王座獲得
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2002年12月15日に大阪府池田市の五月山体育館で行われた興行で、ホセ・マルティネス(メキシコ)に4RKOで勝利し、WBOアジア太平洋スーパーフェザー級の王座を獲得。 2003年1月から2004年2月までWBO世界スーパーフェザー級のランキングに名を連ねた。(最高位は11位・2003年10月)
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王座獲得
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「ポンサクレック・ウォンジョンカム」の記事における「王座獲得」の解説
2001年3月2日、地元タイにてWBC世界フライ級王者マルコム・ツニャカオ(フィリピン)に挑戦。3度のダウンを奪った末の初回TKO勝ちを収めて、王座の獲得に成功した。 2001年7月15日、日本の愛知県武道館にて浅井勇登(日本)と対戦し、5回TKO勝ちを収めて初防衛に成功した。尚、この試合がポンサクレックにとって日本のリング初登場となった。 2001年10月26日、地元タイにてアレックス・ババ(ガーナ)と対戦し、8回負傷判定(79-73が2者、79-71)勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。 2001年12月6日、地元タイにて後のIBF世界ライトフライ級王者ルイス・アルベルト・ラサルテ(アルゼンチン)と対戦し、2回TKO勝ちを収めて3度目の防衛に成功した。 2002年4月19日、地元タイにて内藤大助(日本)と対戦。開始20秒付近で内藤が放った右アッパーに対して左フックのカウンターを合わせてダウンを奪いKO勝ちを収めて、4度目の防衛に成功した。尚、この試合で記録した「初回34秒KO」という結果は2019年4月現在、世界フライ級タイトルマッチにおける史上最短KO記録である。 2002年9月6日、地元タイにてヘスス・マルチネス(メキシコ)と対戦し、3-0(120-107、120-106、119-109)の大差判定勝ちを収めて5度目の防衛に成功した。 2002年11月26日、日本の大阪市中央体育館にて元日本ライトフライ級王者本田秀伸(日本)と対戦し、3-0(119-109、116-112、115-113)の判定勝ちを収めて6度目の防衛に成功した。 2003年6月5日、地元タイにてランディ・マングバット(フィリピン)と対戦し、3-0(119-110、118-109が2者)の大差判定勝ちを収めて7度目の防衛に成功した。 2003年11月14日、地元タイにて23戦無敗のフセイン・フセイン(オーストラリア)と対戦し、3-0(117-111、117-113、116-111)の判定勝ちを収めて8度目の防衛に成功した。 2004年1月3日、日本のパシフィコ横浜にて元日本フライ級王者トラッシュ中沼(日本)と対戦し、3-0(116-112、116-113、115-113)の判定勝ちを収めて9度目の防衛に成功した。 2004年7月15日、地元タイにてルイス・アンヘル・マルチネス(メキシコ)と対戦し、5回TKO勝ちを収めて10度目の防衛に成功した。 2005年1月29日、日本の大阪府立体育会館にて元OPBF東洋太平洋フライ級王者小松則幸(日本)と対戦し、5回TKO勝ちを収めて11度目の防衛に成功した。 2005年10月10日、日本の後楽園ホールにて内藤大助(日本)と対戦し、7回負傷判定(3者とも68-64)勝ちを収めて12度目の防衛に成功した。 2006年2月16日、地元タイにて後のWBC世界ライトフライ級王者ヒルベルト・ケブ・バース(メキシコ)と対戦し、3-0(120-109が2者、119-110)の大差判定勝ちを収めて13度目の防衛に成功した。 2006年5月1日、地元タイにて後の日本スーパーフライ級王者中広大悟(日本)と対戦し、3-0(120-107が2者、119-110)の大差判定勝ちを収めて14度目の防衛に成功した。 2006年6月30日、地元タイにてエベラルド・モラレス(メキシコ)と対戦し、3度ダウンを奪い4回ドクターストップによるTKO勝ちを収めて15度目の防衛に成功にした。尚、この勝利によりそれまでミゲル・カント(メキシコ)が保持していた世界フライ級王座における連続防衛記録を27年ぶりに塗り替えた。 2006年11月17日、地元タイにて元IBO世界ライトフライ級王者モネリシ・ムヤケニ(南アフリカ)と対戦し、3-0(119-108、118-110、117-111)の大差判定勝ちを収めて16度目の防衛に成功した。 2007年4月6日、地元タイにて後のWBA世界スーパーフライ級王者清水智信(日本)と対戦し、7回終了清水が鼻を骨折の疑いがあるとして棄権。17度目の防衛に成功した。
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王座獲得
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2016年10月28日、フィリピン・ミンダナオ島 カガヤン・デ・オロで、WBOアジア太平洋スーパーフライ級暫定王者のラクニラン・ムアトランサラカン(タイ)に挑戦。序盤からジャブで先制。12戦全勝(8KO)のチャンピオンも緩急を使った動きで応戦。3回に停電が起こり試合中断するアクシデントなど、海外の洗礼を浴びる。その後は一進一退。中盤から勝負をかけプレッシャーを強め、チャンピオンを後退させて細かいパンチを集めてペースを握る。9回、バッティングで傷口が大きく広がり、ここで試合はドクターストップ。フィリピン人ジャッジ3人の採点は全員が87-84で川口に軍配。クールな川口も『winner by blue corner SHOTA KAWAGUCHI !!』のコールに飛び上がって喜びを爆発させ、悲願のベルトをかみしめた。
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