王座裁判所への上告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 14:53 UTC 版)
保険者の商人らは、マンスフィールド伯に以前の判決を破棄して審議しなおすよう求めた。ウェストミンスター・ホールにあった王座裁判所(英語版)で1783年5月21-22日から審問が行われ、マンスフィールド伯と他2名の王座裁判所の裁判官ブラー判事(英語版)とウィリーズ判事(英語版)の3人が担当した。また、ギルドホールでの裁判と同様、ゾング号のオーナーを代表して主席事務弁護士(英語版)のジョン・リー(英語版)が出廷した。グランビル・シャープも裁判の記録を書かせるために雇用した秘書1人を連れて参加した。 第一審の評決を総括して、マンスフィールド伯は次のように述べた。 (陪審は)この奴隷の事例は(大きな衝撃を受けることではあるが)馬を船外へ捨てるのと同様の事例だと確信している。(中略)疑問点は、残りの奴隷を生かすために彼らを捨てる必然性がなかったのではないかということであり、陪審の意見では……(後略) — マンスフィールド伯 コリングウッド船長は1781年に死亡しており、乗客のロバート・スタブスが唯一の証人としてウェストミンスター・ホールに出廷し、また一等航海士ジェームズ・ケルサルの宣誓供述書(英語版)が裁判で使用できる資料となった。スタブスは奴隷を捨てる必然性について、船員は奴隷の一部を処分しなければ全ての奴隷が死んでしまうと危惧していたと証言し、必然性はあったのだと主張した。一方、保険者側は、コリングウッド船長がジャマイカを通過する航路で「大失敗と誤解」をし、船の所有者が補償金を請求できるようにするため奴隷を殺害したと主張した。また、コリングウッド船長は奴隷船の船長としての最初の航海を不採算に終わらせたくなかったのでそのような行為をしたのだと主張した。 これに対しジョン・リーは、積荷の家畜を弱ったものから「投荷」することで健康な家畜を守るように、弱った奴隷を投荷したのだと反論した。保険者の法務チームは、リーの主張は奴隷の扱いにおける人道上の問題の1つ、無実の人々を殺害したことを正当化できるものではないと反論し、またゾング号の船員の行動は殺人以外の何物でもないとも述べた。なお、歴史家のジェームズ・ウォルビンは、グランビル・シャープが法務チームの戦略に直接影響した可能性があると主張している。 審問では新たな証拠となる証言が得られた。2回目の投荷を行った日には大雨が降ったがその後も奴隷が海に落とされていたというのだ。降雨により水不足が緩和された後に奴隷を捨てたことについては船と他の奴隷を守るためという理由では正当化できないので、マンスフィールド伯は再審議を要請した。第一審の証言では水不足は船長の誤りが原因というよりはむしろ船の悪条件、海の状態が予想外だったことが原因だとされていたので、本件を担当した裁判官の1人はこの証拠により第一審での陪審の判断は無効になったと述べた。マンスフィールド伯はゾング号の船員の過失によって引き起こされた損失であるとして、保険者には過失による損失に対して補償する責任はないと結論を出した。 この事件について他の審理が開かれたという証拠は存在しない。シャープの努力にもかかわらず、ゾング号の船員が奴隷を殺害した罪で起訴されることはなかった。だが、ゾング号事件は最終的には国内および国際的な注目を集めることになった(#奴隷制度廃止運動への影響)。
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