プロアマ規定の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 05:31 UTC 版)
「学生野球資格回復研修制度」の記事における「プロアマ規定の歴史」の解説
長年、プロ野球とアマチュア野球には溝がありいくつかの段階を経て緩和されていった 1950年(昭和25年):日本学生野球協会がプロとの対戦を認めないよう学生野球憲章を改正。 1961年(昭和36年):プロのスカウト活動が過熱した結果、柳川事件や門岡事件が起こり、社会人野球側が断絶を宣言し日本学生野球協会も同調した。 1973年(昭和48年):社会人野球がプロ経験者の臨時コーチ受け入れを許可、大学も元プロの母校での臨時コーチを認める。 1984年(昭和59年):教員として勤務が10年を経過した元プロは高校監督に就任できるようになる。プロアマ断絶後、元プロ監督第1号となったのは元東映の後原富。 1994年(平成6年):高校球界復帰規定が教諭歴10年から5年に短縮。 1997年(平成9年):高校球界復帰規定が教諭歴5年から2年に短縮。 2005年(平成17年):元プロの大学野球の監督就任が可能になる。また現役プロの母校での自主トレが解禁される。 2013年(平成25年):高校監督の教諭歴規定を撤廃。プロ、アマがそれぞれ設ける研修会を修了し、適性検査を経ることで資格を回復できるように緩和された。 2015年(平成27年):日本独立リーグ野球機構所属リーグ(四国アイランドリーグplusとベースボール・チャレンジ・リーグ)出身者が研修受講対象に加えられる。
※この「プロアマ規定の歴史」の解説は、「学生野球資格回復研修制度」の解説の一部です。
「プロアマ規定の歴史」を含む「学生野球資格回復研修制度」の記事については、「学生野球資格回復研修制度」の概要を参照ください。
- プロアマ規定の歴史のページへのリンク