プロに転向
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2006年3月、プロに転向するため東洋大学を中退し、日東ジムに所属する。 2006年5月22日、プロデビュー。 2007年12月22日、全日本新人王決定戦で3-0の判定勝利を収め、全日本ライト級新人王を獲得。 2009年8月1日、日本ライト級王者三垣龍次(M.T)に挑戦し、初回45秒TKO勝ちで王座を獲得。 2009年12月19日、後楽園ホールで日本ライト級1位の加藤善孝(角海老宝石)と対戦し、3回にダウンを奪い試合を優位進め、後半の加藤の反撃を凌ぎきり2-1(96-93、96-94、94-95)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。 2010年4月22日、チャンピオンカーニバルにおいて日本ライト級1位の荒川仁人(八王子中屋)と対戦し、0-2(2者が94-96、95-95)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗、王座から陥落した。 2010年8月21日、鎧塚真也(協栄)とライト級8回戦を行い、8回3-0(80-73、79-73、79-74)の判定勝ちを収め再起した。 2010年12月22日、小澤大将(全日本パブリック)とライト級8回戦を行い、8回2-1(78-76、77-76、76-77)の判定勝ちを収めた。 2012年3月6日、チャンピオンカーニバルにおいて日本ライト級王者加藤善孝(角海老宝石)と対戦し、10回1-2(94-97、95-96、97-94)の判定負けを喫し王座返り咲きに失敗した。 2012年6月28日、齋藤丈裕(新日本木村)と61.7kg契約8回戦を行い、5回2分22秒TKO勝ちを収め再起した。 2012年12月10日、小池浩太(ワタナベ)と63kg契約8回戦を行い、8回3-0(78-76、2者が77-76)の判定勝ちを収めた。 2013年4月17日、ファーサンハン・オー・ベンジャマーッ(タイ)と63㎏契約8回戦を行い、3回1分58秒TKO勝ちを収めた。 2013年12月26日付けでJBCに引退届を提出し、一度は引退扱いになったものの、年明けから再起を決意し、東ジムから一力ジムに移籍して2014年3月31日付でライセンスを再交付され現役復帰した。 2014年4月23日、元日本ライト級王者で元OPBF東洋太平洋ライト級王者の荒川仁人(八王子中屋)と62kg契約10回戦を行い、10回0-3(92-98、94-97、95-96)の判定負けを喫し復帰戦を白星で飾れなかった。 2014年11月17日、ケーオクラー・チャイヨンジム(タイ)と63kg契約8回戦を行い、初回1分45秒KO勝ちを収めた。 2014年12月15日、山田智也(協栄)とライト級8回戦を行い、8回1-2(76-77、75-76、77-76)の判定負けを喫した。 2015年3月16日、元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者のジムレックス・ハカ(フィリピン)と62.6kg契約8回戦を行い、4回2分45秒TKO勝ちを収めた。 2015年4月22日、後楽園ホールで原田門戸(横浜さくら)と62.0kg契約8回戦を行い、8回1-2(74-79×2、77-76)の判定負けを喫した。 2015年7月27日、IBF世界スーパーライト級10位のパトムサック・パトンパトン(タイ)と63.5kg契約8回戦を行い、4回1分55秒KO勝ちを収めた。8月5日にIBF世界スーパーライト級14位にランクインした。 2015年11月16日、ワッチャーラ・リアンプラシード(タイ)と62.5kg契約8回戦を行い、8回3-0(80-73、79-73、79-75)の判定勝ちを収めた。 2016年3月17日、後楽園ホールで行われた「ファイティングビー16」で山口祥吾(唯心)と62.0kg契約8回戦を行い、8回3-0(3者共78-74)の判定勝ちを収めた。 2016年6月13日、ダーオルアン・ルークバーンスワン(タイ)と62.0kg契約8回戦を行い、初回2分54秒TKO勝ちを収めた。 2016年9月13日、後楽園ホールでジェフリー・アリエンザ(フィリピン)とWBOアジア太平洋スーパーライト級王座決定戦を行い、11回1分20秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。9月17日、WBO世界スーパーライト級11位にランクインした。 2016年12月12日、後楽園ホールで行われた「ファイティングビーvol.19」でパランペッチ・シスパーサク(タイ)と62.0kg契約8回戦を行い、3回1分29秒KO勝ちを収めた。同日、IBFは最新ランキングを発表し、近藤をIBF世界スーパーライト級3位にランクインした。 2017年3月13日、後楽園ホールで行われた「A-sign.Bee2」でパトムサック・パトンパトン(タイ)と63.6kg契約8回戦を行い、2回2分47秒KO勝ちを収め1年10ヵ月ぶりとなる再戦を制した。 2017年5月26日、後楽園ホールで行われた「A-sign.Bee vol.3」で日本スーパーライト級10位の岡崎祐也(中内)とスーパーライト級8回戦を行い、6回1分24秒TKO勝ちを収めた。 2017年8月31日、テレンス・クロフォード(アメリカ合衆国)の王座返上に伴いIBF世界スーパーライト級1位のセルゲイ・リピネッツ(ロシア)とIBF世界スーパーライト級王座決定戦に関する対戦交渉を行い、同年9月30日までに合意するよう指令を受けた。 2017年9月5日、同年11月4日にバークレイズ・センターでテレンス・クロフォード(アメリカ合衆国)の王座返上に伴いIBF世界スーパーライト級1位のセルゲイ・リピネッツ(ロシア)とIBF世界スーパーライト級王座決定戦を行うことが決定した。 2017年11月4日、ニューヨークのバークレイズ・センターでデオンテイ・ワイルダーVSバーメイン・スタイバーン第二戦の前座でテレンス・クロフォード(アメリカ合衆国)の王座返上に伴いIBF世界スーパーライト級1位のセルゲイ・リピネッツ(ロシア)とIBF世界スーパーライト級王座決定戦を行い、12回0-3(110-118、111-117が2者)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。アメリカ合衆国では ショウタイム のボクシング中継番組『チャンピオンシップ・ボクシング』で中継された。 2018年3月2日、後楽園ホールで行われた「A-sign.Bee11」でリクヒット・サンリッツとスーパーライト級8回戦を行い、4回2分48秒TKO勝ちを収め再起戦を飾った。 2018年7月13日に後楽園ホールにてクウエ・ピーター(大橋)と対戦する予定であったが、ピーターの怪我により中止となった。 2018年9月1日、後楽園ホールにて宮崎辰也(マナベ)と対戦し、5回55秒TKO勝ちを収めた。 2019年2月18日、後楽園ホールでIBF世界スーパーライト級王座挑戦者決定戦としてIBF同級6位のダオヌア・サックリーンと対戦したが、5回1分47秒KO負けを喫し、ジョシュ・テイラーへの挑戦権を獲得することはできなかった。 2019年7月12日、後楽園ホールで日本ユーススーパーライト級王者の平岡アンディ(大橋)と対戦し、10回0-3(93-97、93-98、92-98)で判定負けを喫した。 2019年11月15日、後楽園ホールで柳達也(伴流)を相手に再起戦を行い、8回3-0(78-74×2、77-75)で判定勝ちを収め、再起に成功した。 2020年12月10日、後楽園ホールで日本スーパーライト級王者の永田大士に挑戦するも、7回0-1(66-67、67-67×2)の負傷判定により引き分けとなり、王座獲得に失敗した。 2021年5月28日、後楽園ホールで日本スーパーライト級4位のアオキクリスチャーノと対戦し、8回0-3(75-76、74-77×2)で判定負けを喫した。
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プロに転向
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1981年に、プロとしての一歩を踏み出した。前述したジュニア世界選手権・個人ロードで優勝したレモンの才能を、当時ベルナール・イノー、ローラン・フィニョンが所属していたルノー・エルフ=ジタンチーム(英語版)の監督であったシリル・ギマールが見いだしたことがきっかけであった。 プロ入り1年目の1981年にはクアーズ・クラシックで優勝、続く2年目の1982年にはツール・ド・ラブニールで優勝とさっそく結果を残した。 同1982年の世界選手権プロロードレースでは、レモンは優勝目前と見られながらも、最後は優勝したジュゼッペ・サローニの強烈なスプリント力に屈した。しかし、経験ではなく実力で2位になれることを証明し、翌1983年のアメリカ人初の世界選手権優勝へとつながってゆく。
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