王座陥落、怪我そして引退へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 05:40 UTC 版)
「新垣諭」の記事における「王座陥落、怪我そして引退へ」の解説
同年8月4日にはホーベス・デラブースを15R判定で下し、同王座の初防衛に成功する。しかし、翌年の1985年4月26日、ジェフ・フェネックに9RKOで敗れ同王座から陥落した。同年10月27日にIBF日本の認定するスーパーフライ級王座の決定戦に出場。川島志伸を5RKOで下し日本王者になる(川島志伸は元WBC世界スーパーフライ級王者である川島郭志の兄)。 しかし1986年、大腿骨が壊死する難病を発症し、当該部分の切除をする手術を受ける。1989年にプロボクシング界に復帰。1990年1月30日、IBFインターコンチネンタル スーパーフライ級王座決定戦に出場。ロメオ・オプリサナに12R判定勝ちして地域王者になったが、同年引退した。 引退後は、沖縄テレビプロボクシング解説者を務めたこともあった。 2013年4月1日にJBCがIBFに加盟を果たしたのに伴い、JBCは新垣側からの要請があれば、資格審査委員会で協議した上で、世界王者として認める方向であると表明した。
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