王座転落・引退
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2004年10月18日、金正範を相手にOPBF東洋太平洋王座10度目の防衛戦を行う。しかしこの試合、佐竹の動きはいつもより重く、金のパンチがカスめる場面が何度となくあった。そして1R終了間際、金の強打が佐竹の顔面にクリーンヒットした直後、佐竹は前のめりにダウン。何とか立ち上がるも、ダメージがあるのは明らかだった。立ち上がった直後、1R終了のゴングに救われた佐竹だったが、2R早々、金がKOを狙って突っ込んでくる。金を何とか捌こうと、佐竹はストレートやカウンターを何度かクリーンヒット。しかし、それにも怯まず前進する金。2R中盤、再び金のパンチがクリーンヒットし、今後は仰向けにダウンする佐竹。必死に立ち上がろうとするも、10カウント内に起き上がることができなかった。まさかの2RKO負けで王座転落。約5年間続いた佐竹王朝に幕を閉じた。金正範戦後、佐竹は「これで世界ランクも東洋王座も全て失ってしまった。今回の敗戦はマウサに負けた時とは違う。もう世界戦が実現することはないでしょう」とコメントし、引退を表明。 実力者との試合を積極的に行い、実力と評価を高めていくも、なかなか決まらない世界戦と、消化試合のようになりつつあった東洋戦の繰り返しに次第にモチベーションを喪失し、世界レベルの実力を証明しながら世界挑戦できないままボクシング界から消えた悲運のボクサーであった。
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