プロアマ問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:30 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション」の記事における「プロアマ問題」の解説
日本ボクシング界において長年の間懸念されている事象として「プロアマ問題」がある。 一般的な他のスポーツ競技では、アマはプロになるための登竜門的な意味あいがあるが、メダリストがプロに転向することが多いアメリカ等の諸外国とは違い、アマ組織とプロ組織の連係がほぼ皆無という特殊な状況に日本ボクシングは置かれている。また、これは日本だけの問題ではないが、ボクシングはアマとプロではルールや勝敗、優劣のつけ方が全く違う点もある。 戦前のオリンピック派遣を巡りプロ(大日本拳闘会など)とアマチュア(全日本アマチュア拳闘連盟)の間で衝突が起こり、以来長らく断絶状態が続いている。これはアマチュア側がプロのオリンピックなどへの出場を嫌ったことで、プロ経験者のアマチュア活動を拒否するようになった経緯がある。 1990年代以降、特にプロ嫌いとして知られていた川島五郎体制下で顕著となり、アマチュア側はプロとしての選手経験のみならず、プロ関係者と接触したり何らかの形でプロと関わった人物も含め、原則として門前払いにしており、プロ経験のあるアマチュア指導者がセコンドに入れないなど多くのトラブルも生んでいる。他競技よりも徹底したアマチュアイズムを現在も貫き通しているため、プロ関係者や一部アマチュアジムの間では「やり過ぎ」の声も多く、アマチュア側の歩み寄りが求められている。 2010年に入り、アマチュア界の重鎮でプロ選手を多く育成した山根明の日本アマチュア連盟副会長就任パーティーにおいて、山根と(学生時代にアマチュア経験のある)大橋秀行JPBA会長が席上で握手を交わして以降、プロアマの雪解けが進んでいる。これまでに多田悦子や名城信男らがアマチュアと公開スパーリングを行っており、大会運営や日本代表の活動などで協力を約束している。2011年からは引退から3年が経過した元プロ選手のアマチュア指導を解禁する方針を打ち出した。これを受けて、同年に適用第1号として赤井英和がアマチュアボクシングの指導資格を取得、不祥事により活動を休止していた母校・近畿大学ボクシング部の活動再開にあたって総監督に就任した。 海外では元プロ選手のアマ転向を認める国こそ中国など少数であるが、指導者ライセンスをプロアマ一本化していたり、プロ興行内でアマチュアエキシビションを開くなど一定の交流が認められている国は少なくない。一方、アマチュアの国際組織である国際ボクシング協会 (AIBA) ではプロ大会「ワールド・シリーズ・オブ・ボクシング」を開始しているが、日本からの参加についてはプロアマとも現在のところ特に言及していない。 2012年ロンドンオリンピックで、ボクシングでは48年ぶり2人目となる金メダルを獲得した村田諒太(ミドル級のメダル獲得は日本初)は当初、プロ転向を否定しアマチュアの指導者を続ける目標を語っていた。しかし2013年には正式にプロ転向を言明し、ライセンスを取得。このことが山根らアマチュアボクシング界から強い反発を受け、村田は日本アマチュアボクシング連盟(現:日本ボクシング連盟)から満場一致での(アマチュアとしての)引退勧告を受けた。アマチュアボクシング界からは「雪解けに水を差す事態だ」と村田を引き抜いたプロボクシング界へも激しい批判が飛んだ。 2013年2月3日JABF総会にて、村田のプロ転向問題を受け、プロ側と紳士協定を結ぶ必要性が話し合われた。この前日にはJPBA大橋会長から「獲得したジムは連盟に強化費を寄付すべきだ」などと提案を受けていた。日本オリンピック委員会(JOC)からの委託金はあるものの、JOCが設置した第三者特別調査委員会の調査報告書によれば、強化費配分の基準となる2010年度の経常収益およびJOCによる2012年度の競技団体ランクでボクシング競技は五輪競技中で最低レベルの評価を受け、連盟の財政規模は5,446万円程度とされており、連盟は選手育成のため合宿・海外遠征に強化費を費やしている。連盟は、国の資金で強化した選手は連盟の財産であるとして、直接勧誘の禁止、選手の引退後の生活保証などについて内規を設ける方針を示し、同年5月26日の総会でアマチュア規則細則を定めた。この細則は同年7月1日から施行されている。登録選手はあらかじめ、アマチュアボクシング憲章、倫理規定、アマチュア規則、競技規則、アマチュア規則細則に従う旨の誓約書を提出し、またプロから勧誘されたり、対価を得て競技活動したりする場合には申請書を提出してJABFの承認を得る必要がある。その後、7月11日開催の緊急執行部会で、アンダージュニア(小学生・中学生)の登録選手には誓約書の提出を求めないことを決議した。 2018年、山根が一連の不祥事によりJABF会長を辞任。その後任として就任した内田貞信新会長は一転してプロアマ問題の解決を進めることを表明。まず、11月1日に行われたプロ協会の臨時理事会にてプロアマ間の協議を進めることを発表し、合わせてプロアマ問題に関する対策委員会を設置し、委員長に内田会長と近大ボクシング部の同期であるRK蒲田ジム会長柳光和博が就任。20日に初のプロアマ協議会が開かれ、その中で山根時代に規制されていたプロジム所属選手のアマチュア主催大会への出場の解禁を始め、オリンピック競技存続へ向けた協力関係の構築などが議論された。 それに先立ち、10月16日にJABFは2020年東京オリンピックを目指していた元プロ世界王者高山勝成のアマ登録を認めることを発表した。
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