックスがジム・キング英語版を指名し、獲得)。しかし、移籍後も打率.211と苦しみ、シーズン通算123試合に出場したにもかかわらず打率.231・8本塁打・50打点という散々なシーズンとなった。1968年3月26日に金銭と引き換えにロサンゼルス・ドジャースに移籍。しかし、1967年に引き続き、打率が.240さえ超えない状況が続いた。7月11日にドジャースを自由契約になったコラビトは、7月15日に最後の望みを託してヤンキースと契約し、復活を試みた。しかし、移籍前よりは良かったものの、目を覆いたくなるような不振から抜け出す事は出来ず、9月30日にヤンキースを解雇されてしまい、キャリアを終えた。

引退後

引退後はインディアンス(1973年1976年 - 1978年 )とカンザスシティ・ロイヤルズ1982年 - 1983年 )で打撃コーチを務めた。

2006年にはインディアンスの球団殿堂入りを果たした。

2024年12月10日死去。91歳没[1][2]

プレースタイル

シーズン40本塁打を3度達成している。選球眼の優れたバッターであり、通算三振は通算四球よりも少ない。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1955 CLE 5 9 9 3 4 2 0 0 6 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .444 .444 .667 1.111
1956 101 380 322 55 89 11 4 21 171 65 0 1 4 3 49 0 2 46 4 .276 .372 .531 .903
1957 134 544 461 66 116 26 0 25 217 84 1 6 4 7 71 0 1 80 12 .252 .348 .471 .819
1958 143 578 489 80 148 26 3 41 303 113 0 2 0 3 84 6 2 89 16 .303 .405 .620 1.025
1959 154 664 588 90 151 24 0 42 301 111 3 3 0 3 71 8 2 86 13 .257 .337 .512 .849
1960 DET 145 616 555 67 138 18 1 35 263 87 3 6 1 3 53 4 4 80 17 .249 .317 .474 .791
1961 163 708 583 129 169 30 2 45 338 140 1 2 2 8 113 2 2 75 14 .290 .402 .580 .982
1962 161 707 601 90 164 30 2 37 309 112 2 0 1 7 96 7 2 68 18 .273 .371 .514 .885
1963 160 692 597 91 162 29 2 22 261 91 0 0 2 8 84 9 1 78 18 .271 .358 .437 .795
1964 KCA 160 681 588 89 161 31 2 34 298 102 3 1 1 4 83 4 5 56 16 .274 .366 .507 .873
1965 CLE 162 695 592 92 170 25 2 26 277 108 1 1 0 7 93 11 3 63 14 .287 .383 .468 .851
1966 151 614 533 68 127 13 0 30 230 72 2 1 0 2 76 4 3 81 25 .238 .336 .432 .768
1967 63 216 191 10 46 9 0 5 70 21 2 2 0 0 24 0 1 31 6 .241 .329 .366 .695
CWS 60 220 190 20 42 4 1 3 57 29 1 1 1 4 25 2 0 10 2 .221 .306 .300 .606
'67計 123 436 381 30 88 13 1 8 127 50 3 3 1 4 49 2 1 41 8 .231 .317 .333 .650
1968 LAD 40 129 113 8 23 3 0 3 35 11 0 1 0 1 15 1 0 18 6 .204 .295 .310 .605
NYY 39 106 91 13 20 2 2 5 41 13 0 0 0 0 14 0 1 17 1 .220 .330 .451 .781
'68計 79 235 204 21 43 5 2 8 76 24 0 1 0 1 29 1 1 35 7 .211 .311 .373 .684
MLB:14年 1841 7559 6503 971 1730 283 21 374 3177 1159 19 27 16 60 951 58 29 880 182 .266 .359 .489 .848
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

記録

背番号

  • 38 (1955年 - 1957年)
  • 6 (1958年 - 1959年、1973年、1977年 - 1978年)
  • 7 (1960年 - 1964年、1976年)
  • 21 (1965年- 1967年途中)
  • 18 (1967年途中 - 同年終了)
  • 16 (1968年 - 同年途中)
  • 29 (1968年途中 - 同年終了)
  • 40 (1982年)
  • 8 (1983年)

脚注

注釈

  1. ^ 当時では史上3人目の記録だった(コラビト以前に達成していた選手はルー・ゲーリッグボビー・ロウ英語版。後にマイク・キャメロン2002年に、カルロス・デルガド2003年にそれぞれ記録している。また、この5選手は延長戦にはなっていない)。
  2. ^ コラビトが移籍した1960年からの34年間、インディアンスが上位争いから脱落しているが、クリーブランドではこれを「ロッキー・コラビトの呪い」として語り継がれている。

出典

  1. ^ a b Baseball slugger and Berks County resident Rocky Colavito passes away”. The Morning Call (2024年12月10日). 2024年12月11日閲覧。
  2. ^ Meisel, Zack (2024年12月10日). “Rocky Colavito, Cleveland legend and 1-time AL home run king, dies at 91” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/athletic/5874958/2024/12/10/rocky-colavito-cleveland-obituary/ 2024年12月11日閲覧。 

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ザック・ウィート  ジョージ・アリアス  ロッキー・コラビト  チャド・コルデロ  ジョン・オドム
ニューヨーク・ヤンキースの選手 ジェイ・ハウエル  トニー・タラスコ  ロッキー・コラビト  ポール・クアントリル  ジョー・コナー
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 イスマエル・バルデス  ザック・ウィート  ロッキー・コラビト  ポール・クアントリル  アントニオ・オスーナ
クリーブランド・インディアンスの選手 ラッセル・ブラニアン  ジョーイ・コーラ  ロッキー・コラビト  ジョー・コナー  ジョー・ボロウスキー
オークランド・アスレチックスの選手 ジェイ・ハウエル  ザック・ウィート  ロッキー・コラビト  ココ・クリスプ  トレバー・ケーヒル
シカゴ・ホワイトソックスの選手 スタン・ジョンソン  ジョーイ・コーラ  ロッキー・コラビト  ジョン・ヘンダーソン・ホワイトヘッド  アレクセイ・ラミレス
デトロイト・タイガースの選手 ジョー・ニークロ  ジェーソン・ジョンソン  ロッキー・コラビト  イバン・ロドリゲス  ジェイソン・ベバリン

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