王座認定団体への加盟状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 14:37 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション事件」の記事における「王座認定団体への加盟状況」の解説
初代コミッショナー田邊宗英がWBAの前身であるNBAに加盟申請し、認可されたのが1954年1月7日付であった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この当時は他団体のタイトルマッチに勝利してもJBCは王者と認めない方針をとっていた。[要出典]1969年7月28日、ファイティング原田がオーストラリア・シドニーでWBC(世界ボクシング評議会)世界フェザー級タイトルマッチに出場し、同国人の王者であるジョニー・ファメションに不運な判定負けを喫するが、この世界戦の実現に際しても原田が所属する笹崎ボクシングジムの会長・笹崎僙をはじめとする業者側とJBCの間には大きな摩擦があったとされる。原田陣営はこの判定負けを不当なものとしてWBCに抗議し、1970年1月6日に東京でファメションとの再戦が実現するが、その際にJBCはWBCに加盟した。この後しばらくJBCはプロボクシングの王座を認定する主要4団体のうち、上記のWBA・WBCの2団体についてのみ世界タイトル戦を認めていたが、協会の要請を受けて2011年2月28日、WBA・WBCの国内現役世界王者によるWBO(世界ボクシング機構)・IBF(国際ボクシング連盟)の現役世界王者との王座統一戦に限ってという条件付きで残る2団体を承認することとした。その後、2013年4月1日付でWBOとIBFの世界タイトル戦を全面的に認可することとしたが、両団体の地域タイトルや下部タイトル(インターナショナル王座など)については依然として認めていない。
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