王座転落〜黄昏の時代「一杯のコーヒー」発言
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「シュガー・レイ・ロビンソン」の記事における「王座転落〜黄昏の時代「一杯のコーヒー」発言」の解説
1959年8月、防衛戦を行わないことを理由に、NBAから世界ミドル級王座を剥奪され、ロビンソンはニューヨーク州認定の世界ミドル級王座のみを保持することとなった。空位の世界ミドル級王座には、8月29日に行われた王座決定戦で、カーメン・バシリオを14回KOで下したジーン・フルマーが就いた。 1960年1月22日、ポール・ペンダーに15回1-2の判定負け、ニューヨーク州認定世界ミドル級王座を失う。6月10日、ポール・ペンダーとの再戦、またも15回1-2の判定負け。ニューヨーク州認定世界ミドル級王座奪回ならず。これまで数々の強敵に雪辱を果たしたり、返り討ちにしてきたロビンソンだが、実にプロ152戦目にして、生涯初の「返り討ち」に遭った。 12月3日、ジーン・フルマーの持つNBA認定世界ミドル級王座挑戦、15回引き分け。通算6度目の王座奪取に失敗した。 1961年3月4日、ジーン・フルマーにダイレクトリマッチで再挑戦、15回0-3の判定負け、またも王座奪取に失敗。ロビンソン対フルマーの対戦成績は、フルマーの4戦2勝1敗1分に終わる。そしてこの一戦が、ロビンソン生涯最後の世界タイトルマッチとなった。 フルマーとの4度目の対戦以降、ロビンソンは40歳を超えてなお、リングに上がり続けた。全盛期の派手な散財、事業投資の失敗などが祟り、リングに上がるしか稼ぐ方法がなかったという。さすがにその実力も衰え、往年の彼なら簡単に倒していたような相手に敗れることもしばしばであった。しかし彼は、もう引退すべきだという評論家の声に対し「彼らは私に一杯のコーヒーも奢ってくれたことはない。私は自分の生活のために闘うのだ。彼らの思い出のためにでなく」と反論した。過去の栄光の記憶を至上とする傍観者と、現実の生活のために闘う名ボクサー、という典型的な構図を象徴するセリフである。 1961年10月21日、後の世界ジュニアミドル級チャンピオン、デニー・モイヤーに10回3-0の判定勝ち。 1962年2月17日、デニー・モイヤーとの再戦に10回0-3の判定負け。7月9日、フィル・モイヤーに10回1-2の判定負け。 9月25日、元世界ミドル級チャンピオン、テリー・ダウンズに10回判定負け。 1963年6月24日、ジョーイ・ジャーデロに10回判定負け。
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