王座時代〜返上・引退
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「ベニー・レナード」の記事における「王座時代〜返上・引退」の解説
1917年9月21日、レオ・ジョンソンと対戦し、1回1:59TKO勝ち。 1918年9月23日、世界ウェルター級王者テッド・キッド・ルイスと無判定試合で対戦し、引き分け。 1919年2月21日、ウィリー・リッチーと無判定試合で対戦し、引き分け。 1920年7月5日、チャーリー・ホワイトと対戦し9回KO勝ちで世界ライト級王座の初防衛に成功。この試合挑戦者のパンチでリング外に叩き出されながら逆転KO勝ちというスリリングな試合だった。 1920年11月26日、ジョー・ウェルリングと対戦し14回TKO勝ちで2度目の防衛に成功。 1921年1月13日、全米ボクシング協会が設立され世界ライト級王者の認定を受けた。 1921年1月14日、リッチー・ミッチェルとの防衛戦。6回TKO勝ちで3度目の防衛に成功。この試合は倒し倒されの激闘だった。 1922年2月10日、後の世界王者ロッキー・カンザスとの防衛戦で判定(3-0)勝ちで4度目の防衛に成功。 1922年6月26日、世界ウェルター級王者ジャック・ブリットンに挑戦する。13回、王者から左ボディブローでダウンを奪うが、レフェリーのカウント中にブリットンを殴打、反則負けとなっている。 1922年7月4日、ロッキー・カンザスと無判定試合で再戦し、8回TKO勝ち。 1922年7月27日、ルー・テンドラーに無判定試合で対戦し、引き分け。この試合は、相手の好打でグロッギーとなりながら堪え抜いた。 1923年7月24日、ルー・テンドラーと世界王座を賭けて再戦し、判定勝ちで5度目の防衛成功。 1924年8月11日、パル・モランとのノンタイトル戦に判定勝ち。当初はミッキーウォーカーとのタイトル戦が予定されていたがキャンセルした。 1925年1月15日、世界ライト級王座の返上と現役引退を発表した。
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